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2011年1月25日 (火)

藤原保信『大山郁夫と大正デモクラシー』

藤原保信『大山郁夫と大正デモクラシー』(みすず書房、1989年)

・大正デモクラシーにおいて吉野作造と共に民本主義の旗手として注目を浴び、その後はマルクス主義へと接近した大山郁夫。本書は、彼に思想上の転換を促した論理構造への理解を通して大正デモクラシー期における時代思潮の一側面をうかがおうとする。著者の先輩だからだろうか、早稲田精神なるものも強調されている。

・大山郁夫は1880年、兵庫県赤穂の開業医・福本家に生まれたが、大山家の養子となる。神戸商業学校を経て東京専門学校(在学中に早稲田大学となる)に入学。植村正久の教会で洗礼を受ける。1910~1914年までシカゴ大学(社会学のアルビオン・スモール、公法学のフロイント、政治学のメリアムに師事)、ミュンヘン大学へ留学。帰国後、早稲田大学教授。1919年、長谷川如是閑らと共に雑誌『我等』創刊。1926年、早大教授を辞して労働農民党委員長。以降は本書の対象範囲から外れるが、1930年に代議士当選、労農党解散後は1932年にアメリカへ亡命、ノースウェスタン大学教授。1947年に帰国、早大教授に復職。1950年、社共統一推薦で参議院議員当選。1951年、スターリン平和賞。1955年に他界。

・当初は政治的機会均等主義を主張:民衆の台頭という社会状況を踏まえ、選挙権の拡大と、普通選挙を通して多数を獲得した政党による内閣の組織が必要。民衆を政治の客体から主体へと転換させる。社会的分業としての職業政治家の存在→彼らをチェックする国民の政治意識を高める必要→客観的な啓蒙に学者の役割。政治における精神的・道徳的意義を強調する人格的理想主義→その論拠は「生の欲求」「生の創造」に求められた。

・理想主義の一方で、国民的統合として民本主義を捉える視点も持っていた。また、国際社会では力の論理が厳然として作用していることを認め、マキャベリズム・現実的対応の必要も指摘。デモクラティックな国内体制を取る諸国を単位とした国際協調主義→リベラルな国際協調主義と民族主義は両立する。極端な国家主義、極端な自由主義の両方に反対→自由主義、民主主義を介した国家主義という考え方。

・1919年以降、第一次世界大戦後の社会状況の変化に伴って彼も思想的展開を示し、マルクス主義へと接近し始める。当初は人格的理想主義に基づき「人心の改造」を政治の前提に置いていたが、やがて「制度の改造」が先決だと考え始める。理論と実践との統一として現実政治に乗り出し、労働農民党委員長に就任、総選挙に出馬。科学としての政治学を提唱→社会法則の探究、多元的な集団闘争として政治現象を把握。これらも学問論であると同時に、改造という政治的実践に向けての前提であったとも考えられる。マルクス主義へと接近する一方で、政治を価値的に正当化する人格的理想主義は一貫して持続していたとも指摘される。

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