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2011年2月 6日 (日)

池内紀『ことばの哲学──関口存男のこと』

池内紀『ことばの哲学──関口存男のこと』(青土社、2010年)

 学生のとき独習でドイツ語もやろうとしたことがあった。そのとき人からすすめられて使ったのが関口存男(つぎお)の『初等ドイツ語講座』(三修社)全三巻。緑色のカバーだった。中巻までは仕上げたような気もするが、結局ものにはならなかったのだからどうにもならない。文体がなかなか軽妙で、いわゆる語学書とは雰囲気がだいぶ違うなあ、という印象だけは残っている。
 
 ドイツ文学者にしてエッセイの名手によるドイツ語学者についての評伝である。関口存男は陸軍士官学校出の、キャリアも人柄もちょっと変わった人だということは知っていた。ただし、エピソード的に過激なことは意外と少ない。文法の不可思議、とりわけ冠詞の使い分けの分からなさに困惑して文例蒐集に没頭し、自分なりの文法書を書くにはあまりにも時間が足りない、そういう努力の学究であった。

 さり気なく使っている「言葉」、しかしその「言葉」の構造を、言葉によって説明することの困難。「言葉」は「意味」を指しているようにも見えるが、逆に「意味」が「言葉」によって規定されることもあり、見つめれば見つめるほど「言葉」の機能の叙述は混迷を極める。たしかに「言葉」はある、しかし概念の枠におさめて把握できない困難を、著者はヴィトゲンシュタインの言語哲学と比べる。関口存男もこの語りえぬ何かへ文法という切り口からしぶとく取り組んだ。だから、タイトルは『ことばの哲学』である。

 関口文法を言語哲学の観点から捉え直す必要があるというのが本書を通じた問題提起だが、文学と語学とでは畑がだいぶ違うとのことで、筆致に少々遠慮も見られる。せめて専門家に注意を促す呼び水にしたいということらしい。ただ、言語哲学として正面から取り組むと、だいぶややこしいことになるだろう。池内さんの軽やかな筆先の中でさり気なく問題の核心をほのめかすというやり方も印象深くて良いと思った。

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