澤田典子『アテネ民主政──命をかけた八人の政治家』
澤田典子『アテネ民主政──命をかけた八人の政治家』(講談社選書メチエ、2010年)
アテネ民主政の特徴は、国家的危機に対してリーダーが必要であると同時に、特定の個人に権力が集中しすぎるのを出来るだけ避けようとする傾向も内包していた点にある。リーダーは常に何らかの手段によって市民を説得し続けなければならないという意味で直接民主政であったが、それは弾劾裁判によって時として死刑も含む失脚・落命のリスクと隣り合わせで、不断の緊張状態を強いるものであった。それにもかかわらず、第一人者としての名誉をかけてリーダーたらんとした政治家たち。本書は、時代状況の変遷に応じて彼らがどのように「説得」のあり方を変えてきたのかに着目しながら古代アテネ政治史における群像を描き出す。
テミストクレスの陶片追放は、むかし世界史の教科書を読んだときには僭主登場の抑止が目的だったと説明されていた記憶がある。ところが近年の研究では、初期アテネ民主政では貴族グループ同士の激しい政治抗争が常態となっていたため、クーデターや集団亡命に伴う血みどろの報復の連鎖を断ち切ってこうした抗争を平和裏に解決するためだったと解するのが有力らしい。
民主政初期では名門貴族出身の威信やストラテゴス(将軍)としての輝かしい戦功をもとに市民からの支持を得ていた。そうした中、ペリクレスは自身も名門出身ではあるが、民主政進展という社会状況を踏まえて弁論術による合理的・論理的な説得を通して不特定多数の市民に支持を訴える政治手法を導入、また富の市民への分配という手法も用いると同時に、財政上の公私の別を立てて公金の会計検査システムも確立したという。以降、伝統的威信を背景に持たなくとも弁論術でのし上がる政治家たちが現われ始め、彼らはデマゴーグと呼ばれた(この言葉に当時はマイナスの意味はなかったと指摘される)。
アテネが同盟市戦争で敗北後、国際的地位の低下によって軍事指導者が国政指導の重きに当たる必要性もなくなり(著者はここに直接民主政の真髄としての政治的アマチュアリズムの成熟を指摘する)、かつて頻繁に行なわれていた弾劾裁判も見られなくなったという。さらにマケドニアの圧迫下、今度は対マケドニア政策をどうするかが政治的争点となった際、デモステネスは反マケドニアの愛国主義に向けて弁論術を用いたことで知られる。
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