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2011年1月23日 (日)

大正デモクラシーについて何冊か

 大正デモクラシー研究でまず思い浮かぶのは松尾尊兌である。大正デモクラシーという言葉で総括される時代思潮について、松尾の議論では、日露戦争講和反対という形で大衆的な盛り上がりを見せた1905年から始まり、政治・社会・文化の各分野で表れた民主主義的・自由主義的傾向を指し、政治的には普通選挙による政党政治を求める運動となって(吉野作造の民本主義や美濃部達吉の天皇機関説などが理論的根拠)、1918年の原敬内閣の成立から元号では昭和に入るが1932年に五・一五事件で犬養毅首相が暗殺されて政党政治が終わるまでの期間に及ぶ。それは内に立憲主義であると同時に、始まりが講和反対運動として始まったことに顕著に見られるように外には帝国主義という二面性を持つものとして特徴付けられる。帝国主義的契機を克服できずファシズムに屈服した限界を指摘する一方で、民主主義・自由主義・平和主義といった戦後民主主義の要素はこの時期からすでに胚胎していたとしてそれらを掘り起こそうとする情熱もうかがえる。

 松尾尊兌『大正デモクラシー』(岩波現代文庫、2001年、最初の刊行は岩波書店、1974年)は概説的な叙述の中で、急進的自由主義としての『東洋経済新報』(植松孝昭、三浦銕太郎、片山潜、石橋湛山)、地方の市民政社の動向、茅原華山の雑誌『第三帝国』、「冬の時代」の社会主義、部落解放運動、普通選挙運動、民本主義の朝鮮論など大正デモクラシー期の多面的な動向を取り上げている。様々な人物群像を通して時代の大きな流れを示そうとするのが著者の筆致の特徴でもあり、『大正デモクラシーの群像』(岩波書店・同時代ライブラリー、1990年)ではルソー生誕二百周年式典に集まった面々を皮切りに、夏目漱石の持つ社会批判の一面、三浦銕太郎と石橋湛山の自由主義、憲法論からデモクラシーを根拠付けた美濃部達吉、吉野作造の中国革命論や朝鮮論、佐々木惣一、山本宣治などを、『大正時代の先覚者たち』(岩波書店・同時代ライブラリー、1993年)では内村鑑三と堺利彦、友愛会の鈴木文治、原敬の小伝、行動的アナキストの高尾平兵衛、京大の河上肇と佐々木惣一、瀧川事件に際しての岩波茂雄などが取り上げられる。

 鹿野政直『大正デモクラシーの底流──“土俗”的精神への回帰』(NHKブックス、1973年)は、一般大衆レベルに底流した精神史として大正デモクラシーを捉え返そうとしている。明治の文明開化以来進められてきた「近代化」政策、そうした明治的近代への反措定として登場した大正デモクラシーの近代的理念、いずれに対しても生活実感とのギャップを感じてくすぶっていた“土俗”的精神を汲み取り表現したものとして創唱宗教の大本教、地方における青年団運動、大衆文学として中里介山『大菩薩峠』を取り上げる。

 三谷太一郎『大正デモクラシー論──吉野作造の時代とその後』(東京大学出版会、1974年)は、大正デモクラシーを国家的価値に対する非国家的価値の自立化の傾向が現れたことで国家の再定義が必要となり、国家経営への国民参加の拡大が求められた時代精神として捉える。三谷もやはり日露戦争講和条約反対によって引き起こされた街頭騒擾を起点とし、1926年に至る政治的民主化過程において、政友会と藩閥勢力との政権交代の時代(桂園時代)から護憲三派内閣の登場によって政党間の政権交代の時代への転換、同時に無産政党の形成過程、両者の交錯点は1925年の普通選挙法制定に求められる。こうした背景として指導体制の多元化、国民の政治参加の範囲が徐々に拡大、相対的に言論の自由が拡大といった点を指摘。大正デモクラシーから胚胎した反政党的な「革新勢力」によって侵蝕・解体されつつも、政治的遺産として戦後民主主義につながるという視点はやはり上掲松尾の議論と同様である。こうした見通しを踏まえて、直接行動論によって「政治」=憲政や政党を否定した大正社会主義の捉えた「政治」観の変容、ウィルソン主義の影響に着目して大正デモクラシーとアメリカとの関係、思想家としての吉野作造(人間的現実を歴史の相の下に捉える歴史主義、相対主義。民本主義を踏まえて、対外的に応用した中国革命論や朝鮮論、日本史の中で位置付けようとした明治文化研究)などの論点が取り上げられる。他に、国際環境変動に対する日本の知識人の認識、『木戸幸一日記』についての論考も収録されている。

 伊藤之雄『大正デモクラシーと政党政治』(山川出版社、1987年)は、原敬内閣成立から犬養毅内閣で政党政治が終焉するまでの期間における政治過程について史料を踏まえながら実証的に分析する。当時における政策課題としての社会運動対策、経済問題、対中関係を主とした外交政策に注目しながら、政党と官僚系勢力もしくは政党同士の権力抗争の描写が中心となるが、同時に第二部では政党の基盤となっている地方政治の変動も考察し、個々の記述は微細にわたる一方で、中央・地方合わせて大正デモクラシー期に展開した政党政治の動態を大きく描き出そうとしている。

 酒井哲哉『大正デモクラシー体制の崩壊──内政と外交』(東京大学出版会、1992年)は、大正デモクラシー体制を国内的には政党内閣制、対外的にはワシントン体制とした上で1920~30年代を一体的に把握、満州事変、五・一五事件の衝撃はこの体制の終わりだったのではなく、崩壊過程の始まりであったと位置付ける。大正デモクラシー体制は当時の世界の中では相対的に安定した体制であり、従って内発的要因では崩壊しにくかった。むしろ外部の危機がもたらされたことで内政システムのバランスが変化、なし崩し的に崩壊が始まったと考える。すなわち、満州事変の衝撃が国内政治体制の深層へと構造化していくプロセス、及びそれを阻止しようとする試みとのせめぎ合いとして軍部・政府それぞれの内部における多元的力学やソ連要因に注目しながら分析が進められる。

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