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2010年2月7日 - 2010年2月13日

2010年2月13日 (土)

飯島渉『感染症の中国史──公衆衛生と東アジア』

飯島渉『感染症の中国史──公衆衛生と東アジア』中公新書、2009年

 ペスト、コレラ、マラリアなど感染症の流行に対する取り組みが東アジアの政治・社会にもたらした変容が描かれる。単なる疾病対策というのではなく、統治技術でもあるという二面性に焦点が合わせながら、個々の具体的な動きが整理されており、興味深く読んだ。日本が植民地台湾で実施した西洋医学に基づく公衆衛生制度(公医制度・保甲制度→警察との結びつき、医学校設置→台湾人エリートの誕生)は、台湾人社会への権力的介入をもたらした(→社会システムの再編)。この制度は他の植民地に応用されたばかりでなく、中華民国もモデルとして積極的に導入した。中国にとってはナショナリズム→主権国家として検疫権の回収という問題でもあった。文明/野蛮に二項対立に衛生/非衛生という差別意識も加わったことも指摘される。

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2010年2月12日 (金)

ポール・ジョンソン『チャーチル』

Paul Johnson, Churchill, Viking, 2009

 ウィンストン・チャーチルのエネルギッシュな生涯を描いた伝記。イギリスの歴史家の書く伝記というのは微に入り細を穿って浩瀚なボリュームに圧倒されることもあるが、本書はポイントを絞って叙述の流れをつくり、ストーリーテリングもうまいので気軽に読める。第二次世界大戦におけるリーダーシップを山場に、そこに至るまでの紆余曲折をたどる構成。戦間期、議席を失い、株価大暴落で資産も失い、平和主義世論の中で彼の強硬論はエキセントリック扱いされるという逆境にあった。ヒトラーの台頭に伴って再び注目を集めて強力な戦争指導者として表舞台に返り咲くあたりの描写はグイグイと引き込まれる。ただし、あまりにチャーチル大絶賛なので若干興醒めもした。ポール・ジョンソンは日本でも知られた歴史家だし、分量的にも手頃なので、日本語訳も出るのではないか。

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2010年2月11日 (木)

金賢娥『戦争の記憶 記憶の戦争──韓国人のベトナム戦争』

金賢娥(安田敏朗訳)『戦争の記憶 記憶の戦争──韓国人のベトナム戦争』(三元社、2009年)

 ベトナム戦争といえばまずソンミ村の虐殺事件が印象に強いが、同様に韓国軍によって行なわれた民間人虐殺について現地で遺族から聞き取りをした記録である。韓国の参戦は李承晩政権の時から検討されていたらしいが(当時はインドシナ戦争)、朴正熙政権はクーデターで成立したという正統性の欠如を意識して、アメリカの支持を得るため積極的だったという。

 韓国軍があくまでも戦闘行為の過程での事故だったという状況論理で逃げるのは当然予想されたにしても、他方でベトナム政府も「過去に蓋をして未来を見よう」という方針を出しており、その狭間でかき消されかねない記憶を一つ一つ聞き取っていく。著者も最初は「本当に民間人だったのか? ベトコンだったのでは?」と疑問を投げかけたが、やがてその質問そのものがはらむ残酷さに自ら戸惑う。事実を事実として認めることを拒む何か、当時における「反共聖戦」プロパガンダは否定したとしても、朝鮮民族は他国を侵略したことなどないという「神話」が自分の中にもあったことに気づく。参戦軍人たちのPTSDとも言うべき苦悩にも目は向けられる。

 著者は日韓関係にわだかまる従軍慰安婦問題でも聞き取りを行なっている。彼女たちがつらい過去を語ることの困難に悩む姿をベトナムの遺族たちにも重ね合わせ、歴史の真実を本当に考えようとするなら、韓国自身の問題も直視しなければならないと真摯に問いかける。

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2010年2月10日 (水)

ジャック・プレヴォタ『アクシオン・フランセーズ:フランスの右翼同盟の足跡』

ジャック・プレヴォタ(斎藤かぐみ訳)『アクシオン・フランセーズ:フランスの右翼同盟の足跡』(白水社・文庫クセジュ、2009年)

 普仏戦争に敗れた結果として生まれたフランス第三共和政、政教分離政策、ドレフュス事件、こうして伝統主義勢力が劣勢に立たされる中、アクティブな活動を展開した雑誌『アクシオン・フランセーズ』(1908年創刊)。政治的には傍流だったが、知的活動は活発だった。シャルル・モーラスを中心に、この活動の後世への影響も含めて簡潔にまとめられている。

 モーラスは教権擁護だったが、彼の政治第一主義はかえってローマ法皇ピウス11世との齟齬を来たしたというのが興味深い。ナチス占領下ではフランス国家のひたすらな回復を求める考え方からヴィシー政権のペタン元帥を支持。戦後は裁判にかけられ、有罪判決を受けたとき、「ドレフュスの復讐だ!」と叫んだという。モーラスの本領は文芸批評にあったこと、民主政体における国家の権威という難問を突きつけたこと、フランス社会に沈潜していた不安に応えていたことなどが指摘される。

 フランス右翼関係では、以前に剣持久木『記憶の中のファシズム──「火の十字団」とフランス現代史』(講談社選書メチエ、2008年)を取り上げたことがある(→こちら)。福田和也『奇妙な廃墟』(ちくま学芸文庫、2002年)は、読もう読もうと思いつつ、まだ手に取っていなかった。

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2010年2月 9日 (火)

ヴァーリ・ナスル『ザ・シーア・リヴァイバル:イスラム内部の衝突がいかに未来を決めるか』

Vali Nasr, The Shia Revival: How Conflicts within Islam Will Shape the Future, Norton, 2007

 全世界ムスリム人口のうちスンニ派が9割を占めるのに対してシーア派は1割ほど。本書は、両者の対立の歴史的起源から説き起こし、その経緯を政治史的・思想史的に整理した上で現代における中東紛争の構図を提示する。宗教的教義だけでなく、文化、民族、国家、欧米への態度(とりわけ反米)、様々な要因が複雑に絡まりあい、しばしばシンボル操作も伴って、そこから生じるダイナミズムが中東を舞台とした壮大なアイデンティティ・ポリティクスを展開していると言えるだろうか。イラン・イスラム革命とイラクのサダム・フセイン政権崩壊によって、これまでスンニ派によって押さえつけられてきたシーア派が台頭、こうした事態をスンニ派は脅威と受け止め、両者の対立がこれまでにないほど高まりつつあるというのが本書の示す見通しである。

 第4代カリフ、アリの一族がウマイヤ朝によって殺害され、前者をしのび続けたのがシーア派、後者の世俗的権威を承認したのがスンニ派というのは高校世界史レベルの知識だろう。アリの息子フセインの殉教は自己犠牲の美徳としてシーア派の精神的源泉となった。それはキリストの受難(passion)と同様の意味を持ち、フセインの殺されたカルバラ(Karbala)はシーア派の聖地となっている。建前としては信徒の平等、しかし実際にはアラブ人の優位→イラン人がシーア派にひかれた一因のようだ。スンニ派がイスラム法の解釈に重きを置くのに対して、シーア派は信仰の外的意味と内的スピリチュアリティとを分けて後者を重んずる。それは、アシュラ(Ashura)の熱狂的祭礼に具体化。スンニ派の中でも心理的バランスをとるかのように内的スピリチュアリティへの探求はスーフィズムという形を取った。スンニ派のうち最も厳格な立場を取るワッハーブ派はシーア派とスーフィズムの両方を否定(なお、イラン革命後のアヤトラたちも教義の純粋化を求めて敬虔主義的な志向性を軽視→シーア派の「スンニ」化が指摘される)。第12代イマーム、ムハンマド・アル・マフディ(Muhammmad al-Mahdi)が夭逝→「お隠れ」になった→その再臨待望がシーア派の教義となっており(十二イマーム派)、ユダヤ・キリスト教のメシアニズムに近いという指摘が興味深い。再臨待望思想は現世の苦難を耐える受身の態度につながり、スンニ派支配にも甘んじることになる。また、シーア派には階層的ヒエラルキーはなく、宗教的権威の多元性も特徴である(この点でホメイニは例外的)。

 ホメイニは哲学的にはシーア派的神秘主義による二元論→超越的な真理を知り得るのは「法の守護者」たるウラマーだけ→「ヴェラーヤテ・ファギーフ」(イスラム法学者の支配)はプラトン的哲人政治の形をとった。同時に、シーア派アイデンティティに訴える一方で、その精神的伝統としての敬虔主義的なスピリチュアリティ(例えば、アシュラ)は軽視した(つまり、シーア派の「スンニ」化)。イラン・イスラム革命の大衆動員にあたって「赤いシーア派」(Red Shia)「イスラム的マルクス主義」(Islamic Marxism)が大きな役割を果たしたというのが興味深い。イスラム革命直前に死んだアリ・シャリアティ(Ali Shariati)は獄中で左翼活動家と議論、彼らの唯物的無神論は承服しかねるが、『共産党宣言』を読み、社会的正義を求めて行動すべきという点ではシーア派の教義に通ずるものを見出す→イマームの再来を待つのではなく、積極的に行動をおこせ!→立場的にラテンアメリカにおけるカトリック神父たちの「解放の神学」と同様で、若手の支持を得た。つまり、ホメイニに体現された宗教的価値と、シャリアティが示したシーア派的マルクス主義における大衆動員の組織化、第三世界論、貧困の解消、中央集権体制など左翼イデオロギーとが結びついて革命運動が形成された。ホメイニは革命の輸出を目指す→しかし、イラン革命はシーア派がおこしたものであり、スンニ派にはアピールできない→論点を宗教的問題から外して、反帝国主義、反イスラエルなど世俗的テーマに訴えた。こうした流れの中でレバノンにヒズボラを創設。

 ワッハーブ派を国是とするサウジアラビアはイランの台頭を脅威と受け止め、まず、イラン・イラク戦争ではサダム・フセインを支援。また、潤沢なオイルダラーをつぎこんで世界各地のスンニ派の学校を支援、それは資金的と同時に思想的な影響→シーア派台頭への対抗戦略としてファンダメンタリズムを拡散させた。そうした流れの中からアル・カイダやタリバンが現われた。シーア派人口が一定数以上存在するレバノン、バーレーン、パキスタン、アフガニスタン、そしてサウジアラビアのお膝元でもスンニ派・シーア派の対立から政治的地殻変動が生じ始める。

 シーア派台頭の第二段階がアメリカによるイラクのサダム・フセイン政権崩壊である。バース党は世俗的ナショナリズムに立脚するが、実質的には少数派のスンニ派がシーア派を支配する構図だった(イラクの人口はシーア派が多数を占める)→フセイン政権崩壊でシーア派が勢いづき、スンニ派はますます警戒心を強める。この時も1980年代と同様にイランは反米・反イスラエルを呼びかけたが、スンニ派の反シーア派感情は拭えない→スンニ派はシーア派に対してテロ活動。

 こうしたイラク情勢の中で、本書はシーア派の宗教指導者シスタニ(Sistani)の存在感に注目する。彼は宗教的には保守派だが、シーア派本来の非政治性(静寂主義と批判された立場)からアメリカ・反米活動の双方から距離を置き、あくまでも自分は仲介役というスタンスをとった。また、イラクではシーア派が人口的に多数→多元的民主政は悪くない選択肢→一人一票の選挙を通した合意によって新しい体制をつくるべきことを主張(この主張はレバノンやバーレーンのシーア派にも影響→ヒズボラが選挙に参加、バーレーンでは民主化要求)、女性にも積極的な政治参加を呼びかけた。また、スンニ派のテロがあっても内戦回避のため抑制をシーア派に呼びかけた。シスタニを例にとって、ホメイニとは違ったタイプのリーダーシップもシーア派にはあり得ることが指摘される。

 イラン内部の多元性の指摘も興味深い。支配者層は宗教者である一方で、若者や中産階級は近代志向(→イラクとの交流が深まれば、この層が影響を及ぼす可能性もある)。また、ホメイニ体制ではシーア派伝統の敬虔主義は軽視されていたが、近年は敬虔主義への回帰現象も見られるという。近代志向の人々が選挙でハタミを支持して現体制への異議申し立てを示したのとは別の形による伝統派からの異議申し立てと指摘される。他方で、イランの地域大国意識は核保有を目指す強硬姿勢にもつながっているし、何よりもスンニ派との緊張は楽観的な見通しを許さない。

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2010年2月 8日 (月)

上原善広『日本の路地を旅する』

上原善広『日本の路地を旅する』(文藝春秋、2009年)

 もう十年近く前になるか、熊野の新宮に行ったことがある。中上健次に特に思い入れがあるわけでもなかったが、せっかくここまで来たのだから彼ゆかりの地を歩いておこうと思い立った。すでに夕方五時過ぎ、薄暗くなり始めた頃合だった。中上作品に登場する「路地」だったとおぼしき場所へ行くと、真新しい公営住宅が整然と並んでいる。一角に社会教育会館があり、中に入ると玄関ホールに中上に関する展示があった。時間も時間だから職員らしき人は見当たらず、警備員の方に中上の生家はどこか尋ねてみたら、だいたいの場所を教えてくれたが、「記念碑とかそういうのは何もありませんよ」と付け加えられた。

 本書の「路地」とは、中上の表現による被差別部落のことである。北海道から沖縄まで日本全国の路地を旅して、それぞれの歴史的由来と、そこで出会った人々との語らいがつづられている。彦根藩では藩をあげて牛屠が行なわれていて、明治になって東京に進出、近江牛ブランドが有名になったこと、沖縄のエイサーと遊行芸人としての京太郎とのことなどは初めて知った。吉田松陰に身分解放の思想を見出す指摘にも興味を持った。

 著者自身も同様の出自であることを明かすと胸襟を開いて話してくれる人々がいる一方で、それでも堅く口を閉ざす人がいるのはやむを得ない。人の傷口に塩を塗りつけるような取材が果たして良いのかと悩むこともある。しかし、他ならぬ著者自身にとって自らの生い立ちに向き合う気持ちを整理する旅でもあり、そうした思い入れが行間からにじみ出ている。その点では政治的に生硬な気負いは感じさせず、素直に被差別部落の歴史を考えさせてくれる。

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2010年2月 7日 (日)

佐藤千歳『インターネットと中国共産党──「人民網」体験記』

佐藤千歳『インターネットと中国共産党──「人民網」体験記』(講談社文庫、2009年)

 著者は新聞記者で、「人民日報」のインターネット部門「人民網」で日本語翻訳のため出向、先方の内情や出くわしたトラブルをつづった体験記。翻訳にあたっては中国なりのポリティカル・コレクトネスがあり、先方のロジックと日本人記者としての考え方、そこに漂うセンシティブな「温度差」が実体験を通してうかがえて興味深い。

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