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2010年11月14日 - 2010年11月20日

2010年11月20日 (土)

中村綾乃『東京のハーケンクロイツ──東アジアに生きたドイツ人の軌跡』

中村綾乃『東京のハーケンクロイツ──東アジアに生きたドイツ人の軌跡』(白水社、2010年)

 1945年5月、ドイツ第三帝国はすでに崩壊したにもかかわらず、東京のドイツ大使館では自殺したヒトラーの追悼式が行なわれていた。これにはいったいどのような背景があるのかという疑問を出発点として、本書は主に日本と中国におけるドイツ人社会の歴史をたどり直していく。

 1850年代にハンザ同盟のドイツ人が東アジアにやって来て以降、不平等条約によってドイツ人の居留地や租界といった現地社会から隔絶した空間が設定され、文化活動の共有により「ドイツ人らしさ」の維持が追求された。これが後に人種主義を掲げるナチズム浸透の前提となる。ただし、東アジア在住のドイツ人では商人、学者、外交官といった一定の社会的身分を持つ人々が中心で、社会的・経済的不満を原動力の一つとしたナチズムへの共鳴が必ずしも強かったわけではない。また、ワルシャワでユダヤ人虐殺に辣腕を振るったヨーゼフ・マイジンガーがゾルゲ監視を目的として1941年に着任(ただし、マイジンガーは日本の特高に先を越されて面目丸つぶれだったらしい)、反ナチ的言動の取り締まりを強めたが、こればかりが理由とも言えない。むしろ、仕事関係の打算、近所付き合い、学校行事などの日常生活を通してナチズムが浸透していったこと側面の方が大きかったのだという。ドイツ本国におけるような熱狂に巻き込まれたわけではないにもかかわらず成立した「異郷のナチズム」がはらむある種の冷静さを浮き彫りにすることによって、かえってその問題の根深さが指摘される。

 「異郷のナチズム」という論点は意外と盲点だったので興味深く読んだ。東京のヒトラー追悼式でドイツ大使シュターマーがヒトラー礼讃をしていたのと同時期、天津ではフリッツ・ヴィーデマン総領事が逆にナチス批判の演説をしていたエピソードが比較されており関心を持ったのだが、両者の対照が全体的論旨にうまく活かされていないという印象がある。私の読解力不足かな。

 なお、中国にいたナチの残党は、戦後、小者はすぐ本国へ送還された一方で、大物はコネを使って国民党系高官のもとに顧問としてもぐりこみ匿われたらしい。例えば、閻錫山など。

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2010年11月19日 (金)

大塚英志『「おたく」の精神史──一九八〇年代論』、東浩紀『動物化するポストモダン──オタクから見た日本社会』、岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』、前島賢『セカイ系とは何か──ポスト・エヴァのオタク史』

 「オタク」文化の概略を知りたいと思って、取りあえず以下の本にざっと目を通した。

 大塚英志『「おたく」の精神史──一九八〇年代論』(講談社現代新書、2004年)は、「おたく」(「オタク」とは意図的に書き分け)文化生成現場としての業界にいた自身の見聞を軸にして1980年代のサブカルチャーを跡付ける。私自身はすでに生まれていたものの固有名詞を後から知っただけの時代のことなので世相史として興味深い。キャラクター産業のコアとしての「物語消費」の指摘に関心を持った(物語の擬似的創造、情報の断片化→情報への渇望、稀少性を捏造→断片を売り込む)。

 東浩紀『動物化するポストモダン──オタクから見た日本社会』(講談社現代新書、2001年)は、「大きな物語」の消滅というポストモダン的命題の下でオタク文化を分析。「萌える」という消費行動は、盲目的な没入と同時に、その対象を萌え要素に分解→データベースの中で相対化。作者の発するメッセージとしての物語ではなく、並列的な平面に布置されたデータベース的情報を前にしたオタクは自らの感覚的満足を効率よく達成できるよう組み替えながら次々と消費→大塚の「物語消費」に対して「データベース消費」を指摘する。同『ゲーム的リアリズムの誕生──動物化するポストモダン2』(講談社現代新書、2007年)は上記の議論をマンガ、アニメ、ゲームばかりでなく現在の文学まで射程に入れながら展開。人工環境に依存した文学として、近代文学とは異なった文体の可能性。

 岡田斗司夫『オタクはすでに死んでいる』(新潮新書、2008年)。オタキングが近年のオタクに感じた違和感。岡田にとってオタクとは本来、自分自身の趣味に対して求道的に精進する貴族主義というイメージがあり、その上で好きなジャンルや作品は違っても「世間とは違う生き方をするオタク」という漠然とした一体感があった。ところが、「萌えが分からない奴はオタクじゃない」など差異化の排除が強くなって、こうした本来のオタクの共通理解が崩壊したと指摘する。

 「セカイ系」とは、主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)との小さな関係性が中間項としての社会を欠如させたまま「世界」という抽象的大問題に直結する設定を持った作品群を言い、とりわけ自意識の過剰さが顕著に見られる。前島賢『セカイ系とは何か──ポスト・エヴァのオタク史』(ソフトバンク新書、2010年)はこの「セカイ系」というキーワードを軸に「新世紀エヴァンゲリオン」以降のアニメ、マンガ、ライトノベルを検証した評論。主に東の議論を援用しているようだ。

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2010年11月17日 (水)

Niko Pirosmani(中文)

  以前我去过俄罗斯前卫艺术的展览会。这个展览会有种种的抽象艺术,比如说野兽派、立体主义、未来主义、至上主义、超现实主义等等。很难理解的作品使我混混乱乱。

  但是我看见了一些作品有很朴素的意趣。原始的笔致使我觉得暖暖和和的。这些作品是Niko Pirosmani画的。那个时候我第一次知道了这个画家。笔致很粗野,不过好像圣像画的人物画有很虔敬的气氛(但不是宗教画),这使我想起了乔治•鲁奥(Georges Rouault)。画人物和动物在高加索(Caucasus)山林的笔致是像亨利•盧梭(Henri Rousseau)的,不过Pirosmani的笔致没有盧梭的明亮。特意涂的深蓝色的背景使我觉得有很独特的印象。

  Niko Pirosmani(1862~1918)在格鲁吉亚东部的农村Kakheti出生。小时候他父母就去世,所以在格鲁吉亚首都提弗利司(Tiflis,现在叫第比利斯T'bilisi)的亲戚收养了他。他转了种种的职业,印刷工、铁路员工等等以后,跟朋友一起开始做买卖。但是他热情的性格让他们的事业失败。然后他天天过流浪的生活,画酒馆的牌画谋生。他的报酬是喝酒、吃面包、住一天。有时候他得到一些金钱买了颜料。

  当时俄罗斯革命要爆发的时候,年轻的艺术家在摸索创作的可能性。从圣彼得堡(Sankt-Peterburg)来的一些前卫艺术家们在提弗利司的酒馆喝酒的时候,他们看见了Pirosmani的画儿。他们想驱散压制他们热情的现成羁绊。他们可以看出在Pirosmani画得很素朴的笔致里自由和纯粹的感性,这使他们非常高兴。他们向俄罗斯画坛介绍了Pirosmani。

  但是俄罗斯画坛的权威对Pirosmani严厉批评,说他的笔致很幼稚。因为他没有学历,他们劝他再学习画法。最近我关心俄人音乐家亚历山大•齐尔品(Alexander Tcherepnin),是在中国和日本发掘很有为的青年音乐家的人。当时他在格鲁吉亚首都提弗利司住,看过Pirosmani的画儿。他也有了同样的感想,当时一般的知识分子都会感到这样。这些反应使Pirosmani灰了心,他回国再天天过流浪的生活。他的生活很贫穷,1918年人们看到他一个人死去。

  听说俄罗斯歌曲有“一百万个蔷薇”,是日本有名歌手加藤登纪子的上演节目之一(但我没听过)。这支歌儿的原型是Pirosmani的逸事。他爱法国女演员玛格丽塔(Margarita),尽全财产买了花儿,把很多的蔷薇满满地摆布她住的宾馆的周围。这个逸事是不是真的我不知道。但是Pirosmani的名字让很多的人们联想到这样的一心热情。我们可以在他的画儿看出他的纯粹感性。他画的技术可能很拙劣,但是这些感性会使很多的人们高兴得多。

  我看过格鲁吉亚的电影导演Giorgi Shengelaya拍的电影《Pirosmani》。这部电影一边描述Pirosmani的生平,一边再现他画的风景,我觉得很有意思。宴会的场面使我想喝葡萄酒了。格鲁吉亚人对葡萄酒有很强的自尊心。他们说格鲁吉亚是最古的葡萄酒产地,别国的葡萄酒没有格鲁吉亚的这么好喝。

  我去过在东京五反田的格鲁吉亚餐厅。我期望喝格鲁吉亚人自夸的葡萄酒。但是那个时候因俄罗斯军侵犯格鲁吉亚的影响使葡萄酒不能输出,所以我不能喝到格鲁吉亚葡萄酒。我对格鲁吉亚人的店员说,“我想去格鲁吉亚,不过担心战后的治安不好。”他说,“没问题。我们格鲁吉亚人都习惯了这样的状况。”他们习惯什么情况呢?就是说战后很混乱的情况还没有结束呢?我不知道再说什么。

  以上、中作文の練習。なお、ピロスマニについては以前にこちらで触れたことがある。

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2010年11月16日 (火)

朴贊雄『日本統治時代を肯定的に理解する──韓国の一知識人の回想』

朴贊雄『日本統治時代を肯定的に理解する──韓国の一知識人の回想』(草思社、2010年)

 私自身としては肯定、否定といった二分法的な価値判断を前提として歴史事象を考えることに馴染みがないことをまずお断りしておく。

 本書は日本植民地下の朝鮮半島で過ごした青春期を回想した手記を中心としており、原文自体が日本語で記されている。だいぶ恵まれた家庭環境に育った人のようで、日本人に対する敵愾心はない。母方の親戚には呂運亨もいたという。ある時代経験を振り返るにしても、その人がどのような立場にいたのか、どのような人々と付き合っていたのかによっても世の中の見え方はかなり違ってくる。様々な立場の人にどのように見えていたのかをつき合わせることにより、後知恵で意味づけをせざるを得ない後世の歴史認識をできるだけ相対化していくという点で、本書に回想される上流階層の生活や学校のエピソードは興味深い。

 著者は、北朝鮮の共産主義政権、韓国のかつての軍事政権、双方に対して批判的な立場を取っている人で、1970年代以降はカナダに移住していたらしい。ちょっと深読みにはなるが、韓国社会の現実に対する批判がその反措定として日本に対する親近感を芽生えさせているようにも思われる。こうした形の心情は台湾の懐旧老人によく見られる。繰り返しになるが、そのことの是非を問題にするつもりはない。本書を読んだ日本人が、日本の植民地支配は良かったんだ、と無邪気に喜ぶのは不毛な読み方で、むしろ著者のような心理的契機が生まれる政治空間をどのように捉えるのか、そこを汲み取りながら読む方がより一層歴史の理解に資するのかなという気がする。

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斎藤環『戦闘美少女の精神分析』、ササキバラ・ゴウ『〈美少女〉の現代史──「萌え」とキャラクター』、本田透『萌える男』

 斎藤環『戦闘美少女の精神分析』(ちくま文庫、2006年)は、マンガ・アニメの中の戦闘美少女の系譜をたどりながら(海外ものとの比較では強いアマゾネス型が中心で、日本のようなかわいいヒロインはいないことを指摘)、多重見当識という精神分析上のタームをもとに分析。「現実」という担保を必要としない虚構を作り出す→自律的な欲望のエコノミーが成立。その中で、多形倒錯的なセクシュアリティを安定的に潜在させたイコンとして戦闘美少女を捉える。本論よりも、自律的な虚構世界の中に生きた実例として引き合いに出されるヘンリー・ダーガーという人が興味深い。

 ササキバラ・ゴウ『〈美少女〉の現代史──「萌え」とキャラクター』(講談社現代新書、2004年)は1970年代以降、主にマンガ・アニメにおいて美少女キャラクターが担った意味合いの変遷を概観。キャラクターとは「見られる存在」→視点の物象化として把握。それは同時に、「見る」自分自身を確認する作用を持つ。スポコンものでも恋愛ものでも「~のため」という根拠が失われつつある中で、特権的な「私」の立場を強める→「彼女の内面」をいくらでもフィクションとして作り上げられる、こうした形で美少女キャラクターが生成していることを指摘。

 本田透『萌える男』(ちくま新書、2005年)は、目的・動機→充足という功利的な循環関係で成り立つ消費活動の中に「恋愛」もまた組み込まれた恋愛資本主義に対して、「萌え」はいまだに生き残っている純愛観念であると指摘。従って、「萌え」の世界は単なる現実逃避ではなく、「救い」を求める共同幻想であるという。こうした観点からオタク文化を分析する。

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2010年11月14日 (日)

森川嘉一郎『趣都の誕生──萌える都市アキハバラ 増補版』

森川嘉一郎『趣都の誕生──萌える都市アキハバラ 増補版』(幻冬舎文庫、2008年)

 アキバを舞台にしたオタク文化史かという軽い気持ちで本書を手に取ったのだが、実は都市文化論として充実した内容を持っており興味深い。著者は建築畑の人で、オタクの心性分析から現代日本社会の一側面への考察を横軸としながら、同時に都市や建築をめぐる問題意識が縦軸に据えられ、二つの軸が交わる位相に秋葉原という都市が持つ意味合いが析出される。

 科学技術の進歩という〈未来〉志向の幻想が喪失したことによってアニメやゲームの世界に退行していった少年たち=オタク、家電製品のシェアが郊外型大規模店によって奪われて変化を余儀なくされていた秋葉原電気街、双方のマッチングから趣都アキバは生まれた。1960年代の高度成長期、国家や大資本主導で海外の有名建築家作品のエピゴーネンとして展開された高層建築を第一フェーズ、1980年代のバブル期、ライフスタイルそのものをコンテンツとして主に女性を市場開拓の対象に想定したマーケティング戦略によって舞台装置として設定された都市空間を第二フェーズとするなら、「趣味」という「個」のロジックに基づいて生成したアキバが第三フェーズであると位置づけた見取り図が示される。「趣味が、都市を変える力を持ち始めた」という命題のもとオタク文化の分析が進められている。

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【映画】「ソフィアの夜明け」

「ソフィアの夜明け」

 ベランダから一望されたブルガリアの首都ソフィアの風景。社会主義時代に建設された高層団地はすでに古びたたたずまいを見せている一方で、開発計画で更地にされた一帯はそのまま取り残されており、寂しげな印象をいっそう強めてくる。

 自宅に居心地の悪さを感じてストリートをうろつき、極右のスキンヘッド集団に引きずり込まれて行く少年ゲオルギ。兄のイツォは麻薬中毒のリハビリ中、本来は芸術家志向だが、不本意な仕事に気持ちがすさんでおり、恋人にも邪険にあたりちらしている。ある晩、トルコ人一家がスキンヘッド集団に襲撃された現場にたまたま居合わせたイツォは止めようと割って入り、彼も殴り倒されてしまった。この縁でトルコ人一家の娘ウシュルと親しくなったが、人種差別的暴力におびえた一家の父親は二人の交際を認めない。精神的な安住の地が見つからずさまようそれぞれの姿が描かれる。

 スキンヘッド集団に吸引される若者たちの姿、ネオナチの台頭、暴動…。廃墟とまでは言わないにしてもくすんだ色合いの街並みで繰り広げられるこうした光景は現代ブルガリア社会のある一面を映し出しているのだろうか。同時に、登場人物の行き詰った焦燥感、居場所の見えない精神的彷徨、民族という見えない壁で隔てられてしまった関係、こうしたやりきれない心象風景を象徴的に具現化しているようにも見える。それでもなおかつ何かを求めようとする彼らのパセティックな心情が時にこの風景と感応し、それが美しくも感じられてくる。

 説明的なくどさがない分、観客それぞれが深読みしていく余地のありそうな構成となっている。主役のイツォを演じた人は実際に麻薬中毒の経験のある芸術家で、この人の生き様を描こうという意図からこの映画の製作が始まったらしいが、撮影終了間際に事故死してしまったという。

【データ】
英題:Eastern Plays
監督・脚本:カメン・カレフ
2009年/ブルガリア/89分
(2010年11月14日、渋谷、シアター・イメージ・フォーラムにて)

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矢野暢『東南アジア世界の論理』『東南アジア世界の構図──政治的生態史観の立場から』『冷戦と東南アジア』他

矢野暢『東南アジア世界の論理』(中公叢書、1980年)
・1973~79年にかけて執筆された論文をまとめたもの。欧米発の普遍主義志向の視座では東南アジアの生の姿を捉えきれない、社会科学理論そのものがはらむ存在拘束性への反省という問題意識が中心を占める。
・東南アジア社会を理解するために「小型家産制国家」という概念を提起:「河川の支配を権力の基盤とし、領域支配の観念と実践に乏しく、分節的でルースな社会の上に成立する、ヒンズーの王権思想に拠る小規模な家産制的権力」→進歩や発展の内発的契機に乏しい。首都だけ肥大発達。発展の恩恵は首都の権力者だけ→伝統的特性は改革されず、制度化の非土着性。
・欧米の発展理論に対して、近代化の「逆シナリオ」を指摘。近代的制度の不適応→先祖がえりしてしまう。東南アジア社会は風土に根ざした独自の政治的・社会的内在ロジックを持っており、ここに近代化という外発的ロジックを無理に導入しようとすると様々な混乱が起こり得る、これをどのように考えるのかという問題提起。国民国家形成のナショナリズム→首都在住の権力者の近代主義的願望にすぎず、かえって抑圧政治になり得る。
・「文化的共鳴」の理論:外から導入された観念に対して、それぞれの文化的風土の中で自立的な解釈。共鳴し得ない価値は何か?→「近代」。
・ジャカルタの反日暴動(1974年)をじかに目撃→日本人の海外における「行動の自由」の条件という論考。
・南洋に出た日本人の「篤民」の具体例として堤林数衛。生真面目なパーソナリティー、日本人の「使命」としての「南進」。
・近代日本における外務省外交は欧米主導の国際関係を前提→ここからこぼれおちた局面で民間外交(アジア主義者など)が先行、外務省外交は引きずられてしまった。

矢野暢『東南アジア世界の構図──政治的生態史観の立場から』(NHKブックス、1984年)
・自然環境への適応として形成されてきた社会集団→それぞれに個性的な組織原理を持った社会生態空間→これがまとまって政治的意味を持った政治的生態空間が形成される、こうした空間の重層的関係への視座を軸として東南アジアをトータルに把握する試み。
・社会科学的分析では当然視されている「家族」「村落」「国家」「民族」などの単位概念すら十分に吟味されていないにもかかわらず、外からの概念的モノサシで分析はできないという問題意識が背景にある。
・双系制度(父系・母系ともに対等)→系譜中心ではなく、エゴ(文化人類学的な親族構造分析における自己)を中心とした親族構造イメージ、二人間関係。
・「国家」概念の難しさ→六つの類型を提起:①「タッタデサ」型国家(大陸平原部、水利灌漑→権力強大)、②「海域支配拠点」型国家(島嶼部)、③「クラジャアン」型国家(島嶼部の河川域)、④「受認知」型国家(大国家から称号等付与)、⑤「ムアン」型国家(大陸山間部、用水管理→タイトな共同体)、⑥「クルン」型国家(大陸河川部)。「近代国家」の人工性の指摘(ex.ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』)。
・「意味空間」の把握→残欠補修、文化的共鳴→外からの文化は、類似の文化を正当化し、活性させながら、それもどきのものと作りあげる、「掘り起こし」現象。
・東南アジア史の構造。

矢野暢『冷戦と東南アジア』(中公叢書、1986年)
・「東南アジア」という概念の定着は、日本軍の占領という統一的体験、米英軍の東南アジア司令部の設置を契機としており、こうした共通項のあり方そのものに当初からの軍事的・政治的性格がうかがえる。さらに冷戦過程と国際体系としての「東南アジア」という秩序概念の形成過程が合致。この冷戦の〈場〉となった東南アジアの特質や内在的論理を把握する必要があり、その考察上の視座については上掲二書の議論が踏まえられている。
・東南アジアの共産主義をめぐる政治力学→民族主義運動を通じての独立主権国家の確立と国家発展、国家の一元的支配体制の確立、世界秩序の中での座標軸、これらの現実的課題にどのように向き合ったかに応じて発展の方向性が決まった。東南アジア側の複雑な政治力学の読み違え、認識枠組みの問題→アメリカの過剰介入へとつながる。「異人関係の政治学」。
・冷戦の「従属体系」として見るのではなく、地域主義の台頭に目を向ける必要。
・タイにおける「親米」の論理:ピブーンは大国密着主義(かつては日本、その後はアメリカ)→サリットは国家の政治的伝統に基づいて外交的判断。
・冷戦の知識社会学:東南アジアは多様な世界で内在的統合原理に乏しい→「地域」概念の非現実性。学問の政治化。認識枠組みは没価値的ではあり得ない問題。

 東南アジアについて考える上では、その前提としてそもそも日本人自身が歴史的にどのような関わり方をしてきたのかを抑えておく必要がある。矢野暢『「南進」の系譜』(中公新書、1975年)、『日本の南洋史観』(中公新書、1979年)は明治・大正期から第二次世界大戦に至るまで唱えられた「南進論」を思想史的に検討、近代日本の対外認識の一端を浮き彫りにする。同時に、国家という次元とは異なる形で南洋各地に散らばり、歴史の中に埋もれてしまった「無告の民」の姿を何とか掘り起こそうとする生き生きとした筆致はいま読んでも興味深い。最近、この二冊を合わせて矢野暢『「南進」の系譜 日本の南洋史観』(千倉書房、2009年)として復刻された。

 なお、よく知られているとは思うが、矢野暢はアウン・サン・スーチーさんが京大に留学していたときの恩師。

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