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2010年11月28日 - 2010年12月4日

2010年12月 2日 (木)

NHK食料危機取材班『ランドラッシュ──激化する世界農地争奪戦』

NHK食料危機取材班『ランドラッシュ──激化する世界農地争奪戦』(新潮社、2010年)

 食料の国際価格急騰から生じた2008年の世界同時食料危機。しかし、これは食料の絶対量が足りなかったからではなく、様々な要因や思惑が絡まりあう中で起こったパニックであり、その意味で貿易自由化による食料供給が金融危機と同様の不安定性を抱えていることが浮き彫りにされた。国際市場を握るのはアメリカの穀物メジャーであり、市場原理の下、食料価格の安定化を図るのは難しい。農業は凋落して食糧供給を輸入に頼る状況にある日本をはじめとした国々にとって、これは広い意味で安全保障に関わる問題である。そこで危機感を抱いた国々は食糧生産拠点を確保しようと農業分野の海外進出を急展開し始めた。すなわち、ランド・ラッシュ(農地争奪)である。

 本書では、ロシアの沿海州、ウクライナ、エチオピアなどを舞台に、農業拠点確保を図る日本、韓国、インドそれぞれの取り組みが取り上げられる(中国の姿も見えるが、ガードがかたくて取材できなかったらしい)。なりふり構わず進出を急ぐ危機感(日本は立ち遅れ)、しかし進出される側にとっても、労働習慣の相違、プライドの問題などからトラブルも頻出しており、新たな収奪支配=「新しい植民地主義」という懸念が消えない。また、大規模集約的な農業投資が現地の農村社会を崩壊させ、ひいては農業の基盤となる環境における持続可能性を崩してしまう可能性は深刻であろう。農業生産力の問題ではなく、配分の不均衡の問題と指摘する専門家もいる。食料安保の危機意識と進出受け入れ先で生ずる問題、双方の葛藤が現地取材を通して報告される。

 ウクライナで一人頑張る農家、木村愼一さんの粘り強く朴訥とした姿が印象的だ。壁にぶつかっても、ウクライナの荒廃した農地を蘇らせたいという情熱は消えない。日本国内ではコメあまりが言われる。しかし、ウクライナでのコメ生産を皮切りに日本のコメのおいしさを世界中に知ってもらい、輸出産業へとつなげていこう、といったアイデアも語る。穀物メジャーに対抗する上で、輸送コストを考えるとどうしても大規模化せざるを得ない問題を指摘する向きもある一方で、こうした個人レベルの智恵も何とか生かせる体制づくりができないか、道筋はなかなか見えない。

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2010年12月 1日 (水)

ジグムント・バウマン『グローバリゼーション──人間への影響』

ジグムント・バウマン(澤田眞治・中井愛子訳)『グローバリゼーション──人間への影響』(法政大学出版局、2010年)

・原著は1998年刊行。ここのところ、バウマンの邦訳が立て続けに出ているが、どうしたわけだろう? ひょっとして意外と売れ行きがよくて、本書も過去の刊行物からピックアップされたということなのか?

・バウマンの著作には、社会学的理論分析というよりも、社会学的議論を援用しながら現代社会のあり様について大きな見取り図を描き出す社会批評という性格が強い。色々な論点が含まれていて散漫な印象も若干あるのだが、趣旨のおおまかな方向性をまとめると次のようになるだろうか。

・時間/空間の短縮、移動やコミュニケーション手段の無制約などによって(グローバル化)、全世界が均質化していくイメージも思い浮かぶ。ところが、移動できるだけの条件の備わった人々と欠如した人々との間で大きな断絶が生じ、前者は思いのままに世界を動き回る一方、後者は土地に縛り付けられる(ローカル化)、もしくは難民など不本意な形で追い立てられる。市場化の動きが全世界を席巻する一方、個々の生活世界では自律的な決定権が奪われる(すなわち自分たちの生きる意味やアイデンティティが剥ぎ取られる)。このようにグローバル化の進展が、動ける人/動けない人、自己決定できる人/できない人、といった非対称性を生み出し、世界が二分化・再階層化されていく趨勢を指摘している。

以下、いくつかメモ。
・冷戦は東西二つの陣営が厳しく対峙していたが、この対立そのものが単一の争点、単一の意味的中心を生み出して世界の全体性が了解されていた。ところが、東西分断が終わると、世界には異質な力が散在し、グローバルな合意を実現できる争点がなくなった(81~82ページ)。

・「消費社会のなかで「上層」と「下層」を画する要因は、彼らの可動性の程度、すなわち自分がどこにいるかを決める自由の有無である。」「「上層」と「下層」の人びとの違いは、前者が後者を置き去りにできることである。そして、逆はあり得ない。」「移動できる人びとは、移動できない人びとがつなぎとめられている地域の汚れや不潔さを捨てて去ってゆく。」(120~121ページ)

・「…新しいグローバルなエリートは、秩序の守護者に対して、それだけ莫大な優越性を満喫している。秩序はローカルであるが、エリートと彼らが従う自由市場の法は超ローカルである。ローカルな秩序の管理人があまりに出しゃばりで不愉快な場合には、いつでもグローバルな法に訴えかけて、ローカルな秩序の概念とローカルなゲームの規則を変更させることができる。さらに、もちろん、ある場所で問題があまりにも厄介になって快適でなくなったなら、その場所から立ち去ることもできる。エリートの「グローバル性」とは可動性を意味し、可動性とは、免れ、逃れる能力のことである。衝突が起きたとしても、ローカルな秩序の守護者が進んで見て見ぬふりをしてくれる場所につねに恵まれている。」「これらすべての要因はひとつの共通の結果に収束している。それは犯罪と(つねにローカルな)「最下層階級」の同一化、あるいは、結局同じことだが、貧困の犯罪化である。」(175~176ページ)→社会的底辺の断片化・刑務所化。社会的貧困や暴力の問題を自己責任言説によって正当化。

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2010年11月29日 (月)

植村和秀『昭和の思想』

植村和秀『昭和の思想』(講談社選書メチエ、2010年)

 「昭和」と一言でいっても様々な思想潮流が絡まりあってとりとめないし、ましてや150ページ前後という選書メチエのシリーズでも少ないページ数で描ききれるものでもない。そこを本書はあっさり割り切って定点観測の方法をとる。

 議論の前提としては、第一に、二十世紀における社会全体の政治化という趨勢(カール・シュミットを援用)を踏まえて昭和思想史は政治思想史にならざるを得ないこと、第二に、江戸時代生まれの世代が退場して伝統社会との断絶感が自覚された時代であることが指摘される。こうした事情を背景としながら「理の軸」と「気の軸」という座標軸によって思想史的見取り図を提示する(朱子学的な感じもする用語法だが、そうした趣旨の話題はない)。ある理念をもとに論理的に政治観を主体的に再構築するのが「理の軸」で、右に平泉澄、左に丸山眞男が配置される。対して、論理ではなく感覚的な勢いで物事を捉えていこうとする発想が「気の軸」で、ポジティヴな創造性に向かったものとして西田幾多郎、ネガティヴな糾弾行動に向かったものとして蓑田胸喜が位置付けられる。この座標軸を組み合わせながら、靖国神社問題、安保闘争、終戦、戦時期京都学派の世界新秩序構想、蓑田の言論妨害といった思想史的シーンが点描される。

 テーマが大きければ大きいほど、何らかのモノサシがなければ対象を把握するとっかかりがつかめない。どんな視点を設定するかが思想史家の腕の見せ所である。個々のエピソードに関しては著者のこれまでの研究を読んだことのある人には見慣れたものだろうが、その限られた材料を使うだけで大きな見取り図を描いてしまった工夫が興味深い。語り口はやさしいので初学者にもいいだろう。

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2010年11月28日 (日)

保城広至『アジア地域主義外交の行方:1952─1966』

保城広至『アジア地域主義外交の行方:1952─1966』(木鐸社、2008年)

・1950~60年代にかけて日本政府はアジアにおける地域枠組み形成の働きかけを行なっていたが、そのほとんどは失敗した。このとき、日本政府の意図は何だったのか、なぜうまくいかなかったのかという問題意識をもとに、本書は一次資料に基づいて吉田政権末期から佐藤政権までに立てられた地域主義構想について実証分析を進める。かつての「大東亜共栄圏」、昨今の「東アジア共同体」をめぐる議論、この両者の間は必ずしも空白だったわけではなく、政策形成当事者の思惑をたどり返すことでこの時期にも連続していた「アジア主義」的志向が浮き彫りにされ、論点として提示される。

・アメリカ反共政策の軍事偏重が独立したばかりのアジア諸国のナショナリズムを刺激していることを日本は憂慮、西欧とアジア諸国との間に対立的な緊張関係があるという認識→アメリカから大量の資金投入を前提としつつも、日本が橋渡し役となって「アジアによるアジアのための経済開発」という方針を示した。すなわち、日本は「アジアの一員」+「西側先進国の一員」=「戦後アジア主義」と定義した構図で捉えられる。

・「大東亜共栄圏」における「アジア主義」は、欧米という他者との対決→アジアの一体性という言説を組み立てていた。対して、「戦後アジア主義」には、他者としての欧米への攻撃性は消えた一方、アジア連帯意識は継続。ここにアメリカとの協力枠組みが加わって成立。

・「アジアによるアジアのための経済開発」というスローガンは、日本を含むアジア諸国が主にアメリカの資金提供の下で経済的な地域協力を行なうという枠組み→「アジア地域主義外交」と定義。アメリカの存在感が強まることへのアジア諸国の反発を懸念して、日本が介入→アメリカからの資金導入の政治性を薄める→結果として(岸政権における)日本の自主外交のようにも見えた。しかし、言い換えると、資金提供者としてのアメリカのアジア政策と連動→アメリカの協力がない局面では挫折。また、アジア諸国の反応も一様ではなく、独立後間もないため地域協力構想よりも自国建設が優先された、多国間枠組みよりも二国間援助の方針が確立されていた、諸国内の対立抗争、日本主導への警戒感→日本の構想はうまくいかず(中国・朝鮮半島とは1960年代の時点で外交関係がなく、反日感情の問題もあって構想には最初から含まれておらず)。日本の政策当事者が「アジアの気持ちは欧米人よりも日本人の方がよく分かる」と言う一方で、アジア諸国自身の意見を尊重する姿勢がなかったこともうかがえる。

・歴代政権指導者の思想的背景からそれぞれの外交志向にも断絶があると捉えられがちだが、日本の「アジア地域主義外交」に関して基本的に変化はなかったと指摘。

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岡村道雄『旧石器遺跡「捏造事件」』

岡村道雄『旧石器遺跡「捏造事件」』(山川出版社、2010年)

 例の“ゴッドハンド”藤村新一による捏造の発覚からはや十年経つのか。一人のアマチュアによって学界もマスコミも振り回され続けた点で世界的に言ってもピルトダウン以来の一大椿事だろう。著者は藤村と一緒に調査をしたこともあり、当事者として事件を振り返る。たしか著者自身が執筆した講談社の『日本の歴史』シリーズ第一巻が発覚の直前に刊行されたばかりで、当然、捏造資料に基づく記述もあるため回収騒ぎになっていたのも覚えている。本当はグルだったのでは?と疑われ、著者自身もだいぶしんどい思いをしていたらしい。

 旧石器時代の出土物は類例がほとんどないからこそ発見が待望されていたわけで、比較対照できる別の資料に乏しいという事情はある。それでも、発覚後になって振り返ってみると、不審だった点は色々と思い出される。ということは、少なくとも技術的にはある程度までチェック可能だったはずだということだ。実際、矛盾点は色々と指摘されていたし、著者自身も不自然な箇所に疑問点を投げかけたりもしていた。しかしながら、考古学的発掘は営利ではなく善意の人間の集まりであり、さらに藤村自身の純朴なパーソナリティーもあって、捏造の可能性には思い至らなかった。そもそも藤村には捏造できるほど高度に学術的な背景も技術も欠けているため疑いようがなかった。ところが答えは簡単、現場で研究者たちが見立てを披露、それを聞いていた藤村は、研究者の望み通りに捏造をしてみせたわけである。出てきて欲しいものが出てきた。不自然な箇所があっても辻褄を合わせて解釈してしまった。ある種の共同幻想の中で捏造が繰り返されていく。

 本書はあくまでも騙された考古学者の立場からの反省であって、騙したアマチュアの側の肝心な動機にまで立ち入ることはできない。著者は藤村に会いに行くが、彼は事件後のプレッシャーによるのだろう、心身のバランスを崩し、極度の悔恨から鉈で手の指を切り落としてしまっていた。事件前後の記憶もすっかり欠落してしまっているらしい。こうした精神状態をみると彼自身から話を聞き取るのはもはや難しそうだ。彼の話の作り方からは、どうも自身を相沢忠弘になぞらえようとしている素振りも窺える。動機は仲間から認められたい、もっと目立ちたいという功名心なのだろうか?

 私は捏造発覚のニュースを聞いたとき、学生のとき受けた考古学の授業の先生が是非読んで欲しい本の一冊として松本清張『ある「小倉日記」伝』を挙げていたことを何となく思い出していた。報われないかもしれない、無駄になるかもしれない、だが捨て石になってでも努力し続けることができるかどうか、そこが学問には大切だというメッセージだった。しかし、その孤独さに耐えていくのはなかなかしんどいことだ。目立つ、という味を知ってしまったらもう引き返すことはできないだろう。彼は点数稼ぎのように発掘していただけで学問の何たるかを知らなったから抑制がきかなかったのだ、と言ってしまうのは簡単だ。しかし、彼がアマチュアとしてコンプレックスを抱いていたであろうことを想像すると、功名心にはやるのはありうることだ。このあたりの機微が分からないだけにもどかしい。

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