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2011年2月 6日 (日)

藤森照信『明治の東京計画』、御厨貴『首都計画の政治──形成期明治国家の実像』、越澤明『東京都市計画物語』

 藤森照信『明治の東京計画』(岩波現代文庫、2004年)は、近代国家草創期における首都・東京の都市計画をめぐって交わされた論争を描き出す。明治5年の大火で消失したのを機に文明開化の象徴となる表玄関に仕立て上げようと井上馨、イギリス人建築家ウォートルスらによって着手された銀座煉瓦街計画から近代日本における都市計画の歴史は始まる。ただし、当時の人々の使い勝手にはなじまず評判は悪かったらしい。明治10年代からは江戸以来悩まされてきた火事に対処するため防火計画が進められた。そして本格化する市区改正計画。都市の開放性という問題意識から、田口卯吉・渋沢栄一・松田道之(府知事)は築港論を提唱。次の府知事・芳川顕正は全国規模の交通ネットワークの収束点として東京を位置付ける考え方から道路面積の拡幅を目指す。帝都志向の内務省と商都志向の新興企業家(渋沢、益田孝)。結果としてどれが実現するでもなく、アイデアをまんべんなく取り入れる形で市区改正計画は策定された。他方、一度失脚していた井上馨が三島通庸と共に官庁集中計画を立て、外国人建築家を招聘。内務省主導の市区改正計画と外務省主導の官庁集中計画との対立、結局前者が勝ったが、こうした議論からは江戸以来の歴史を踏まえた変革か、それとも欧化主義かという近代日本の葛藤も浮彫りにされてくる。

 御厨貴『首都計画の政治──形成期明治国家の実像』(山川出版社、1984年)は、1880年代の首都計画をめぐる政治過程を分析。政府に対する批判勢力たる改進党を取り込むことで改進党‐東京市会と内務省‐東京府とが一致して首都計画を推進する体制が成立、これは後に帝国議会が開設されてから地方議会を媒介としながら政府と野党・自由党とが提携していく政治モデルの先取りであったと言える。こうして「行政の論理」が成立していくのに対してかみついたのが、発言力を失いつつあった元老院のうるさ型であり、旧明六社系、国粋保守派(欧化主義を批判)、旧官僚系(地方官僚として中央集権化を批判)それぞれ論点は異なるにしても「行政の論理」の押し付けに対して一致して批判の論陣を張った。つまり、首都計画を焦点として政治運営の論理と政治批判の論理とが正面衝突した場面が表れたところに政治史的意義が見出されるが、政府は計画を断行する。このような政治の外在的議論とはまた異なり、森鴎外が自然科学的観点から首都計画に対する内在的批判を行なったことも最後に指摘される。

 越澤明『東京都市計画物語』(ちくま学芸文庫、2001年)は、現在の東京で見られる街並や景観を作り上げた大正期以降の都市計画にまつわる経緯を紹介してくれる。水辺のプロムナード、街並木、住宅地のアーバンデザインや区画整理の背景、緑地、戦時下の防空体制、幻の環状三号線、東京オリンピックなどなど。東京を歩いていてふと気になる景観の変化や違和感を覚える謎のスポットなども、実は都市計画がうまくいかず取り残された場所だったという経緯があり、そうした背景を逐一解説してくれているのが面白い。関東大震災後に後藤新平が主導した帝都復興計画や日本敗戦後の戦災復興計画、予算上の問題からいずれも中途半端に終わってしまったことは周知の通り。本書の随所で著者は悔しさをにじませる。私も半ば同感だが、他方でそういう失敗も含めて意図せざる形で織り成されてきたのも都市の歴史なのだろう、中途半端が醸し出すキッチュもまた面白いかなと、私自身としては思っている。

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