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2011年1月18日 (火)

張文環『地に這うもの』

張文環『地に這うもの』(現代文化社、1975年)

 舞台は台湾南部・嘉義に近い山村。日本の植民地支配下、やがて皇民化政策が強められていく時代。村の顔役として台湾土着社会と統治者側との接点にあって改姓名を選択した家族・陳家をめぐる人々を中心に、彼らの暮らした生活光景と各人各様の心理的葛藤とを描いた大河小説的構成の小説である。なお、本書は日本語で書かれている。

 かつて台湾社会には“媳婦仔”と呼ばれる習慣があった。息子の嫁にすることを前提によそから幼女をもらい受けるのだが、幼い頃から事実上の労働力としてこき使われることにもなった。本書の主人公の一人である陳啓敏が駆け落ち同然に一緒になった秀英及びその連れ子の阿蘭の二人の姿からは、そうした陋習の束縛から女性としての自立を目指す葛藤が描かれている。当時の台湾における日常生活の中で “伝統”と“近代”との相克が最も明瞭な形で表れていたテーマだったと言えるだろうか。

 “近代”のもう一つの問題はコロニアリズムであり、それは日常生活レベルでは言語の問題で直面した。公学校を中心とした「国語」(=日本語)教育、「国語」常用家庭の顕彰、改姓名、さらに一連の皇民化政策。日本人になろうとしてもなれず、かと言って台湾人にも戻れず、宙ぶらりんの葛藤。例えば、次のような一文があった。「台湾はいたるところで、言葉上のまちがいが、日本人と台湾人のあいだのギャップになっていることが非常に多い。そのうえ台湾人は日本語があまり上達しない反面、繊細な感情をあらわす台湾語もやがてなくなるであろう。いつまでも蜜柑皮式な日本語をつかいながら、台湾語の語彙が失われつつある」(120ページ)。蜜柑皮式な日本語とは本書中のエピソードで、日本人に向かって「蜜柑の皮をむいてください」という意味のことを伝えるのに「蜜柑、皮、サヨナラ」とたどたどしい言葉遣いを指す。また、陳啓敏の義弟・陳武章はエリートとなり、敢えて改姓名を選んだため兄の陳啓敏まで日本名を名乗らざるを得なくなってしまったが、彼は日本語が苦手なのでいつもハラハラして落ち着かず、精神的負担が大きかった。植民地における統治階級には近づくものの、それにはなりきれず、同時に土着感覚からも切り離されてしまった不安感が吐露される。

 張文環(1909~1978年)は日本統治期台湾における代表的な作家の一人で、重厚なリアリズムが作風の特徴とされる。嘉義に生まれ、公学校卒業後は日本へ渡り、東洋大学へ入学。東京で台湾人の民族主義・社会主義の思潮に触れ、王白淵・巫永福らと共に台湾芸術研究会を組織、文学雑誌『フォルモサ』を刊行。1938年に台湾へ戻り、台湾映画株式会社に入社、かたわら文筆活動も続けた。西川満を中心とした雑誌『文藝台湾』に対抗する形で雑誌『台湾文学』を立ち上げる。1942年には西川満、浜田隼雄、龍瑛宗と共に第一回大東亜文学者大会に参加、1943年には皇民奉公会第一回台湾文学賞を受賞。戦後は創作活動をやめて実業に専念し、彰化銀行などに務めた後、日月潭観光大飯店を経営。本書『地に這うもの』は絶筆後30年を経て刊行された。

 彼の経歴には大東亜文学者大会、皇民奉公会などとの関連も見られるが、それは時代状況の中で逃れられないものであった。彼の作品を読めば、自身の自然な感情表現が植民地的状況の中で難しくなっている葛藤を、他ならぬ押しつけられた外国語=「国語」=日本語で表現せざるを得ないという二重の困難がうかがえる。さらに彼を作家として苦しめたのは、戦後、新たに「国語」となった中国語の問題である。当時、台湾の作家は書き言葉としての日本語から中国語への転換に随分苦労したと言われる。台湾語は書き言葉として洗練されていなかったし、急激な中国語化政策には台湾人における中華民族イデンティティ確立という政治的意図もあった。その上、張文環は1947年の二・二八事件で逃亡生活せざるを得なくなったことがあり、そうした体験から国民党政権と共にやって来た北京語を抑圧の象徴とみなして拒絶したとも指摘される(周婉窈《海行兮的年代──日本殖民統治末期臺灣史論集》允晨文化出版、2003年→こちら)。日本語・中国語、いずれにしても素直に自身の感情表現をしていける言語的手段を獲得すること自体が難しかった悲劇。彼が日本語で創作を行なった裏にはそうした心情表現と使用言語との葛藤が常につきまとっていたことを見逃してはならないし、それは彼に限らず同世代の多くの台湾人についても言えることであろう。

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