リチャード・オヴリ『1939年:戦争へのカウントダウン』
Richard Overy, 1939: Countdown to War, Penguin Books, 2010
第二次世界大戦を描こうとすると膨大なものにならざるを得ないが、本書はその勃発直前の時期、すなわち、独ソ不可侵条約が結ばれた翌日の1939年8月24日から9月1日にドイツ軍がポーランド侵攻、3日に英仏両国が対独宣戦布告するまでの約十日間に焦点を絞り、主に英独間の交渉を検討しながら開戦の直接的原因を探る。
ヒトラーはポーランド領内のドイツ系住民多数派地域であるダンツィヒを要求、英仏がそれを何とか宥めようとしていた構図はズデーテン問題と同じである。結論から言うと、ヒトラーは強硬姿勢を示せばイギリスは折れると考え、ポーランドに対してはあくまでも局地戦のつもりで、英仏との戦争までは望んでいなかった。そこに交渉の余地もあったのではないかという可能性もほのめかされる。
ドイツ側にはポーランド問題でこじれるとヨーロッパ規模の戦争に突入することを危惧する勢力もあった。反ヒトラー派には交渉の成り行きによってはヒトラーの失脚につながることを期待する向きもあり、彼らは独自のチャネルを通して強硬姿勢を崩さないようにイギリス側と連絡を取った。さらにゲーリングを通じて妥協の打診もあり、このようにドイツ側でも意見が一致していない状況はイギリス側に楽観の雰囲気を生じさせる。ところが、ヒトラーは自らの意見で押し切り、複数のチャネルを通したドイツ側の別の見解はむしろイギリス側を混乱させるのに利するだけの結果となってしまった。また、途中でイタリアのムッソリーニが仲介役を買って出る場面もあり、これもさらに英仏側の混乱に拍車をかける。交渉の行方を見守っていたポーランド軍は防備体制を固めるのに遅れ、他方、ドイツ軍は極秘に攻撃準備を進めていた。
ドイツ軍のポーランド侵攻後、英仏側も最終的には対独宣戦布告を出し、これはヒトラーにとって意外なことであったが、英仏側には宥和政策的なためらいもあってタイムラグができる。ポーランド国民は狂喜して助けを期待したが、英仏はただちに軍事援助ができるわけでもなく、あくまでも自国の権益維持が最優先であって、ポーランドはチェコスロヴァキアと同様の犠牲となる。
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