【映画】「モンガに散る」
「モンガに散る」
1980年代後半の台北、日本でたとえると浅草とも言うべきコテコテの下町・艋舺(モンガ)が舞台。気弱な転校生が不良仲間と出会って高校を中退、義兄弟の契りを結んで極道の世界に入っていく。ところが、この台湾人中心の下町に外省人系の組織暴力団が進出を図り、いくつかの事件をきっかけに抗争が勃発、この混乱の中で義兄弟の契りを結んだはずの彼らも義理と裏切りの葛藤に直面する、という筋立て。いわば「ゴットファーザー」の台湾黒社会版にほろ苦い青春ストーリーを加味した感じだ。二時間以上の長丁場だが映像転換のテンポはスムーズで観ていて飽きさせない。
映画中の字幕で1986─87年の出来事であることが明示される。台湾はすでに高度な経済成長を遂げつつあった上に、長年続いた戒厳令が解除、間もなく蒋経国が死んで李登輝が総統に昇格、民主化も本格化しようという時期である。台湾史上、最も高揚感のあった時期と言ってもいいだろう。だが、この映画で描かれるのは、高校をドロップアウトした若者たち、報われないアウトロー、組織暴力団の攻勢を前に揺れる時代遅れのヤクザ、借金のかたに娼婦に身を落とした少女。上昇気分のあった時代にはかえって影が際立つ人々の姿、彼らはだからこそ互いに密な関わりを持とうともがく。それが報われるかどうかはともかく。
外省人暴力団の進出を受けて「大陸の奴らと手なんか組めるか!」「俺は北京語なんてしゃべれないよ」といったセリフからは、近年の台湾映画でよく見受けられるモチーフの一つ、族群政治(エスニック・ポリティクス)の影もうかがえる。ただし、監督自身は外省籍のようである。映画プログラムにある野林厚志氏の背景解説では、外省人ヤクザが艋舺のような下町に入り込もうとしている思惑には台湾本土化の趨勢にあって彼らも土着化を選択せざるを得なくなっていることが示されているという趣旨の指摘があり、興味を持った。
監督のニウ・チェンザー(鈕承澤)はもともと侯孝賢映画で子役としてデビュー、その後テレビ・ディレクターとして人気を博したが、スランプに陥った自分自身を題材にした映画「ビバ!監督人生!!」で復活、映画二作目の今作は台湾で「海角七号」に次ぐヒットとなったらしい。両作とも映画中に日本を示すモチーフが入っているのはどういう偶然か。ニウ監督は大の日本贔屓だという。艋舺の極道のゲタ親分には日本統治期世代の精神造型が表現されているというのだが、いまいちピンとこなかった(ちなみにゲタ親分役は「海角七号」にも出演、コテコテ“台湾オヤジ”として人気を博した馬如龍)。それから主人公の青年は、会ったことのない父親が日本から送ってきた絵葉書を形見として大切にして日本への憧憬を語るが、その絵柄は富士山と桜。ラストで血しぶきがその桜に変わるシーン、色合いがピンクの桜色ではなく、むしろ梅の赤色に近いのは、いかにも台湾的に解釈された日本イメージが象徴されているとも言えるか。
【データ】
原題:艋舺
監督・脚本:ニウ・チェンザー(鈕承澤)
2010年/台湾/141分
(2011年1月11日、新宿、シネマスクエアとうきゅうにて)
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コメント
遅ればせながら、
明けましておめでとうございます。
相変わらず、身体と歴史の難儀を刺激して来る良いblogだと(読み手の私が、B級御下品野郎であることを差し引いても)思いながら、読ませてもらっております。
映画、興味深いです。
韓国映画「チング」の時代背景と重ねてみたくもあります。
かつての大日本帝国の拡げた土地に対する当時の過熱した旅行とその“歩き方指南”の検討とともに、その植民地本国人の“歩きっぷり”を辿る紀行を読んでみたくもあります。
投稿: 山猫 | 2011年1月11日 (火) 22時07分
あけましておめでとうございます。ご無沙汰してました。
(前のコメントにお返事してなかったのは、無視したわけじゃなく、どういうふうに書いたらいいのか迷ってたら時間が経ってしまったもので…。他意はないのでご理解を)
そうそう、ご指摘の「チング」、この「モンガに散る」を観ながら思い出してたんですよ。時代的にも共通すると思いますし、見比べてみるのも面白いかもしれません。
投稿: トゥルバドゥール | 2011年1月11日 (火) 22時19分