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2010年12月19日 - 2010年12月25日

2010年12月24日 (金)

黄昭堂『台湾民主国の研究──台湾独立運動史の一断章』

黄昭堂『台湾民主国の研究──台湾独立運動史の一断章』(東京大学出版会、1970年)

・日清講和による台湾割譲について清朝上層部では列強の干渉に期待する気分があったが、三国干渉は各国の利害に基づいていたため遼東半島が優先され、台湾は副次的問題として軽視された。
・台湾割譲の知らせを受けて台湾の人々は驚き(日清戦争では戦場から離れており、対岸の火事のように見ていたので)→士紳たちは台湾省巡撫・唐景崧に迫って離台を禁じた。台湾防衛というだけでなく、台湾内部の治安悪化を懸念したためで、イギリス領事にも保護を懇請。
・1895年5月23日、唐景崧を総統に祭り上げて台湾民主国独立宣言。
・5月29日、北白川宮能久親王率いる近衛師団が澳底から上陸→陸路、瑞芳・基隆を占領→敗走兵が台北に流れ込み、唐総統をはじめ首脳陣は大陸へ逃亡し、台北は大混乱→台北の有力者は協議の上、辜顕栄を派遣、彼は水野遵に面会、治安維持のため日本軍の入城を懇請→無血入城→6月17日、樺山総督が来て始政式。
・中南部では抵抗が継続。しかし、台湾の人々の反応は様々で、無関心の住民も多く、原住民は局外中立→劉永福も戦わずに大陸へ逃亡して、10月20日、台南入城。
・台湾民主国独立の発案者は誰か?→①陳季同(滞仏経験あり)、②陳季同と台湾士紳たちの共同参画、③清朝官僚、④丘逢甲の4説あるが、確定困難。
・士紳たちにとっては日本の領台が自分たちの利害に障りがあるので抵抗。抗日の主力となったのは、地元上層階級が組織した地域的な自衛軍。あくまでも日本の領台を阻止するために台湾士紳が在台清朝官僚を強迫して台湾民主国を樹立させたものの、その指導層に確固たる信念はなく、外国による干渉に期待をかけるばかりで、民衆的基盤も脆かった。
・台湾民主国はアジア最初の共和国。鄭成功、朱一貴(1721年の2ヶ月間)に続いて三度目の台湾の独立国。ただし、民衆的基盤が弱かったため、その後の台湾民族運動で「民主国」回復を目標とする主張は現われなかった。
・抗日運動→日本の残酷な弾圧→さらなる反抗を誘発してしまった悪循環→台湾は各地分立の状態であったが、日本を共同の敵とみなして横の連絡を取り合った→「台湾人」としての共同運命感、台湾人意識形成の起点として「台湾民主国」の意義が把握される。

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張宗漢『光復前台湾の工業化』

張宗漢『光復前台湾の工業化』(交流協会、2001年)

・原著は1950年頃に書かれたものらしい。著者は大陸から来た経済専門家で日本資産接収時の資料を踏まえて日本植民地支配期における台湾経済工業化のプロセスをたどる。
・前期は1895~1931年の日本企業の自由発展段階、後期はそれ以降1945年までの戦時期統制経済の段階と分類。
・清朝の時代、砂糖、茶、樟脳の輸出は請負の買弁商人を使う外国商人によって独占されていたが、日本が植民地支配を始めるにあたって駆逐。
・第一次世界大戦後の好況→台湾は日本企業の投資先、総督府の保護政策→日本人経営事業が独占。例えば、製糖業では三井系が大きい。
・台湾の農産物→より安い南洋産との競争が厳しくなった→工業化への転換。
・台湾の面積は狭いので、日本人の農業移民は少なく、「工業移民」方式で大量移住。
・政治的・軍事的要因→南進政策→「工業台湾、農業南洋」。
・農業の多角化→農産物加工業。日本、南洋、中国が市場。
・台湾の人件費→大陸に比べると高い→安価な労働力の確保ができないので生産力増産、大量生産を目指す。
・日月潭水力発電所が台湾工業発展の契機。
・技術は日本人中心の教育体制→台湾人の技能者があまり育たず。

・日月潭水力発電所の完成と新興工業の勃興(1931~35年):農業改造。食管制度の実施。山地開発。水力発電所の完成。鉄道・一般道路・港湾の整備。工業化を前提とした調査研究。人材育成。
・日本の準戦時体制下における台湾工業の積極的建設(1936~40年):第一次生産力拡充五カ年計画など戦時動員計画による統制配給制度→資金、労働力、原料、器材等を工業へ優先的に供給。不足物資の補充を日本に依存する一方、原料は南洋から入手→有事の供給ストップへの不安。企業結合が進んだ。
・戦時工業動員(1941~45年):日本での余剰設備の移転→日本企業は廃棄損を回避、生産加速に効果的ではあったが、古いので効率は悪かった。日本の植民地として台湾は軽工業の輸出市場→本国は競合する台湾工業を望まず→紡績品、飲食品、肥料などは台湾では一貫して輸入品の中心→従属性→政治的コントロールの手段。労働力不足→女性労働者の増加、また技能労働者があまり育成されず→労働力に見合った生産性の伸びは見られず。日本人と比べた不平等な差別賃金・待遇、農業における賃金よりも工業における賃金の方が低い→台湾人の工業労働転換のインセンティヴ働かず→強制労働的な対応。
・1941年まで工業生産は伸びていたが、それ以降は戦争の影響で年々減少。敗色濃くなると輸送困難→南洋からの原料供給ストップ→工業稼動できず。
・当時の台湾はすでに農業中心経済から離脱していた。輸出品において工業産品は8割近くを占め、その中心は農産物加工品であったが、金属工業・化学工業産品も年々増加していた。
・工業化に伴う国民生活の改善:照明用電灯の増加、鉄道旅客数の増加、水道利用、ラジオ台数の増加、レンガ・セメント生産量増加→住居条件改善、就学児童数増加、郵便集配件数増加、医療・衛生関係者数増加。
・農業社会から工業社会への転換にあたり、工業化に取り組みながらも農業開発も怠らず同時に発展させたこと。台湾の労働力と動力資源、日本の技術と資金、「南洋・南支」各地の原料を有機的に統合させたこと、以上が台湾工業化成功の要因。
・結論部で、日本が植民地統治で残した経済基盤を活用して反攻大陸を実現させようと締め括られるのは当時の紋切り型か。

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林鍾雄『台湾経済発展の歴史的考察1895~1995』

林鍾雄『台湾経済発展の歴史的考察1895~1995』(交流協会、2002年)

第1章 台湾経済発展の基礎
・日本植民統治期→生産力の育成、教育と衛生→台湾の人的資源向上。
・糖米経済→日本人自身の利益のためではあっても結果として半自給自足的な閉鎖経済から輸出指向経済へと誘導。
・アメリカによる経済援助
・多国籍企業の台湾投資(日本企業)
・台湾は貯蓄過多→投資の機会を逸している。

第2章 日本統治下台湾の糖米経済と工業化
・治安維持、インフラ投資(電力→工業化に必須)、貨幣・度量衡の統一と銀行の創設。
・台湾の糖業:資本家の蔗作農家に対する搾取と日本の関税保護下で発展。
・米の増産:水利改善、肥料奨励、蓬莱米奨励→日本へ輸出。その一方で、廉価・低品質の米を南洋から輸入、甘藷の作付面積拡大→台湾人は米に混ぜて食べた。
・工業化:台湾は日本製品の市場。パイナップル缶詰製造→農産品加工輸出。南進政策に応じて自給自足的工業の展開。南洋のボーキサイト→台湾でアルミ生産すれば輸送費節減、安い電力を利用できる。

第3章 1940年代の台湾経済
・日本植民地期にインフラと勤勉な労働力が形成されても、きちんとした政策と技術者がいなければ経済再建困難。
・国民党政権のため資金供出、中国大陸との為替取引→輸入インフレ、人口激増→需要圧力。

第4章 台湾の対外貿易100年の歩み
・日本植民地期の糖業による輸出業は没落→1960年代の輸出指向的経済開発では製造業が中心となった。
・日本植民地期の経済政策や1960年代の多国籍企業進出は台湾にとって受身の経済開発。他方で、多国籍企業の薫陶を受けた進取の精神を持つ企業家が群生→自立的な経済へ。

補論 台湾の輸出主導型経済発展とその中国に対する啓示
・台湾の成功要因:①相対的に整備されたインフラ。②国際市場の拡大。③外貨節約のための輸入代替工業化を選択。④外国企業の投資→民間企業家の創業精神を誘発。⑤産業構造を不断に調整。

第5章 100年来台湾の国際収支と経済発展

第6章 台湾経済発展の活路
・資源乏しい→輸出しかない→しかし、労働集約型産業による発展途上国との価格競争はもはや無理→高所得消費群を相手にする。ハイテク産業。

第7章 糖米経済から科学技術立国へ
・孤立経済→日本と一体化→1940~60年代の経済暗黒時代→台湾・アメリカ・日本の3軸経済関係→APECの一員

第8章 美麗島の再建

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2010年12月23日 (木)

小林英夫『戦後アジアと日本企業』

小林英夫『戦後アジアと日本企業』(岩波新書、2001年)

・戦後における日本企業のアジアへの再進出プロセスをたどる。
・1950年代前半、中国・朝鮮半島情勢の悪化→南アジア貿易の比重が高い。
・1950年代後半、賠償をテコに東南アジア進出。
・1960年代、円借款をテコに韓国、台湾との経済交流深まる。
・1960年代半ばに永野重雄が「アジア太平洋経済圏」構想を提唱。
・この頃、反日暴動の一方で、対日感情改善の努力→関係好転。また、日米繊維摩擦→韓国、台湾、香港の対米繊維輸出が拡大し、工業化進展の足がかりとなる・
・1970年代、日本商社が主導して、合弁相手を探し出し、原料購入、製造したものを販売。
・1980年代、日米貿易摩擦→自動車などアメリカでの現地生産。また、円高→安い労働力を求めて東南アジアへの直接投資、生産拠点移転→日本の金融機関はこの頃からアジア展開を本格させる。日本国内産業の空洞化も同時進行。
・東南アジア域内分業を前提とする日本の企業戦略→高級品は日本国内で生産、中・低級品は現地生産。
・1997年のアジア通貨危機→「ものづくり」中心の分業体制の前提が崩れた。

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エズラ・F・ヴォーゲル『アジア四小龍──いかにして今日を築いたか』

エズラ・F・ヴォーゲル(渡辺利夫訳)『アジア四小龍──いかにして今日を築いたか』(中公新書、1993年)

・ちょっと古い本だが、当時どんな議論をしていたのか確認するために目を通した。
・東アジアNIES、すなわち台湾、韓国、香港、シンガポールの発展:①反共→アメリカの開発支援、②国際貿易の進展により市場拡大、③欧米における消費拡大がその市場拡大を支えた、④情報革命→新情報へのアクセス容易、⑤多国籍企業の進出から便益。
・台湾:中国大陸で工業化に失敗した国民党政権はなぜ台湾で成功? 色々問題はあったにしても一応の政治的安定性。日本植民地支配が残した産業基盤と人的資源。アメリカの援助。大陸出身のテクノクラート(尹仲容、李国鼎など)。蒋父子は大陸で腐敗・汚職のために失敗したことから教訓→企業利益との癒着を防止。
・国内市場狭小な都市国家という点では同様でも、香港は自由放任的であったのに対し、シンガポールは政府主導の経済政策。
・状況的要因:①アメリカの援助。②日本の植民地支配・侵略が伝統的旧秩序を崩し、新たなリーダーシップを可能にした。③政治的・経済的緊張感→権威主義的政権の存立→秩序維持、政策推進。④勤勉で豊富な労働力。⑤日本型成功モデルへの理解。
・儒教的伝統が工業化に資したとは言えないが(近代的教育システムと儒教道徳は関係ない、またかつては儒教道徳こそが近代的発展を阻害という議論があったことを想起すべし)、他方で産業構造上の心性を指摘して“工業的ネオコンフュ-シャニズム”と名づける:能力主義の官僚エリート、入学試験制度、集団重視、自己研鑽。

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2010年12月22日 (水)

隅谷三喜男・劉進慶・凃照彦『台湾の経済──典型NIESの光と影』

隅谷三喜男・劉進慶・凃照彦『台湾の経済──典型NIESの光と影』東京大学出版会、1992年

・日本統治期:当初は米糖経済→1930年代後半から南進基地化を目指して工業化、同時に農業発展の飽和状態から製造工業への進出という背景。この時期、近代的社会経済制度の確立、インフラ整備、米糖経済の開発、工業化の推進といったプラス面の一方で、総督府専制、国家資本支配体制による収奪構造というマイナス面は戦後の国民党政権に受け継がれた。
・戦後:米糖統制による収奪構造→軍事財政負担、また間接的には工業資本の蓄積に有利な条件。
・工業化を特徴付ける二重構造:官営企業=基幹産業=大企業、民営企業=軽工業=中小企業。後者の中小企業が経済成長を主導。さらに両者が相まって輸入代替工業化により発展。
・1957~58年頃に国内市場飽和→①貿易・為替制度の改革、②投資市場を内外に開放→こうした刺激策によって輸出促進→労働集約的な輸出加工産業、対日米貿易、中小企業中心の発展といった特徴。
・輸出先の市場はアメリカに依存、製造部品等の生産は日本に依存→台日米の〈三環構造〉。
・韓国との比較:台湾では日領期以来の米糖経済の展開として農産物加工業(缶詰)→輸出しやすかったのに対し、韓国では工業製品の輸出比率が高く当初は海外市場の拡大困難。また、台湾は官・民分業構造における民間中小企業が主導したのに対し、韓国では民間財閥資本が主導。
・農業分野:農民収奪による工業化支援→行き詰まり→政策転換して、伝統的米糖農業体制から多角化へ。農産品では、対米偏在の輸入(小麦、大豆、トウモロコシ)、対日依存の輸出(エビ、ウナギ、豚肉→養殖業、養豚・養鶏業などで企業家的経営)。しかし、1990年代以降、農業はゼロ成長。台湾農業は軍事財政を支え、余剰資本や労働力など工業化の条件を提供したあげく、工業化の蔭の中に消えていく。
・産業化:労働集約的産業への特化、日米資本・技術・市場への依存→輸出指向的性格→国際分業体制下での工業化、民間主導の経済発展。
・台湾経済発展の主役は中小企業:官営企業とは異なって政府の保護政策が乏しく、ハンディを背負いながら激しい市場競争のもとで成長した。家族経営的性格、商人資本的性格、市場競争的性格、国際的性格。
・農業労働力の工業への移動:小都市・農村部に工業が分散的に展開→農村からの流出労働者に通勤者の比率が高く、労働生活の変化は比較的ゆるやか。また、被雇用→技能習得・資金蓄積→自分で独立開業というパターンもよく見られる。雇用というよりも自由市場での労働力売買という性質。若年女子労働力が低賃金労働を支えた。労使関係の未発達。
・金融・財政制度:政府系資本が独占的。制度金融が社会全体に浸透しておらず、民間では制度外金融(地下金融、高利貸)に頼るケースが多い。
・農地改革により自作農創出、また大量の離農により労働市場の広がり工業化によって全体的に所得水準が上昇→所得水準の格差は比較的小さい。

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2010年12月21日 (火)

劉進慶『戦後台湾経済分析──1945年から1965年まで』

劉進慶『戦後台湾経済分析──1945年から1965年まで』(東京大学出版会、1975年)

・半封建的社会における階級矛盾として戦後台湾の経済関係を分析。国家資本と民間資本との二重構造、対米日資本従属構造を指摘するのが全体的な論点となる。理論枠組みにはマルクス主義色が強い。
・戦後、日本資産の接収→膨大な国家資本形成(すなわち、植民地遺制と国民党権力の結合)による公営経済が戦後台湾経済の起点となる→経済再建の主役であると同時に、巨額な軍事財政の収入源、官僚階級の蓄財手段ともなった。
・戦後直後、大陸の経済的混乱が台湾まで波及しないよう台幣と法幣とを分離、しかし政策的失敗、大陸からの為替投機・資金逃避→インフレが加速的に進行。インフレと米穀徴発によって農民は窮乏化。
・内外情勢の不安に押される形で、農民との階級対立を回避するため国民党は農地改革→“流亡政権”で土着地主と利害関係が共有されていないため断行できた。ただし、国民党政権と地主は妥協的関係→公営企業の一部を債権化により払い下げ。
・国家資本と民間資本との二重構造。蒋介石一族の伝統的家父長制的専制主義と捉え、公業が主導、民業は従属という関係を指摘。また、米穀経済→地主的国民党権力が自作零細農を支配する構造として捉える。
・中央と台湾省との二重財政→後者の大半は中央に吸い上げ。
・政権の軍事的性格→歳出の大部分は国防統治費。
・特権階級の利益を阻むような直接税制よりも、逆進性の高い関節税制を強化→大衆収奪の装置として作用。
・アメリカ帝国主義の二重介入→私業は、公業に対して寄生従属、外国資本に対して買弁従属。
・調整期(1950~53年):国共内戦で大陸紡績資本が大挙して台湾へ流入、これが民営企業の主導部門となり、政権は保護政策→資本蓄積。
・相対的安定期(1954~59年):土着資本が公権力をバックに成長。
・発展期(1960~65年):外資導入→アメリカ資本は低賃金労働を利用した輸出市場指向。日本資本は台湾市場指向。華僑は人的つながりを通して流入、政商的。
・低賃金労働の構造を分析。

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朝元照雄『開発経済学と台湾の経験──アジア経済の発展メカニズム』

朝元照雄『開発経済学と台湾の経験──アジア経済の発展メカニズム』(勁草書房、2004年)

・台湾経済の発展メカニズムについて開発経済学の理論枠組みを用いてデータを分析しながら解明。
・賃金が低い伝統的部門(農業)→賃金が高い近代的部門(工業)への労働力移動により、低廉な労働力を得て工業が発展→賃金上昇→労働移転過程の終わり→ルイスの転換点。また、農業部門での生産性向上に着目→ラニス・フェイの転換点。
・停滞して途上国の所得配分は比較的に平等→経済発展と共に不平等拡大→高度経済段階に入ると再び平等化→クズネッツの逆U字型曲線。
・上記、ルイスの転換点とクズネッツの逆U字型曲線のクライマックスに当たる点が1960年代後半の台湾経済に見出せる。
・産業連関表を基に、総需要=総供給=国内需要+輸出=国内生産+輸入という恒等式によってスカイライン・マップを描き、日本・台湾の比較→日本の場合、産業構造がより“総括的”、製造業は“自己完結的”なのに対し、台湾の場合、“強い産業と弱い産業”の差がより顕著であり、製造業は国際分業に組み込まれている様子がうかがえる。
・プロダクト・サイクル理論により産業の国際競争力分析→安い賃金で労働集約型の輸出→ルイスの転換点を越えて競争力低下→1980年代、海外直接投資によって生産基地が東南アジアや中国にシフト→日本及びアジアNIEsでは資本・技術集約型への移行、この分野で欧米にキャッチアップ。
・経済発展における政府の役割:国民党政権初期、政策の制定者と土地の所有者とに利害関係の重複なし→農地改革が成功(戦後日本のGHQと同様)。インフラ未整備段階では「大きな政府」→発展の障碍がなくなってから「小さな政府」で市場メカニズム。
・日本統治期に「法の遵守」など基礎条件整備。戦後、経済テクノクラートの貢献。
・中小企業の活動:豊富な労働力運用と外貨節約のために実施された輸入代替工業化政策の下で中小企業の芽生え(1945~62年)→輸出志向工業化政策により成長(1963~73年)→石油危機、労働力不足、相対的賃金の高騰などといった環境激変(1974~82年)→中小企業の比較優位性の喪失、競争力低下により産業構造転換に迫られる(1983年以降)。
・中小企業が成長した要因:起業家精神、政治社会的安定、効率的な生産ネットワーク(血縁、地縁、友人などの人脈)、豊富な労働力、人的資源の質の向上、インフラ整備。

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御厨貴『権力の館を歩く』

御厨貴『権力の館を歩く』(毎日新聞社、2010年)

 政策決定のギリギリのせめぎ合いにおいてはドロドロした人間ドラマが繰り広げられており、ましてや密室で物事が決められていた過去において、その生々しさはいかほどであったろうか、想像するにつれて興味はいよいよ増す。ドラマにはもちろん舞台がある。本書は、歴代総理の邸宅、政府機関、政党本部、そしてマッカーサーのGHQ本部など、“権力”が具現化された場所を見て歩く。図面や写真も豊富に収録されている。館の主たちはここで何を見て、どんな考えにふけったのか。建物のあり方から人物や政党それぞれの性格が読み解かれ、現代政治史の奥行きが立体的に浮かび上がってくる。政治と建築、どちらの観点から読んでも興味深い。立て替えられたり消失したりしてもはや現存せず、写真で見るしかない建物も多いのが残念だ。

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2010年12月20日 (月)

王育徳『台湾海峡』、岡崎郁子『台湾文学──異端の系譜』

王育徳『台湾海峡』(日中出版、1993年)
・台湾語研究の第一人者である著者が、文学評論を通して台湾独立への思いを訴える。
・外省人作家は大陸から放逐された悲哀を表現。しかし、台湾人にとって台湾は唯一無二の故郷であり、中国大陸を知らない→1960年代後半から郷土文学が現われ、外省人作家と論争。当時、台湾人の経済的活動が活発となって国民党政権も無視できなくなっており、そうした社会的風潮の文学的表現と捉える。
・美麗島事件をめぐる作家たちの葛藤。
・陳若曦(アメリカ留学→中国人男性と結婚→祖国“回帰”して中共に投降→しかし、いやな思いをしてアメリカに戻る)、呉濁流、戴国煇の議論を取り上げ、そこに台湾人の“原罪意識”を見出して批判。
・台湾人の“原罪意識”:①華僑として海外に出た者に対する大陸での侮蔑意識。②東夷である日本人に支配されたくせに中国人よりも高い生活水準にある台湾人に対する嫉妬、③台湾人は中国大陸に行っても、日本統治期には日本のスパイ、戦後は国民党のスパイとみなされる→台湾人は中国の政権下に入ると必ず“二等国民”扱いされてしまう宿命→台湾独立しかない。

岡崎郁子『台湾文学──異端の系譜』(田畑書店、1996年)
・戦後台湾の文壇主流からはずれがちな人を中心に、それぞれの作品を紹介するだけでなく、作者に会いに行ってインタビューを行い、その人柄を知り、作品の背景に息づくものを読み取ろうとしているところが興味深い(とりわけ、邱永漢と拓抜斯(トパス)に興味を持った)。本省人、外省人という区別で台湾文学を見るのではなく、作品そのものを見ようという問題意識。なお、著者は台湾大学留学中に黄得時の授業を受けたらしい。
・邱永漢はなぜ台湾文学史で評価されないのか?→①彼は日本語で二二八事件について初めて小説化、しかし国民党支配下の台湾では読めなかった、②彼の作家活動期は短く、すぐに金儲けに行った、③国民党に“投降”→呉濁流たちから文壇への金銭的援助を求められたが拒絶→台湾文壇から反感。
・陳映真:第三世界文学論。共産主義へのシンパシー。台湾文学は中国文学の中に位置づけ→台湾独立論は台湾文学史を捻じ曲げていると批判。
・劉大任:もともと共産主義にシンパシーがあったが、アメリカへ行き、国連勤務、その身分で中国へ行くが、共産主義の実際に幻滅。外国で作品発表。
・鄭清文:童話など純文学路線。
・拓抜斯:ブヌン族の出身。原住民作家という珍しさで注目を浴びてしまうが、彼の表現せざるを得ないものからもっと普遍的なものを読み取りたいという立場で考える。彼自身の生い立ちや家族的背景へのインタビューが興味深い。

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