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2010年11月7日 - 2010年11月13日

2010年11月12日 (金)

ASEANについて5冊斜め読み

 私が生まれたときにはすでにASEAN(Association of South-East Asian Nations)は存在していたのでその活動はもう自明のように思っていたのだが、実際には色々と波乱含みの中で生成してきたようだ。山影進『ASEAN シンボルからシステムへ』(東京大学出版会、1991年)はASEANの形成過程を分析する(本書刊行の時点での加盟国は6カ国)。ASEANの前史としてはマラヤ・フィリピン・タイのASA(東南アジア連合、1961年)、マラヤ・フィリピン・インドネシアのマフィリンド(1963年)があるが、これらがそのままASEAN形成につながったわけではない。マレーシア連邦成立時の国家形態や領土要求をめぐって紛争が生じており(対インドネシア、フィリピン)、むしろその緊張緩和プロセス(1966~67年)の中からASEANは生まれた。インドネシアではスカルノの「マレーシア粉砕」政策→スハルトは善隣外交のサイン、フィリピンではマカバカルの強硬姿勢→マルコスはサバ領有権主張の棚上げ、マレーシアではラーマンの強硬姿勢に対してラザク副首相たちのイニシアティヴ、タイによる紛争仲介の労、シンガポール独立→都市国家としての脆弱性を意識して友好国を増やし、敵対国を減らす外交方針、こうしたそれぞれの要因も働く中で1967年8月に各国外相が集まってバンコク宣言(ASEAN設立宣言)が出され、具体的な問題は曖昧にしたまま相互信頼醸成を目的として停戦→和解→協力の大転回が行われた。当初は成立の法的基盤も曖昧な同床異夢の関係ではあったが、対話や合意の蓄積を通して協力関係の範囲は拡大・具体化、不文律としてのASEAN的慣行(内政不干渉、相互批判は抑える、各論における異議は総論の中にゆるやかに包み込む)を互いに尊重しあいながら徐々にルールが明文化されていった。

 山影進編『転換期のASEAN──新たな課題への挑戦』(日本国際問題研究所、2001年)はベトナム(1991年)、ラオス・ミャンマー(1997年)、カンボジア(1999年)のASEAN加盟を踏まえてASEANの性格的変化に関わる論点がそれぞれ検証される。ベトナム→カンボジア情勢安定化の枠組みとしてASEAN重視。ASEANの内政不干渉原則→民主化・人権などの問題を抱えるミャンマー・カンボジアに対してどのような態度をとるか? 域外大国との関係→対米、対中、非核地帯構想について。南シナ海の領土紛争→加盟国の利害不一致や対中関係もあって複雑、中国を会議外交の中に引き込むことができた点では成功、ただし、その後の展望は見えていない。

 黒柳米司編著『アジア地域秩序とASEANの挑戦──「東アジア共同体」をめざして』(明石書店、2005年)は、東アジアにおける協力関係の可能性に力点を置きながらASEANについて考察した論文集。ASEAN Way(内政不干渉主義、漸進主義、非公式主義、コンセンサス形式)の検討。中国の対ASEAN政策→相互依存下の戦略。ASEAN域内・域外の経済協力。「大メコン圏」開発計画→中国(雲南)も取り込む。インドネシア選挙監視を例に国際NGOの活動について→政府間は内政不干渉主義であるのに対して、NGOのトランスナショナルなネットワークを通して民主化への社会的基盤作りに努力。海賊、イスラム・テロを例に非伝統的安全保障について→個別の安全保障能力や国際協力がついていかず。権威主義的開発体制→マハティール政権を検証。「東アジア共同体」構想の条件を考察。開発、民主化、安全保障の相互連関について援助体制との関わりで検証。ARF(ASEAN地域フォーラム)の広域安全保障協力→大国のパワー・ポリティクスに対してASEAN Wayで運営の主導権をにぎろうとしているがなかなか難しい。

 木村福成・石川幸一編著『南進する中国とASEANへの影響』(日本貿易振興機構、2007年)は中国のASEANに対する経済活動を各国別に分析。中国は2003年に東南アジア友好協力条約に域外国として初めて署名して戦略的パートナーとなり、2004年にFTA調印、2005年7月から関税引き下げ開始(中国脅威論を払拭したいという意図)、具体的な経済活動でも2002年以降、中国の対ASEAN貿易、投資、経済協力は急激に増加している(背景には中国の走出去政策)。ただし、国や産業品目ごとに中国からの影響のあり方は違ってくるようだ。日系企業進出先では、少なくとも現時点では例えば自動車や機械製品では品質やアフターサービス、購買層の相違などで棲み分け(むしろ日系のライバル韓国)、ただしそれでも分野によっては中国からのキャッチアップに危機感があるらしい。

 石川幸一・清水一史・助川成也編著『ASEAN経済共同体──東アジア統合の核となりうるか』(日本貿易振興機構、2009年)。2003年の第二次ASEAN協和宣言では将来的な単一市場・共同市場を目標として掲げ、2007年11月に各国が署名、2008年12月に発効したASEAN憲章(従来、ASEANの存立根拠はバンコク宣言にあったが、憲章の制定により規範的明文化)では2015年にASEAN共同体の実現を期することになった。ASEAN共同体はASEAN安全保障共同体(ASC)・ASEAN経済共同体(AEC)・ASEAN社会文化共同体(ASCC)の三本柱から成るが、本書はAEC実現に向けた現在の取り組みを考察する。具体的には、AFTA(ASEAN自由貿易地域)の活用(水平分業の強化と地場産業の競争力育成、市場規模拡大、世界的な自由貿易体制への準備を目的として関税削減)、非関税障壁への対処、サービス・投資・熟練労働者の自由な動きと相互承認協定(MRA)、知的財産制度(問題の多くは中国製のニセモノ)、新規加盟4カ国と先行加盟6カ国との経済交流、物流の円滑化、地球環境協力、日本の関与のあり方(中国リスク回避などの利点)などの論点が検証される。色々と問題はあっても具体的な議論を徐々に積み重ねながらAEC実現に向けた歩みは着実に進められている様子である。

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2010年11月11日 (木)

【映画】「小さな中国のお針子」

「小さな中国のお針子」

 文化大革命で四川省の山奥へと下放された二人の大学生と土地の少女(周迅)との関係を、ノスタルジックに淡い想いを込めながら描く。木々に覆われた隆々たる高原の風景の雄大さ、楽しげに笑いさざめく少女たちの美しさ、その一方で識字率が極端に低い迷信深い社会。彼らは少女にバルザックの小説を読み聞かせてやり、彼女は物語の魅力にのめり込み、そして外なる世界への憧れをつのらせていく。自我に目覚め、決心して故郷を捨てた彼女の行方は沿岸部か。その後のことははっきりとは分からない。素朴で余計なことは何も知らなかったからこそ純粋化された夢とあこがれ、しかし農民工として働く先でひょっとして挫折をかみしめているのではあるまいか、そうした想像をめぐらせていくと、四川の山奥で夢見ていた彼女の姿になおさらはかない美しさが感じられてくる。

【データ】
原題:Balzac et la petite tailleuse chinoise
原作・監督:ダイ・シージエ
2002年/フランス・中国/110分
(DVDにて)

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2010年11月10日 (水)

永積洋子『平戸オランダ商館日記──近世外交の確立』

永積洋子『平戸オランダ商館日記──近世外交の確立』(講談社学術文庫、2000年)

 1609年に開かれ1641年に長崎出島へ移転するまで平戸にあったオランダ商館。本書は、ここで商館長によってつけられていた日誌を読み解きながら、当時における貿易活動の具体的な様子やとりわけオランダ人と日本人とのやりとりが生々しく描かれていく。商館長のパーソナリティーによって日蘭関係が左右されてしまうこともあるし、日本側の機嫌を損ねないよう幕閣重臣に付け届けをしたり、日本の慣習に合わせようと苦心しているのも興味深い。

 カトリックの宣教師を帯同したポルトガル人とは異なり、オランダ人は商業目的と割り切っていた。しかし、キリシタン取締を厳しくしつつあった幕府の眼には同類に映っており、島原の乱でオランダ人の支援を依頼したのも、単に西洋式大砲を使いたかっただけでなく、日本人キリシタンへの弾圧にオランダ人が協力するかどうか踏み絵を踏ませる意図もあったようだ。ポルトガル人追放の決定と同時にオランダ人も平戸を退去して長崎出島へ移るように求められた。幕府側の要求にオランダ人は反対せず素直に従ったため、日本人はオランダ人に好意を持ち、信頼感を基に欧米人の中でも特別扱いするようになっていく。こうした信頼関係の中から、例えばタイオワン事件(交易上のトラブルから日本人の浜田弥兵衛がタイオワン[現在の台南安平]のゼーランディア城でオランダ人長官ノイエを捕らえ、オランダ人捕虜を連れて日本へ帰国した事件)のオランダ人捕虜釈放も進んだ。以後、「鎖国」下にある日本は出島のオランダ人を通して西洋世界と関わりを持つという外交関係が成立することになる。

 なお、著者は三木清の娘さんらしい。

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2010年11月 9日 (火)

榎本秋『ライトノベル文学論』、山中智省『ライトノベルよ、どこへいく──一九八〇年代からゼロ年代まで』、一柳廣孝・久米依子編著『ライトノベル研究序説』

 台湾に行ったとき書店の棚をじっくりと眺めるのが楽しみ。向こうでは日本の小説がせっせと翻訳されているのが目立つのだが、時々名前の知らない作家を見かける。日本風のペンネームを使っているのかなと思いきや、調べてみると実は正真正銘日本人のラノベ作家で結構売れっ子だったりする。こっち方面に疎いのもいかんな、と思ってお勉強のつもりで以下の三冊に目を通した。本来ならじかに作品を手に取るべきなのだろうが、何が面白いのかすら分からないから、やはり解説から読む。

 ライトノベルという言葉は2000年代以降に定着したらしい。関連するジャンルとしてSF、ファンタジー、ジュヴナイル小説、RPG、アニメなどがあり、これらを取っ掛かりとしながら何となくイメージはわくにしても、ライトノベルと一括りにされる中に含まれるジャンルが幅広くて明確な線引きが難しい。以下の本を読みながら振り返ってみると、私はかろうじて高畑京一郎『タイム・リープ』(電撃文庫、1995年)、上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』(電撃文庫、1998年)は読んだ覚えがある。特に後者はライトノベルの歴史で一つの画期点をなすほど評価されていたのは知らなかった。

 榎本秋『ライトノベル文学論』(NTT出版、2008年)はライトノベルをめぐる概況がすっきりと整理されて読みやすく、取っ掛かりとしてはありがたかった。本書ではとりあえず中高生向きの娯楽小説として定義の出発点が立てられるが、中高生をメインターゲットとして幅広い読者を獲得するため表現のどぎつさを抑えて好感度アップに配慮した普及品と、他方でアニメ・コミック専門店やネット書店の普及により作家性を強調した専門品との二極化の流れもあるようだ。山中智省『ライトノベルよ、どこへいく──一九八〇年代からゼロ年代まで』(青弓社、2010年)はライトノベルがどのような経緯をたどって社会的に受容されていったのか(例えば、オタク的なコアな部分がある一方で、桜庭一樹、乙一、有川浩のように一般文芸との境界がなくなっている)、その変遷が出版動向や評論に現れた言説などを通して分析される。一柳廣孝・久米依子編著『ライトノベル研究序説』(青弓社、2009年)は研究会の報告成果をまとめた形式で、様々な論者の視点からまじめに考察が加えられている。

 いくつかメモしておくと、イラストやキャラクター性の重視。オタク文化とのつながり→一種の敷居の高さ。「セカイ系」という指摘(笠井潔)→「キミとボク」性(例えば、戦闘美少女と無力な少年)→日常と異常(戦争)との間に本来あるはずの社会領域の欠如という特徴。メディア・ミックスなど出版側の戦略。かつては高校卒業程度でライトノベルも卒業→別の文芸作品を読む、さもなくば本を読まなくなる、というパターンがあったが、ライトノベルを読み続ける大学生や社会人が増えた→装丁などそれに合わせた変化。

 華語圏のいわゆる網路作家のある部分は日本でいうライトノベルと親近性を持つのかどうか気になっているのだが、どうなのだろう。

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2010年11月 8日 (月)

渡辺靖『アフター・アメリカ──ボストニアンの軌跡と〈文化の政治学〉』『アメリカン・コミュニティ──国家と個人が交差する場所』『アメリカン・センター──アメリカの国際文化戦略』

 渡辺靖『アフター・アメリカ──ボストニアンの軌跡と〈文化の政治学〉』(慶應義塾大学出版会、2004年)は、アメリカ・ボストンにおける二つの社会階層、具体的にはアングロ・サクソン、プロテスタントで構成される中上流階層のいわゆるボストン・ブラーミン(カースト最上層のバラモン)と、カトリック中心の中下流階層のボストン・アイリッシュ、それぞれの人々にインタビュー、彼らの人間関係やセルフ・イメージを聞き取りながら、現代アメリカ社会の一側面を垣間見ていく文化人類学的な民族誌である。彼らは歴史・伝統・慣習などを意識している一方で、現代社会の複雑な変化をいかに内面化しながら日々の社会的現実を構成しているのかが描き出される。調査を進めながら、人間は社会構造に規定された存在である一方、それぞれの個人によって多様な日々の生活実践の中で構造的要因も能動的に変容され得る様子を汲み取ることで、客体主義・主体主義のいずれにも陥らない「ひざまずかない解釈主義」という研究方法上の含意も引き出される。

 同『アメリカン・コミュニティ──国家と個人が交差する場所』(新潮社、2007年)は、アメリカの九つの都市(中にはゲーティド・コミュニティ、メガチャーチ、刑務所の町、東サモアなども含まれる)を訪れながらアメリカ社会の多面的な姿をうかがう。アメリカ社会にけるコミュニティの維持・生成・再生という側面をどのように見ていくかという問題意識が示される。多様な価値観がアメリカの特徴ではあるが、そこに通底する資本主義・市場主義の論理と何らかの形で向き合っているという点では共通するようだ。

 同『アメリカン・センター──アメリカの国際文化戦略』(岩波書店、2008年)は、アメリカのパブリック・ディプロマシーを検討、具体例として対日関係が多くを占めるため、パブリック・ディプロマシーという観点から見た日米関係史としても興味深い。パブリック・ディプロマシーとは、広報活動、文化活動、心理作戦、思想戦、世論外交、開かれた外交等々、場面に応じて様々な意味を持ち得る幅広い概念であるが、国家間の伝統的外交や市民同士の民間交流とは異なり、政府が相手国の民間レベルへ働きかけることを通して何らかの政策目標の実現を図る活動と言えるだろうか。単なるプロパガンダではかえって相手国との距離を広げて結果として外交が失敗しかねないわけで、相互理解を通して政策の説得力を強めるところに重点が置かれる。

 なお、上掲書のいずれもロバート・パットナムのソーシャル・キャピタルとジョゼフ・ナイのソフト・パワーに言及、社会科学で数理モデル中心の合理的選択理論が隆盛するなか、こういった計量化の難しい概念を言語化して社会科学的議論のプラットフォームにのせた点で共通していると指摘されていたことをメモしておく。

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2010年11月 7日 (日)

青木健『ゾロアスター教』『アーリア人』

青木健『ゾロアスター教』(講談社選書メチエ、2008年)

 ゾロアスターという名前を見ると、私などはまずニーチェのツァラトゥストラやモーツァルト「魔笛」のザラストロなどヨーロッパでの脚色を経た神秘的イメージを思い浮かべたり、もしくは西域伝来の祆教にエキゾチックな興味をかき立てられたりしていた。対して本書は、古代アーリア人の信仰観念の中から現れた土俗性の強い宗教としてのゾロアスター教の興亡を描き出し、あわせて後世に伝説化されたゾロアスター像の虚実も検討される。また、古代アーリア人の宗教としての原始ゾロアスター教の置かれた歴史的脈絡を相対化するため、同様の派生形としてイラン高原におけるミスラ教、太陽崇拝、アルメニア人の宗教(エチミアジンのキリスト教教会の地下にはキリスト教によって抹殺された「異教の女神」の神殿が埋まっているらしい)、クルド人のヤズィード教なども取り上げられる。

 多神教信仰と階級制度を特徴とする古代アーリア人社会に生まれた神官ザラスシュトラ・スピターマは独創的な宗教改革を行い、従来の神々とは全く異なるアフラ・マズダーという神格を創案、「この世は善と悪の闘争の舞台であり、人間存在は善の戦士である。世界の終末には救世主が現れて、必ずや善が勝利するであろう」という二元論的な宗教観念を提示した。何が「善」であるのかについては土俗的な先験性に基づくため現代の我々には了解しがたいところも多いが、少なくとも善悪の弁別=理性的な倫理宗教がこの時点で世界史上初めて成立、終末論思想や救世主思想など後代に及ぼした影響も大きい。

 イランもイスラーム化した後、ヘルメス思想やプラトン哲学の影響も受けたイスラーム神秘思想家たちが「光の叡智を唱える神秘的なザラスシュトラ」像を作り上げて敬意を払い、これを当のゾロアスター教徒自身も信じ込んで教祖像に神秘的なオーラがかかってしまった。これがルネサンス以降のヨーロッパに流布したという経緯があるらしい。古代アーリア宗教のイスラームに対する影響としては、聖典朗誦への愛着(古代アーリア人にとって聖典は聖呪から発展したものなので、不断に朗誦することで効果を期待)、歯磨きが好き、緑色が好きといった点があげられている。

青木健『アーリア人』(講談社選書メチエ、2010年)

 アーリア人という言葉を耳にすると、ナチズムをはじめ二十世紀における人種主義イデオロギーとの結びつきを連想してしまうし、著者自身もそれを危惧したらしいが、もちろんそういう趣旨の本ではない。十八世紀以降、インド・ヨーロッパ語族の共通性を明らかにした比較言語学の進展は学術的には正当なものであるが、それは政治的意味づけとは次元の異なる問題である。本書は、古代オリエント文明からイスラーム時代時代の間にあってユーラシア大陸を舞台に壮大な民族移動を繰り広げたイラン系アーリア人の動向をトータルに俯瞰、整理してくれる。

 文字資料を遺さなかった遊牧民については主要文明の文献に散見されるわずかな記述や考古学的知見から間接的に推測するしかないし、また文字資料を遺した定住民についても様々な困難がある。同一系統の言語のバリエーションで表記されてはいるが、それぞれの方言ごとに異なった文字を用い、しかもそれらはアーリア系言語にフィットしていないため解読作業自体に難渋する(例えば、古代ペルシア人は楔形文字、パルティア人はアラム系文字、バクトリア人はギリシア文字、中世ペルシア人・ソグド人・ホラズム人はそれぞれアラム語起源のパフラヴィー文字、ソグド文字、ホラズム文字、ホータン・サカ人はインド系のブラーフミー文字を用いた)。それだけ様々な語学知識や各分野の方法論を知悉していなければ研究は進まない。史料的制約といい、民族移動の複雑さといい、彼らの足跡をたどる作業はピースのかけたパズルのように困難極まりないが、それだけ研究者の知的好奇心をかき立てるのだろう。

 上掲『ゾロアスター教』にしてもそうだが、両著とも高度に専門的な内容でありつつも叙述はよくかみくだかれている。著者はかなりできる人のようだ。

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