« 2010年8月1日 - 2010年8月7日 | トップページ | 2010年8月15日 - 2010年8月21日 »

2010年8月8日 - 2010年8月14日

2010年8月12日 (木)

【映画】「フェアウェル──さらば、哀しみのスパイ」

「フェアウェル──さらば、哀しみのスパイ」

 時代はブレジネフ政権末期。フランス企業のエンジニアでモスクワ駐在中のピエール(ギョーム・カネ)は上司から指示された人物に会いに行った。現われたのはKGBのグリゴリエフ大佐(エミール・クストリツァ)。機密情報の連絡役をやらねばならない羽目になってしまった。素人のピエールは家族まで危険にさらすことになるのを恐れてやめたがっていたが、グリゴリエフの「世界を変えたい」という意気込みにやがて巻き込まれていく。彼の流した機密情報はフランス経由でアメリカに渡り、レーガン政権はソ連が送り込んだ有力スパイを一網打尽、情報の非対称的優位性を確信してスターウォーズ計画を大々的に立ち上げた。情報不足でアメリカの動きについていけなくなった状況を危惧したゴルバチョフは政策転換を決断する。人知れず、文字通り「世界を変える」ことに貢献したグリゴリエフだが、彼は情報漏洩の容疑で身柄を拘束された。彼が情報流出源だとなぜ分かったのか? 彼を救出して欲しいというピエールの必死の懇願をCIAは無視する。作戦のコードネームは“Farewell”──。

 活動は公にならない、従って他人から評価されることがないし、その上、汚れ仕事ばかり。報われない。それにもかかわらず、スパイは何のために働くのか? 誰も信用はできず、心を打ち明ける相手もいない。完全な孤独。「国家のために自分の生活を乱されたくない!」と怒鳴るピエールに対し、グリゴリエフは「自分の息子が新しい世界に生きていければいい」と言う。単に手に汗握るポリティカル・サスペンスというだけでなく、“忠誠”の対象が何なのかという(ある種、実存的とすら言える)葛藤がギリギリのところまで突き詰めて迫られてくるのが描かれている場合には、この手のスパイもの映画は興味深く感じる。

【データ】
原題: L'Affaire Farewell/英題:Farewell
監督・脚本:クリスチャン・カリオン
2009年/フランス/113分
(2010年8月12日、渋谷・シネマライズにて)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

黄富三『女工と台湾工業化』

黄富三(石田浩監訳)『女工と台湾工業化』(交流協会、2006年)

・戦後台湾の経済発展の背景として、労働力として支えた女性たちの社会的背景を分析した論文。原著刊行は1977年だから、もう30年前の話。現代の問題ではなく、調査データが多数収録されているので台湾社会経済史の史料としての意味合いの方が強いようだ。
・紡績業は日本統治期には微々たるもので日本からの輸入に依存→戦後、日本との経済関係が断絶した上、国民党政権と共に多数の大陸出身者が流入して、衣料品の不足→繊維工業の発展が急務とされた。また、戦後の経済建設において電子工業も急速に発展→男子労働力だけでは不足→女子労働力も動員の必要。
・女工を雇用する側の要因:男子労働者よりも低廉な賃金。軽工業は技術習得が容易→女性は結婚退職があるので労働力の新陳代謝がきき、安い賃金を維持できた。女性は単純労働にも我慢してくれた。労働争議の心配がなくて管理がしやすいと判断された。女性には兵役義務がない(兵役で召集された場合、そのポストを維持することが法律で義務付けられていた)。
・女工側の働く要因:農村経済は低収入であるため家計を補助する必要。女性の自立が可能。広い社会を見てみたいという気持ち。
・女工という形で経済社会へ女性が進出→自前の経済力を持ったので消費市場の拡大にも寄与した。
・男性よりも低い賃金、それを正当化する形で責任ある仕事を任せてもらえない。その背景には教育機会の不均等などの問題があったことも指摘される。
・読みながら、「金の卵」が東京を目指した頃の日本とか、逆に近年の中国沿岸部工場地帯の労働環境なども思い起こした。後者についてはLeslie T. Chang, Factory Girls: From Village to City in a Changing China (Spiegel & Grau, 2009、邦訳は『現代中国女工哀史』白水社、2010年)が興味深かった(→こちら)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年8月10日 (火)

呂紹理『時間と規律──日本統治期台湾における近代的時間制度導入と生活リズムの変容』

呂紹理(三尾裕子監訳)『時間と規律──日本統治期台湾における近代的時間制度導入と生活リズムの変容』(交流協会、2006年)

・「標準時間」という観念の浸透によってもたらされた台湾の社会的変容とそこに刻印された「近代性」と「植民地性」との二重性を分析。
・清朝期から、①欧米人との対外交易の始まり、②劉銘傳の新政によって時間的規範意識の変容は始まっていた。
・日本統治初期における気象情報報告、郵便電信、鉄道システムの整備→全島的時報システムの確立(1913年)。
・植民地教育→公共生活で遅刻を許さない、時間厳守励行の規範植え付けを意図。
・皇民化運動・戦時動員→社会全体が画一的生活リズムに組み込まれた→標準化された時間的規範が内面化された。
・鉄道の発車本数の増加、運行密度の高まり→時刻表は分刻み→近代的な機械時計に依存。
・製糖業で働かされる小作農も農業でありながら工場労働のような環境→「水螺」で時間を知らされて労働開始→上から時間意識が支配されたが、農村では内面化まではされておらず、労働時間外での時間意識にはつながらず。他方で、都市部の労働運動では労働時間に関する要求も見られた。
・ラジオ放送→全島レベルでの共時性、家庭内への浸透。
・レジャー活動などを取り上げた第五章については分析がまだ弱かったと著者は序文に書いている。
・植民地政府が標準時間の決定者、解釈者、配分者としての役割→時間的規範意識はあくまでも団体行動を基本として命令へ服従させることが意図されていた。個人が自主的に生活を組み立てるための判断根拠という形では利用されていなかったことを指摘。

 本書を読みながら、日本統治期に育った日本語世代の老人たちが「日本精神」「大和魂」といった言葉を使うとき、それは日本でイメージされるようないわゆる「右翼」的な観念とは異なり、そこには時間厳守も含めて生活徳目に関わる規範意識が込められていたことを思い出した。

 こうした生活徳目について、たとえば、時間厳守=期日を守る、約束を守ってウソをつかない=契約遵守の観念、礼儀正しさ=対人関係の円滑化、勤勉=職務に忠実、公共心=法律や規則の遵守、と読み替えてみると、分業によって効率性向上を図る資本主義的経済組織の運営に不可欠な生活習慣的エートスであったことが分かる。その意味で、むしろ一種の“近代性”そのものだったとすら言える。そうした近代的組織化を円滑に進めるための規範確立が国家の植民地支配事業として進められていた。その点で本書で指摘される時間意識と「近代性」及び「植民地性」とは密接に結び付いていたことが分かる。

 戦後、台湾接収にやって来た国民党をはじめとした中国人の大半にとって、この時間意識は異世界のものであった。つまり、1940年代の台湾は日本の軍需的必要もあってすでに高度な工業社会へと移行しつつあったのに対し、中国大陸はまだ時間的規範意識を要求される産業段階には入っていなかった。そのため、中国人は台湾人を奴隷根性と蔑視、台湾人は中国人を野蛮で洗練されていないと軽蔑したという点にも、両者の反目の一因があったことが考えられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年8月 9日 (月)

春山明哲『近代日本と台湾──霧社事件・植民地統治政策の研究』

春山明哲『近代日本と台湾──霧社事件・植民地統治政策の研究』藤原書店、2008年

・著者は台湾史研究では知る人ぞ知る権威だが、どうやら本書が初めての単著のようだ。日本による植民地支配下における①霧社事件をめぐる問題(第一部)、②日本本国の政治過程、とりわけ立憲体制との関わりの中での対台湾政策の展開(第二部)、以上2点をメインテーマとして過去の論文が集められている。入手の難しい論文もまとめて読めるのはありがたい。

・1930年の霧社事件に直面した日本本国での議会・内閣など政治過程でどのような議論がかわされたのかの分析。当時は民政党の浜口雄幸内閣。議会では無産政党系(浅原健三など)が批判。文官総督には政党色があった→野党の政友会は総督の交代による失策を探したが、見当たらず、台湾問題ではむしろ政友・民政とも政策の継続性。
・陸軍の対応。鎮圧に際して毒ガスは使われたのか?→十分な毒性を持った催涙ガス。

・台湾総督による事実上の立法権を認めた六三法→日本本国の政党政治家からすると、議会の立法権を一時的に台湾総督に貸与しただけ、従っていつかは回収されるべきという認識→明治憲法が議論の引照基準となっていた。
・政党政治リーダーとしての原敬による植民地官制改革→タイミングの悪さ(朝鮮の三一独立運動など)から朝鮮総督への文官登用には失敗(山縣有朋の養子で官僚出身の山縣伊三郎が念頭にあった)→代わりに海軍出身の斎藤実が就任(→従来の陸軍の武断統治に代わって文化政治)。一方、台湾総督には官僚出身の田健治郎が初の文官総督として就任。
・原は植民地総督を政府委員として議会に出席させる制度をつくった→議会の視線を意識させる→しかし、原の死後、この制度は廃止された。
・原敬と後藤新平の比較。原は国会制度の問題として植民地を考えた。疎外された東北出身者として藩閥支配という内地における不平等を克服するため明治憲法体制→これを植民地にも広げて制度的同一性(これは同時に「同化」にもつながる)→内地延長主義。
・対して後藤は、外交問題の中で植民地を考えた。日本の国際的地位向上のため文明的植民政策→憲法の有無は関係ない、植民地統治がうまく機能すればいい→「ヒラメの目をタイの目にすることはできない」というプラグマティズムから「同化」政策はとらない→特別統治主義。
・後藤や岡松参太郎には、台湾に関して特別立法を可能とする追加条項を憲法に盛り込みたいという思惑あり(「不磨の大典」たる憲法を改正しようとした試みとも言える)→台湾統治法(特別法は一般法に優越するという法理)の試み→日本本国から独立した法域の形成を意図。
・台湾独自の法慣習を考慮する必要→台湾旧慣調査→岡松参太郎は、清朝行政法研究のほか、とりわけ原住民の慣習の人類学的調査研究は法制史上で貴重な分野であることに気づいた。これについて著者は「法理論の継受」という問題意識から再評価できるのではないかと示唆している。

・第三部は台湾史研究の回顧。師であった戴国輝の思い出がしばしば語られる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年8月 8日 (日)

近藤正己『総力戦と台湾──日本植民地崩壊の研究』

近藤正己『総力戦と台湾──日本植民地崩壊の研究』刀水書房、1996年

・第一部「戦時下における植民地統治の構造」は日本の南進政策との関わり、戦時動員、先住民政策などの政策展開を分析。
・小林躋造(海軍出身)台湾総督→「南進化、工業化、皇民化」の一体性を意図、台湾を南方の玄関と位置付け。
・南進:台湾総督府には日本の南洋・中国南部への進出を担おうとする意図があった(例えば、海南島の「台湾」化の思惑)。ただし、総督府(海軍出身の小林総督)と台湾軍(陸軍)との間には路線対立→南進が国策決定されてようやく妥協→台湾は南方進出の物的・人的資源供給基地として位置付け。
・植民地人民に兵役義務がないことは日本人側の優位性の根拠→当初は徴兵制施行に消極的→異民族支配構造の枠組みを維持しながら戦時動員するため「軍夫」→戦局が押し詰まり、本格的な動員のため皇民化政策。
・日中戦争時の軍夫動員→一定数が大陸に残留→①待遇が良い、②台湾に戻っても遠からず徴兵されるだろうという見通し。
・改姓名:漢族系には任意性を強調(後の特別志願兵制度と同様に、「志願」という能動性に特別な意味づけ)。対して原住民系には、個人単位の認可改姓名(初等教育機関に在学中の生徒たち)、許可改姓名(1941年6月17日の始政記念日を期して一家全員一律に強制)の二段構え。
・高砂義勇隊の指揮官は軍人ではなく「蕃語」に通じた理蕃警察官→「蕃社」における警察支配の構造がそのまま部隊編成にまで貫徹。
・小磯国昭内閣の朝鮮及台湾在住民オ政治処遇調査会(伊澤多喜男・元台湾総督や下村宏・元台湾総督府民政長官は制限つきながら参政権を提案)の検討→台湾・朝鮮合わせて10議席の衆議院枠の配分を通達、しかし敗戦間近。
・第二部「台湾光復運動の展開」では大陸に渡って抗日運動を行った台湾出身者の活動や光復後のビジョンをめぐっての論争について分析。
・李友邦→台湾独立革命党、台湾義勇隊(朝鮮義勇隊発足に触発された。黄埔軍官学校出身者が指導。中国側から武装化は許されず)。抗日運動のため中国大陸に渡っても、中国側から疑いの目で見られた。
・中国国民党の台湾党部設置問題→対日秘密工作が目的。翁俊明殺害事件→台湾出身者の排除。
・光復後のビジョンについて柯台山、謝南光、黄朝琴、郭彝民の意見書を分析。日本統治下における高度な産業化、効率的な行政・生産機構を前提として、これらを日本の体制から引き離していかに引き継ぐかという論点が目立つ。また、中国化の問題、自治の問題。
・福建省の陳儀主席(1934年~)政権とかつて台湾総督府は経済的に良好な関係を取ろうとしていた。1937年には陳儀が台湾視察、経済開発のモデルとみなした。
・辜顕栄は戦前からアモイに投資していた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【映画】「沈まぬ太陽」

「沈まぬ太陽」

 山崎豊子の原作は未読。舞台は日本のナショナル・フラッグ・キャリアたる某航空会社。エリート候補だが組合活動を指導していたことから会社上層部から睨まれていた恩地(渡辺謙)のサラリーマン人生を縦軸に、御巣鷹山墜落事故の遺族対応や社内改革をめぐるあつれきが描かれる。

 企業の目的は収益性向上にあるのはもちろんだが、同時にその会社が担っている社会的ミッションへの誇り(航空会社の場合、安全運航)があってはじめて成り立つ。上層部の言う「会社のため」と恩地が言う「会社のため」のズレはそこにある。日本の高度経済成長というのも、単に経済発展というだけでなく、この恩地の人生に象徴される自分の仕事への社会的ミッションの自覚と誇りが会社への献身と結び付いた意識が下から支えていたからこそ可能であったと言える。

 上映時は割合と評判が良かったように思うが、いざ観てみるとちょっと期待はずれ。ヒューマン・ドラマとしての筋立てと企業内暗闘の筋立てとがうまくかみ合っておらず、全体的に散漫・冗長の感が強い。

【データ】
監督:若松節朗
2009年/202分
(DVDにて)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【映画】「フロスト×ニクソン」

「フロスト×ニクソン」

 ウォーターゲート事件で大統領を辞任してから沈黙を守っていたニクソンにテレビの連続インタビューの申し込みがあった。依頼主はイギリスのトークショー司会者であるフロスト。組しやすしと判断したニクソンは受諾した。アメリカでの知名度アップを狙うフロストだが、対するは名うての策士ニクソンである。のらりくらりと論点をはぐらかして自己正当化を図るニクソンの話術に翻弄されてしまう。

 ニクソンがウォーターゲート事件への関与を初めて認めたテレビ・インタビューの模様を描く。もともとは舞台作品だったそうで、言葉のやりとりそのものに緊迫感を持たせる構成となっている。言葉を使ったルールなき格闘戦、4ラウンドの最後でフロストが一発逆転という筋立て。ただし、勝利の爽快感はむしろ抑え気味だ。かつてニクソンが大統領選挙でケネディに敗れたとき、敗因はテレビ映りの悪さだった。ラジオで討論を聴いた人はむしろニクソンに軍配をあげたとも言われる。このテレビ・インタビューでも、ニクソンが事件への関与を認めたというスクープ以上に、その時の彼の表情を捉えたことが大きくものを言った。選挙では政策論争が重視されるべきと一般論としていわれても、実際には論理的説得よりも映像など印象で物事が判断されやすい危うさが背景から見えてくる。

【データ】
監督:ロン・ハワード
2008年/アメリカ/122分
(DVDにて)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

青井哲人『植民地神社と帝国日本』

青井哲人『植民地神社と帝国日本』吉川弘文館、2005年

・日本の植民地支配下の台湾や朝鮮半島に建てられた神社を都市計画論のコンテクストの中で捉える視点で、植民地支配によって都市空間・社会・文化が再編成されていく過程が検証される。著者の専門分野は建築史。
・日本内地の神社は平地での立地が多いのに対して、外地では山の中腹が多い。人為的構築物が集まった市街地だけでなく、山や森など自然的環境も含めて日本の植民都市の性格を捉える。神社鎮座地選定の議論そのものが、同時に既存の都市が持っていた歴史的経緯をいかに取り込んで位置付けていくかという都市論の性質を帯びていた。
・例えば、護国神社の創建(1930年代後半以降)→神社祭祀に必要な条件を検討しなおして空間を再設計する態度があった→建築の性格・機能が日本支配下で一元的・均質的な機能主義。同時に、地域主義と組み合わせて、それぞれの地方色も取り入れた。つまり、「地方」に固有のアイデンティティーを認めながら、それを「帝国」へと包摂していくイデオロギーが神社創建を進めた内務省神祇局等に見出される。
・朝鮮半島では、まず日本人居留民が創建→日韓併合後、植民地行政の中心としての京城に宗教的秩序形成の意図から朝鮮神宮→戦時下、神社祭祀と民衆の大量動員のため境内・社殿の改変が行われた。また、内地における支配一元化に合わせて植民地でも技術的一元化の波及。
・台湾の寺廟整理運動:従来の研究では皇民化運動など戦時下の宗教政策による強制という側面が強調されていたが、皇民化運動以前から寺廟は段階的に減少傾向にあった。皇民化運動だけでなく、寺廟の公的施設への転用・建設、市区改正事業など植民都市としての空間的再編成の流れの中で寺廟の処分があったことも捉える必要が指摘される。
・在来都市と植民都市計画という二重性を抱え込まざるを得なくなった台湾や朝鮮半島の人々は、これらをどのように受け止めて自分たちのものにしていったのかという問題意識が示される。
・近代の神社を宗教史ではなく建築史・都市計画史の観点から分析、その上で植民地権力によって再編成された都市空間の中で抱えざるを得なくなった伝統と(押し付けられた)近代との葛藤がどのように受け止められたのかという問題意識を示しているところに関心を持った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年8月1日 - 2010年8月7日 | トップページ | 2010年8月15日 - 2010年8月21日 »