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2010年2月21日 - 2010年2月27日

2010年2月27日 (土)

浜渦哲雄『イギリス東インド会社──軍隊・官僚・総督』

浜渦哲雄『イギリス東インド会社──軍隊・官僚・総督』中央公論新社、2009年

 イギリス東インド会社の組織システムに注目してその変遷をたどった概説書。むかし世界史の授業では、東インド会社の失政→セポイの反乱→イギリス政府が直接統治に乗り出した、と習った覚えがあるが、実際には反乱が起こった時点ではすでにイギリス本国政府との共同統治方式になっており、会社は失政の責任を負わされる形で解散させられたらしい。

 東インド会社はもともとエリザベス女王時代の特許状によりアジア交易を独占的に行う商人たちの組合として出発、航路独占を自力で確保するため軍隊を持ち、プラッシーの戦い以降は領域支配まで担った特異な株式会社であった。株主対策として社員の給与水準が低く抑えられていたため不正蓄財が横行、本国議会で問題視されて規制のため本国政府が介入、会社の権限は徐々に縮小されていく。商業組織と政治組織、二つの性格が重なり合っていた点にこの会社の分かりにくさがあるが、その比重の移り変わっていく過程を本書は整理してくれる。見方を変えれば、商業目的として始まった制度が長い時間的経過の中で政治組織として換骨奪胎され、現在のインド政府に至っているとも言える。東インド会社のモダナイザーとしての役割が現在のインドの経済的発展にもつながっていると指摘されるが、その根拠について明示的な議論がないのが気になった。

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2010年2月25日 (木)

ドミトリー・V・トレーニン『ロシアを正しく理解する』

Dmitri V. Trenin, Getting Russia Right, Carnegie Endowment for International Peace, 2007

 本書は、ロシアの今後の動向を考える前提として、現代ロシアの社会経済的状況を概観(価値観は良くも悪くもソ連時代とは異なって個人主義的傾向が強まっているという)、さらに正教会分立からソ連崩壊に至るまでの歴史を西欧との関係を軸にして簡潔に分析。その視点の背景には、そもそもロシアはヨーロッパなのか?という問いが伏在している。ページ数としては薄い本だが、内容的には濃密に充実している。著者はカーネギー国際平和財団モスクワセンター所長。

 ソ連崩壊後、NATOの拡大傾向は東欧にまで及び、旧ソ連圏のウクライナやグルジアでも加盟への期待感が高まったが、こうした動きはどんなに最大限見積もってもロシア国境で止まる(欧米側にはロシアに対する敵意はないが、ロシア側は過剰反応してしまっているというギャップが指摘される)。東方正教会の分立によるキリスト教世界の分裂、19世紀におけるヨーロッパの憲兵、20世紀における共産主義の旗頭、いずれにしてもロシアは歴史的にヨーロッパの一員というよりは対抗関係にある大国として自己規定してきた。

 本書は地理的・文化的アイデンティティーとしての「ヨーロッパ」と文明としての「西洋」(the West)とを使い分けている。ここで言う「西洋」については、ヨーロッパに起源を持つ資本主義及びこれを成り立たせる要因としての私有財産、法の支配、政府のアカウンティビリティーなど近代的制度が念頭に置かれており、非「ヨーロッパ」でも自分たちの文化的特徴を維持しながらこうした意味での「西洋」にはなれると言う。明治維新以降の日本、ケマル・アタチュルクによって世俗的近代化が進められたトルコ、現在経済的に台頭しつつある中国やインドを具体例として挙げ、著者は「新しい西洋」(the New West)と呼ぶ。そして、経済発展の後に民主化はついてくるという発展段階説的な立場を取る。

 以上を踏まえて、ロシアは「ヨーロッパ」には入らないが、ただし「西洋」にはなりつつあるという主張に本書のポイントがある。欧米はロシアの権威主義的政治体制への悲観論から民主主義に失敗した国とみなしがちであるが、むしろ台頭しつつある資本主義国としての側面に注目し、ロシアを脅威視するのではなく国際政治経済の枠組みの中に組み込んでいくことで、しばらくは試行錯誤が続くにしても将来的には国内の民主化も進むはずだという展望を示す。

 なお、トレーニンは“Russia Reborn,”Foreign Affairs, vol.88 no.6,(Nov/Dec 2009)という最近の論文でロシアがキャッチ・アップすべき目標としてヨーロッパではなく中国、日本、韓国など東アジア諸国を挙げ、「もしピョートル大帝が生きていたら、バルト海(つまり、ペテルブルク)ではなく日本海側に遷都するだろう」という面白い言い回しをしていた。

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2010年2月24日 (水)

ニコラス・トンプソン『タカ派とハト派:ポール・ニッツェ、ジョージ・ケナンと冷戦史』

Nicholas Thompson, The Hawk and the Dove: Paul Nitze, George Kennan, and the History of the Cold War, Henry Holt, 2009

 核抑止論に立脚して軍備増強を主導したポール・ニッツェ(Paul Nitze)と、それは際限なき軍拡競争を招いてしまうと批判したジョージ・ケナン(George Kennan)。方やウォール街出身の実務家としてトルーマンからレーガンまで歴代政権のスタッフとして活躍、方や外交官出身の歴史家。考え方も身の処し方も相異なる二人だが、個人的には非常に緊密な親友同士であったという。

 本書は、冷戦期におけるアメリカ外交政策の基本方針を理論的に基礎付けたこの二人の交友関係を軸として、第二次世界大戦の終結からソ連崩壊に至るまでのアメリカ外交史を描き出す。二人の考え方に代表させる形で核戦略をめぐる議論の構図が明瞭に浮き彫りにされるだけでなく、多彩な人物群像のエピソードも活写されてとても面白い歴史書だ。著者はニッツェの孫にあたるが、二人には等距離から向き合う(どちらかといえばケナンの方に肩入れしているような印象すら受ける)。ニッツェと同様の核抑止論で華々しく注目された若僧のキッシンジャーにニッツェは嫉妬していたらしい。親父もソ連も大嫌いでアメリカに亡命したスターリンの娘スヴェトラーナがケナンのもとに身を寄せていたのは初めて知った。

 ケナンはソ連問題の専門家であり、有名なX論文ではソ連=ロシア帝国の内在的ロジックが共産主義イデオロギーと結び付いた膨脹主義を指摘、「封じ込め」(containment)政策を提唱して注目された。ただし、それはプロパガンダ合戦や周辺国への援助などの政治的意味合いが強かったにもかかわらず、ケナンの当初の意図から外れてこの「封じ込め」という言葉だけが独り歩きを始め、軍事的意味合いが強くなってしまったことに彼は不満を抱いていた。

 ニッツェはフォレスタルの推挙で政権入り、日本敗戦後に戦略爆撃調査団の一員として来日、広島の惨禍は彼の脳裡に強くこびりついた(なお、彼は近衛文麿の尋問も行なった。報告書では、戦争末期の日本の政治指導層は分裂しており、いずれ降伏せざるを得ない状態にあった、従って原爆投下は不要であったと結論付けたが、国務省には無視されたらしい)。他方で、ソ連が核開発に成功、これが核兵器の威力そのものへの恐怖心と結び付き、アメリカへの核攻撃を回避するためには常にソ連に対して軍事的に優位に立っていなければならないと考える(核抑止論)。この場合、アメリカは核兵器をうまくハンドリングできるし、ソ連の野心を抑えるのが目的で先制攻撃には使わないから大丈夫というのがニッツェの前提だが、これに対してケナンは、そんな保証はあり得ないし、そもそもアメリカの核兵器における優位はソ連側にアメリカが先制攻撃をしかけるのではないかという猜疑心を煽って軍拡競争が激化してしまうと批判することになる。ただし、ニッツェにしても核攻撃の回避が基本動機なのでソ連との軍縮交渉も積極的に進めた。ABM条約、SALTⅠ協定の実質的な準備はニッツェが行なったし、レーガン政権でのSTART交渉には彼自身を長年呪縛してきた「ゴルディウスの結び目」を解こうという意気込みで取り組んだ(ただし、彼の在任中には成功せず)。

 キッシンジャーによるデタントはケナンが意図した「封じ込め」の考え方に近いという指摘が目を引いた。ニッツェにとっての「平和」とは、アメリカの力を全世界にのばすことで攻撃回避を目指すものであったのに対し、ケナンやキッシンジャーにとって「平和」は、アメリカ自身のもろさを前提としてバランス・オブ・パワーを注意深く扱うところに求められた。言い換えると、ニッツェのような「タカ派」(the hawk)は自国の強さを追求する理想主義者としての側面が強く、対して(キッシンジャーはともかく)ケナンのような「ハト派」(the dove)は自国の弱さの自覚から出発するリアリストであったところに二人の相違が見出される。

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2010年2月21日 (日)

ティモシー・ライバック『ヒトラーの秘密図書館』

ティモシー・ライバック(赤根洋子訳)『ヒトラーの秘密図書館』文藝春秋、2010年

 ヒトラーが独学で系統立ってなかったとはいえ読書家だったことはよく知られている。本書はドイツ敗戦後に持ち去られて世界各地に散らばっているヒトラーの蔵書を調べ上げて彼の読書傾向を再構成、余白の書き込みやアンダーラインまで目を通し、時には手垢のつき具合まで確認したりして、読書というアングルから彼の人物像を描き出したノンフィクション作品。

 有名な話ではあるがやはりエセ科学やオカルトの本が多いな。ナチズムのイデオローグとして悪名高いアルフレート・ローゼンベルク『二十世紀の神話』をヒトラーは嫌っていたらしい。ペダンチックで何を言いたいのか理解不能だから。そのヒトラーの『わが闘争』も、ナチスの幹部たちは実は読んでいなかった。ヴァチカンはナチスの反キリスト教的性格を憂慮しており、ナチスにカトリックの要素を注入して「善導」しようと画策してカトリックの司教アロイス・フーダル『国家社会主義の基礎』なる本を出したというのは初めて知った。色々な意味でオカルト的思想闘争が繰り広げられていたのが窺えて興味深い。

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サラ・レイン『中国のアフリカ挑戦』

Sarah Raine, China’s African Challenges, Routledge, 2009

 国際戦略研究所(IISS)Adelphisシリーズの一冊。アフリカの資源獲得を目的とした中国の経済活動はこれまで欧米企業が行なってきたのと基本的な構図は同じであるにもかかわらず、欧米のマスメディアを中心に中国非難の声がこれほどまでに高いのは、中国の存在感の高まりがあまりに急激だからであろうか。本書はそうした中国非難はもはや時代遅れだという。中国が現実としてアフリカでのインフラ整備をはじめ具体的な成果をあげていることは否定しようのない事実であり、それに代わる方法を西欧は持ち合わせていない。むしろ、この中国が果たしている積極的な役割を受け止めた上で、そのプラス面・マイナス面の両方から教訓を引き出し、将来的に持続可能なフレームワークをいかに形成し、その中に中国をいかに組み込んでいくかというのが本書の問題意識である。

 中国政府の権威主義的性格から対アフリカ政策も一元的に遂行されているかのように思われやすいが、実際には政府・国営企業と民間企業との間、さらには政府機関同士、国営企業同士、民間企業同士の対立・競合があって多面的であり(競争→コストカットという側面もある)、政府のコントロールが行き届いてないという。アフリカで中国企業が引き起こしているトラブルが中国の対外的イメージダウンにつながっていることに政府上層部や知識エリートは気づいているが、労働待遇の悪さや環境問題は対アフリカ問題以前に中国自身の国内問題でもあり、中国自身が問題の複雑さになかなか身動きが取れていないという印象も受ける。

 アフリカで展開する中国の経済活動のプラス面としては、①援助依存よりも貿易の方がアフリカの発展に適合的である具体例を示したこと、②世界銀行・IMFによる自由化改革圧力の失敗を受けて、政府機関主導の経済活動の有効性(北京コンセンサス)、③中国自身の「グローバル・サウス」(Global South)としての自己規定→イコール・パートナーシップとして信頼を得やすかったことなどが挙げられる。また、中国の非干渉主義の態度は、一面においてアフリカの独裁国家の延命を助けているという批判もあるが、他方で、そうした独裁者は西欧が何を言おうとも反発するばかりで、そこに中国が仲介役を果たす余地もあり得る(スーダンやジンバブエの問題で中国は、少なくとも以前よりは協力的になりつつあるらしい)。西欧はアフリカ問題で中国と対立するのではなく協調関係を取ることで共通のフレームワークをつくって利害問題ばかりでなく地域紛争、崩壊国家、テロリズムなどグローバルな課題にも取り組み、さらにこのアフリカを舞台とした話し合いの中でグッド・ガバナンス、人権、民主化などのテーマに関しても中国を巻き込んでいくべきだという方向性が示される。

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