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2010年12月12日 - 2010年12月18日

2010年12月18日 (土)

ヴィクトル・ザスラフスキー『カチンの森──ポーランド指導階級の抹殺』

ヴィクトル・ザスラフスキー(根岸隆夫訳)『カチンの森──ポーランド指導階級の抹殺』(みすず書房、2010年)

 1939年の独ソ不可侵条約に基づき、ソ連はナチス・ドイツと共にポーランド分割に乗り出し、捕虜として連行したポーランド軍将校約4,400人をカチンの森で銃殺した。そればかりでなく、犠牲者はポーランド社会を指導するはずの知識階層すべてに及び、22,000人以上が殺害されたという。独ソ両大国に翻弄され、戦後になってもソ連の意向を受けた共産党政権によって展開された「カチンの虐殺はナチスの仕業だ」という虚偽のプロパガンダに異議を唱えることができなかった人々の苦悩は、最近公開されたアンジェイ・ワイダ監督「カチン」で描写されている。そうした歴史的記憶の政治化というレベルで、“カチンの森”は冷戦期を通じてずっと現在進行形の事件であったと言ってもいいだろう。

 本書は、ロシアで公開された旧ソ連時代の機密文書等も踏まえながらカチン事件の実態を追求するのはもちろんであるが、問題はそこに終わらない。この事件がソ連政府によっていかに隠蔽されたのか、さらにはその隠蔽に西欧の歴史学界もまた意図せざる共犯者になってしまったのはなぜなのか、こうした問題をも問い直していく。著者はロシア出身の政治社会学者でレニングラード大学で教鞭をとったこともあるが、カナダ・イタリアに移住、本書もイタリア語で出版されたらしい。

 1941年の独ソ開戦後、ソ連西部を一時占領したドイツ軍はカチンの森で大量の遺体を発見、中立国スイスの医学者を団長に国際調査団を組織した。もちろん、ナチスには対ソ連宣伝工作に利用しようという思惑があったわけだが、参加した医学者たちはそうしたナチスの思惑とは別に、目の当たりにしたおびただしい遺骸に衝撃を受けながら検証作業を行なった。この虐殺はナチスの仕業だと宣伝するソ連は、戦後、調査団に参加した医学者のうち、ハンガリー・ブルガリアなど共産圏に入った国の出身者に対しては圧力をかけて見解を撤回させ、スイス・イタリアの出身者に対してはソ連中央の意向を受けた各国共産党が誹謗中傷のキャンペーンを展開した(なお、調査に参加したドイツの医学者には、シュタウフェンベルク大佐のヒトラー暗殺未遂事件に連座して銃殺された人もいたという)。

 戦争中からすでにカチン事件に関する情報は米英首脳部にも伝わっていたが、対ドイツ戦で同盟関係にあったソ連に対する気兼ねから情報の公開は抑えこまれた。また、調査団の主催者はナチスであったため、この調査報告をもとにソ連の宣伝工作に異議を唱えることはすなわちナチス支持者であると受け止められかねかった。したがって、反ファシズムというスローガンそのものがソ連による国家犯罪を隠蔽する作用をもたらし、疑問を提起することすら躊躇する風潮が醸成されてしまった。

 本書を通して浮かび上がるのは、第一に1939~1941年にかけて協力関係にあったヒトラーのドイツとスターリンのソ連とがポーランド国家消滅を意図した点で同じ性格の政治体制を持っていたことをどのように考えるかという全体主義の比較論への問いかけ。それ以上に重要なのは、第二にパワー・ポリティクスの論理とイデオロギー宣伝とが絡まりあってタブーを作り出し、それが事実関係の客観的究明を妨げる力学として作用してしまった落とし穴。このような政治史・現代史研究が時としてぶつかりかねない見えない壁を考える上で本書は貴重な問題提起となっており、カチン事件そのものに関心がなくとも、広い意味で歴史研究に関心があるならば是非読んでおきたい本である。

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【映画】「白いリボン」

「白いリボン」

 1913年、第一次世界大戦前夜、ドイツの農村が舞台。モノクロームで映し出され、輪郭がくっきりと浮かび上がる田園風景は一幅の絵を見るように美しい。同時にこの美しさは、現実感覚を捨象して観る側に距離感を作り出し、ストーリーの中で右往左往する人々の姿に対して、あたかも歴史記録を見るかのような客観的な眼ざしを観客に強いる。

 地主である男爵が権力を振るう荘園で立て続けに起こった不可解な事件、その成り行きが外からやって来た学校教師の視点を通して語られる。罠にかかって落馬、入院したドクター。何者かによってひどい目に遭わされた男爵の子供。失明寸前まで大怪我を負わされた知的障害の少年──。

 同時に描かれるのは、キリスト教倫理と封建的道徳でがんじがらめにされた閉鎖的な社会、他方で垣間見えてくる大人たちの身勝手で醜い偽善。村の牧師は自分の子供たちを叱り飛ばしたとき、罰として“白いリボン”を身に付けさせた。それはすなわち“純潔”のしるしである。だが、その“純潔”がある種の凶暴性と結びついたときに表出してきたのは、大人の偽善に対する潔癖な憎悪であり、持てる者が存在する不平等に対する嫉妬であり、社会的弱者に対する排除であった。これらの攻撃性は、形骸化した倫理道徳では抑えきれないどころか、むしろ増幅させていたとすら言える。

 ところが、こうした村の不安を雲散霧消させてしまう大事件が突発した。オーストリア大公フランツ・フェルディナンドがサラエボで暗殺されたという一報が入ったのである。戦争なんて起こるはずがないとみな口をそろえながらも、やがて戦争の影は人々の抱える閉塞感を打ち破る希望へと変化していく。長丁場で最初は眠気を催していたが、辛抱して観ていると、正体不明でざらついた不安感が徐々に形をなしてくプロセスが興味深い。

【データ】
監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ
ドイツ・オーストリア・フランス・イタリア/2009年/145分
(2010年12月17日、銀座テアトルシネマにて)

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2010年12月17日 (金)

劉進慶・朝元照雄編著『台湾の産業政策』

劉進慶・朝元照雄編著『台湾の産業政策』(勁草書房、2003年)

・戦後台湾における産業政策を概観した分担執筆による論文集。新古典派的な市場メカニズム重視のアプローチとは異なり、台湾では政府主導の政策によって有効に民間企業が刺激されていたと捉える視点で一貫している。
・1950年代:輸入代替工業化(一定の保護政策の下、国内産業振興によって工業化を図る)→1960年代:輸出志向工業化(労働集約型工業化)→1970年代:重化学工業化(第二次輸入代替工業化)→1980年代以降、ハイテク産業育成。
・従来の中小企業における労働集約型工業は低賃金によって低価格→アメリカ・日本へ輸出。ところが、実質賃金の上昇→東南アジア、中国大陸へ生産拠点を移転、さらに中国の経済的台頭→台湾国内では技術・資本集約型製品の生産へと生産構造を転換する必要→科学技術重視の政策、ベンチャー・キャピタル(ハイテク重視)。
・重化学工業に続く産業分野として、1980年代以降、電子産業育成政策が成功。
・低賃金の労働集約型から技術・知識重視の産業構造へと転換するにしても人材が必要→民主化の進展、李登輝が在米のノーベル化学賞受賞者・李遠哲を呼び寄せたのを皮切りに、頭脳流出していた海外の技術者が台湾へ戻り始める。反体制的な考えを持つ人々も民主化の進展に好感。
・日産接収→公営企業は実質的に国民党系人脈の経営→経営の非効率性が問題となって民営化が進められたが、民営化後の経営自立性の高いイギリス・日本とは異なり、台湾では従来の人脈関係から政府介入が完全には放棄されなかった。
・外資導入→技術移転(正式な契約、技術指導、スピンアウト)。技術移転では一般的に言語が障害となるが、日本からの技術移転はスムーズ→ラジオ・テレビの組立技術。技術移転そのものよりも、周辺産業の誘発・育成、海外の多国籍企業との関係構築などの貢献。
・知識経済の進展と教育問題。
・石油化学工業、電子産業におけるハイテク産業振興政策(李國鼎のイニシアティヴ)の事例研究→政府主導の政策誘導の有効性を確認。

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渡辺利夫・朝元照雄編著『台湾経済入門』

渡辺利夫・朝元照雄編著『台湾経済入門』(勁草書房、2007年)

・分担執筆により台湾経済の概略を解説。以下、メモ書き。
・1940年代:幣制改革→ハイパーインフレ収束。農地改革(三七五減租、公地放領、耕者有其田)→小作人の保護、自作農化。
・1950年代:米糖輸出先だった日本が外貨流出抑制策→台湾では「一次産品輸出による工業化」政策にとって不都合となり、かわって「輸出代替工業化」→保護政策による「内向き型工業化」。
・1960年代:「外向き型工業化」、輸出加工区の設置。
・1970年代:第二次輸出代替工業化、重化学工業化。ちょうど石油ショックに直面したが、十大建設→外需の落ち込みを内需でカバーできた。
・1980年代:産業の高度化と経済の自由化・国際化。台湾版シリコン・バレーを目指して新竹科学工業園区など。
・1990年代:金融持ち株会社成立期。
・2000年代:民進党→「緑のシリコン・アイランド」を提唱。

・日本植民地統治期における製鉄、機械、肥料、製糖、石油化学などの基幹産業および電力、鉄道、銀行などは国民党政権が接収→公営企業として経済体制を支配→1984年以降、非効率性が問題化して民営化政策へ。
・対案では中小企業が輸出の担い手→貧富の格差を拡大させずに経済成長。輸出貢献率は1980年代をピーク(7割)→2005年には17.6%まで落ち込み。データ算定には不明確なところもあるが、少なくとも低下傾向は確実にある。従来の台湾経済は、公営企業と民間大企業は国内市場向けに生産、中小企業は輸出向けに生産という「二重構造市場」→グローバル化の進展は大企業に有利。かつては直接輸出志向だった中小企業→大企業との協力関係を構築、大企業を通した間接的な輸出協力者という位置付けになる。
・1980年代以降、従来型経済政策の行き詰まり、アメリカからの市場開放要求、民主化による特権打破→貿易自由化へ向かう。
・貿易・投資構造の変化→周辺アジア諸国(とりわけ中国)との分業の拡大。
・技術イノベーション→公的研究機関が主導。
・社会政策は当初から外省人優位。省籍矛盾による対立から、外省人が台湾人資本に雇用される見込みはほとんどなし→彼らの面倒をみるために国民党政権は雇用確保、社会保障整備。他方で、本省人は放置→彼らは生活共同体の相互扶助に頼る。

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2010年12月16日 (木)

呉濁流『夜明け前の台湾 植民地からの告発』

呉濁流『夜明け前の台湾 植民地からの告発』(社会思想社、1972年)

 呉濁流の名前は以前から気になっていたのだが、ようやく手に取った。本書には自伝的な小説「無花果」と、二二八事件直後の1947年6月に発表された論説「夜明け前の台湾」が収録されている。日本の植民地支配下において台湾人は法的には日本人でありつつも二流国民扱いされ、光復後は中国を祖国と思いながらもやはり二流国民扱いされてしまう。それでは自分たち台湾人は一体何なのだ? この寄るべないアイデンティティの葛藤は台湾文学史の大きな主題となるが、呉濁流の人生と作品にはそうした苦渋が明瞭に浮かび上がってくる。

 呉濁流は1900年、台湾・新竹の客家の家庭に生まれた。両親は忙しく、かわいがってくれた祖父から領台当初における抗日の話を聞きながら育つ。台北師範学校を卒業、公学校の教員として教壇に立つが、もともと一本気な性格、いばりちらす日本人とあちこちで衝突して左遷が繰り返され、二十年勤め上げたあげくに辞めてしまう。すでに戦争が始まっていた。知人のつてで大陸に渡り、汪兆銘政権下の南京で新聞記者となる。ようやくやって来た憧れの祖国であるが、言葉が通じない。その上、大陸では台湾人は日本人のスパイと疑われるため出身地は隠せと忠告され、他方で日本人からも信用されないという難しい立場であった。東亜同文書院出身で日本、汪政権、重慶政権それぞれと連絡を持ち、それがばれて日本の憲兵によって殺害された彭盛木とも会っている。日本の敗戦でようやく台湾は祖国・中国に復帰できたと喜んだのも束の間、今度は大陸からやって来た外省人の横暴によって将来の希望は摘み取られてしまった。

 作者にとっての問題意識はもちろん切実なものである。ただ、そればかりでなく、時代の変転に翻弄される姿を活写する筆致は大河ドラマを読むように面白い。国籍や民族に関わりなく良い人間もいれば悪い人間もいる。例えば汪兆銘政権に協力して漢奸とされた友人も出てくるが、彼には彼なりの事情がある。日本人も外省人も悪い人間ばかりではない。政治的基準で相手を裁断するのではなく、それぞれの置かれたやむを得ない事情の中で一人ひとりをみつめる視点があるので、それが語り口に奥行きを持たせ、ドラマとしての迫力も生み出している。

 論説「夜明け前の台湾」は台湾の将来的建設のための提言であるが、日本語禁止への反対論も含まれている。かつて中国から日本へ多数の留学生が派遣され、日本語を通して西洋の文物を摂取しようとしていたのだから、今回の台湾返還についても日本語話者=奴隷と考えるのではなく、600万人もの留学生が一度に帰ってきたと考えればいいではないか、と指摘する。日本によって刻印された植民地性と中国アイデンティティとの矛盾をむしろ肯定的に発想を転換させようとする苦肉の努力として興味を持った。

 戦時下、人目を忍んで書き溜めていたという小説『アジアの孤児』も読んでみたいのだが、入手が難しそうだ。なお、彼は台北帝国大学の工藤好美(英文学)と会ったとき、最初はいけ好かない奴だと思っていたが、彼にこの小説のさわりを読ませたところ、是非完成させなさいと勧められたというエピソードが「無花果」に記されていた。

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2010年12月15日 (水)

松永正義『台湾文学のおもしろさ』『台湾を考えるむずかしさ』

松永正義『台湾文学のおもしろさ』(研文出版、2006年)、『台湾を考えるむずかしさ』(同、2008年)

 台湾が日本の植民地支配から解放された後、自分たちの主体性をいかに回復するかという問題意識に対して、それは台湾の取り戻しなのか、中国の取り戻しなのか、という二通りの方向性があり得た。光復当初、この二つは重なり合っていたが、国民党政権による中国意識押し付けがあまりに厳しかったため、こうした言論弾圧への反発から、台湾の反体制的言論空間においては民主化要求と台湾意識とが絡まり合いながら進行していく。中国と日本に挟まれた中で揺れ動いてきたナショナル・アイデンティティー、その複雑な機微を文学や言語の問題から読み解こうとした論考が集められている。

 タイトルに「おもしろさ」とあるが、それは台湾社会の奥深い複雑さが著者にとって研究のしがいがあるという意味で、それには私ももちろん同意するが、台湾についてよく知らない一般読者に向けて文学的「おもしろさ」を伝えるという趣旨ではないので注意されたい。著者がこれまで学術誌や大学紀要に書き溜めてきたものを寄せ集めた本で(主著のない学者が業績作りのためによくやることだ)、全体を通して明確なテーマがあるわけではない。研究動向の資料的紹介が多く、過去の台湾文学研究というのはこんな感じだったんだ、と窺い知る上では参考になる。1980年代から2000年代まで執筆年代はバラバラ。例えば「大陸で選出された議員はいまだに改選されていない」などという一文があって、思わず奥付を確認してしまった。初出掲載時の文章を尊重するという考えはわかるにしても、現在の情勢に合わせた訂正が加えられていないのは明らかに怠慢である。

 弟子筋の丸川哲史と同様に著者は中台統一派に近いスタンスをとる。それはそれで一つの考え方だからいいのだけれども、独立論にちょっとでも論拠を与えかねない議論に対してはナーバスで、例えば、日本統治期における出版市場形成→台湾アイデンティティ形成という藤井省三の議論と小林よしのりの『台湾論』とを、議論としての質の相違は無視していっしょくたにして批判しているのにはさすがに驚いた。

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2010年12月13日 (月)

頴田島一二郎『カール・ユーハイム物語──菓子は神さま』

頴田島一二郎『カール・ユーハイム物語──菓子は神さま』(新泉社、1973年)

 洋菓子メーカーとして有名なユーハイム。その始祖とも言うべき菓子職人で、バウムクーヘンをはじめ様々なドイツ菓子を日本に紹介したカール・ユーハイムの波乱に満ちた生涯を物語形式で語る。今年の一月にNHKで放映された「歴史秘話ヒストリア 焼け跡とバウムクーヘン~あるドイツ人夫妻の苦難と愛~」も物語形式だったが、この本にだいぶ負っている。

 1886年にライン河畔の小さな町で生まれ、菓子職人となったカールは20歳のとき中国・青島へ行って開業する。ところが第一次世界大戦が勃発して青島は日本軍に占領され、カールは日本の捕虜収容所へ入れられた。この時の捕虜収容所では様々な日独交流の逸話があるが、カールもその中の一人である。バウムクーヘンをはじめとしたドイツ菓子を広島の物産展に出品したところ、大好評でたちまち売り切れた。実は青島にいたときに出会った日本人が、チョコレートの苦さやバターのくどさをいやがっているのを見ていたので、日本人の味の好みに合わせて作ってみたらしい。その結果を見て日本でもやっていけると自信がついた。釈放後は明治屋が銀座で経営するカフェ・ユーロップに三年契約で勤め、弟子も育てる。契約終了後は横浜で開業、ところが関東大震災で大打撃を受け、避難先の神戸で再起する。第二次世界大戦では出征した息子も失い、彼自身は1945年8月14日、終戦のまさに前日に息を引き取った。

 戦後、弟子たちが店を再興し、カールの奥さんだったエリーゼも再び来日、彼女が社長となってカールの遺風を受け継ぐことになったらしい。どこか愛嬌のある人柄に宿った職人魂が時代の変転に翻弄される姿にはとても濃厚なドラマが感じられる。こうした人物群像には興味が引かれる。

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2010年12月12日 (日)

フェアトレードについて手当たり次第に読んでみた

 フェアトレードについてよく知らないことに今さらながら気づいて、手当たり次第に読んでみた。おおまかに理解したところでは以下がポイントになるかな。

・市場原理に基づいて国際貿易が行なわれる場合、本来ならば条件の均等が前提となる。しかしながら、実際には情報や流通経路などの非対称性により、仲買人(コヨーテ)や商社が発展途上国の生産者の作物を安く買い叩き、顧客に対して安さをアピールしながら中間マージンの最大化を図る。不利な立場に置かれている生産者は従属化、貧困状態から抜け出せないという悪循環に陥ってしまう。これに対して、(主に先進国の)消費者の側で、良いモノには割高でも適切(フェア)な代価をきちんと支払うという態度をまず示す。良いモノを作るにはそれだけのコストがかかるわけだから、適切な代価を生産者側にきちんと還流させていくことで、経済水準・生活水準の向上、持続的にモノづくりができる環境の整備を図っていく。このように生産と消費の関係を見直して好循環へと転換させることによって、途上国の生産者が置かれた貧困から抜け出す機会を保障するというのがフェアトレードの基本的な考え方。
・援助だとパターナリスティックな依存関係を生み出してしまう。これに対して、個々の生産者が自立できるようにエンパワーメントを進め、生産者自身の尊厳に敬意を払いながら、貿易という経済活動を通して持続可能な形で、先進国と途上国との対等なパートナーシップを築き上げていく。
・その土地に根ざした伝統的な手工業技術の見直し、振興という目的。先進国に売り込む場合にはデザインに注目される。
・流通過程のコストから小売価格はどうしても割高になってしまうが、認証制度による保証を通して消費者に安心を提供する。倫理的な評判が高まれば、フェアトレード産品そのものが一つのブランドとして市場にアピールできるかもしれない。認証に必要な基準としては、生産者が劣悪な労働環境に置かれないようにする、環境問題へ配慮する、持続可能な生産コストをカバーできるように最低価格設定や継続的な長期契約、等々がある。具体的にIFATの基準を並べると、①生産者に仕事の機会を提供、②事業の透明性、③生産者の資質向上を目指す、④フェアトレード推進についての啓発、情報提供、⑤公正な対価、⑥ジェンダーの平等、⑦安全・健康的な労働条件、⑧子どもの権利、⑨環境への配慮、⑩信頼と敬意に基づく貿易。
・認証ラベルを貼って、フェアトレードを推進する小規模事業者のショップばかりでなく、スーパーの店頭にも並ぶ。他方で、顔の見える産直関係という理念から外れるのではないか? 認証ライセンスを取るにはそれなりの金銭的コストがかかるので、排除されてしまう生産者が出てくるのではないか?などの疑問も提起されている。

 フェアトレード関連の本はここ二、三年で随分と刊行されたようだが、取りあえず私が読んだ本を並べると、
三浦史子『フェア・トレードを探しに』(スリーエーネットワーク、2008年)は生産、小売、認証団体など現場への取材を通して実際のシステムがどのように運営されているのか、問題点は何かが具体例を通して見えてくるので、最初に読むならこの本がいいだろう。概論的なテキストとしては、渡辺龍也『フェアトレード学──私たちが創る新経済秩序』(新評論、2010年)、アレックス・ニコルズ、シャーロット・オパル編著(北澤肯訳)『フェアトレード──倫理的な消費が経済を変える』(岩波書店、2009年)が網羅的に整理されている。この二冊は、ある程度具体例を知った上で読んだ方が理解は深まる。
長坂寿久編著『日本のフェアトレード──世界を変える希望の貿易』(明石書店、2008年)、長尾弥生『みんなの「買う」が世界を変える フェアトレードの時代──顔を暮らしの見えるこれからの国際貿易を目指して』(日本生活協同組合連合出版部、2008年)では、フェアトレードの概略紹介だけでなく、日本で実践している取り組みが紹介されている。
・ニコ・ローツェン、フランツ・ヴァン・デル・ホフ(永田千奈訳)『フェアトレードの冒険──草の根グローバリズムが世界を変える』(日経BP社、2007年)は、最初のフェアトレード認証団体「マックスハヴェラー」を創立した二人が、どのような経緯でこの活動に取り組むようになったのかを記している。
・フェアトレードの取っ掛かりはコーヒーから始まったらしい。村田武『コーヒーとフェアトレード』(筑波書房、2005年)は最近、コーヒー輸出国として急成長するベトナムなどへの調査をもとにしている。清田和之『コーヒーを通して見たフェアトレード──スリランカ山岳地帯を行く』(書肆侃侃房、2010年)は、有機無農薬のコーヒーを求めて行ったブラジルでフェアトレードを知り、スリランカでコーヒー栽培の支援をしている人の体験記。
サファイア・ミニー『おしゃれなエコが世界を救う──女社長のフェアトレード奮闘記』(日経BP社、2008年)は、イギリスから日本に来て、衣料品のフェアトレード・ビジネスを起業した女性の体験記。この業界では有名な人らしい。

・なお、ジョセフ・スティグリッツ、アンドリュー・チャールトン(浦田秀次郎・監訳、高遠裕子訳)『フェアトレード──格差を生まない経済システム』(日本経済新聞出版社、2007年)は、発展途上国の経済的成長のためには世界貿易システムへの参加が必要であるが、そのための条件が十分でない問題点についてマクロ経済学的に論じた本で、上掲の議論とは大きな問題意識は共有されているものの、テーマは異なるので要注意。

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