与那原恵『わたぶんぶん──わたしの「料理沖縄物語」』
与那原恵『わたぶんぶん──わたしの「料理沖縄物語」』(西田書店、2010年)
「わたぶんぶん」とは、沖縄の言葉で、お腹いっぱい、という意味。新宿にあった沖縄料理店「壷屋」の肝っ玉おばあさん、著者の前著『美麗島まで』(文藝春秋、2002年/ちくま文庫、2010年)や『サウス・トゥ・サウス』(晶文社、2004年)にも出てきて非常に印象的な人だったが、本書もやはり彼女から沖縄料理の手ほどきを受けるところから始まる。沖縄料理ではラードが決め手となるという。手料理にまつわる言葉「てぃあんだぁ」とは、つまりお母さんの手のあぶらが料理をおいしくするということらしい。
基本的には沖縄料理エッセイではあるが、話題はそこにとどまらない。ブラジル移民が形成した沖縄系コミュニティーへの訪問記、戦後も石垣島に残った台湾人コミュニティーなどの話題も取り上げられている。台湾総督府によるサトウキビ栽培推進政策によって土地を失った台湾人が石垣島へ入植してパイナップル栽培を始めたという背景は初めて知った。
著者は東京生まれだが、まだ少女だった頃に沖縄出身の両親をなくしており、沖縄を身近には感じつつもよくは知らなかった。沖縄への旅はいつしか両親の面影を求める旅となり、さらに足跡をたどって台湾まで旅路は広がり、そうした経緯については『美麗島まで』に記されている。
母方の祖父にあたる南風原朝保、その弟で画家の南風原朝光、また縁戚にあたる古波蔵保好(本書のサブタイトルにある「料理沖縄物語」は、古波蔵の著作のタイトルからとられている)、旅行や取材で出会って世話になった人々、気の合った友人たち。様々な懐かしい思い出が、これから紹介しようとする沖縄料理の一品一品に触発されたかのように次々と流れ出てくる。両親の面影は、彼と彼女を生んだ沖縄文化へと重なり、さらに「壷屋」のおばあさんをはじめ著者を暖かく迎え入れてくれた人々すべてと、あたかも両親のように、家族のように心情的につながっている手応えを感じていく。本書で描かれているのは単に味覚としてのおいしさではなくて、こうした温もりある人間関係の中だからこそかみしめられた味わいなのだろう。
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