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2010年6月20日 - 2010年6月26日

2010年6月26日 (土)

宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』

宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』岩波新書、2010年

・議論の前提として、アンソニー・ギデンズ、ウルリッヒ・ベック、ジグムント・バウマンたちが示した現代社会論を踏まえて問題の構図が描かれる。「近代」の目標は「家」「伝統」「聖なるもの」の拘束から個人を解放し、与えられた関係性に盲従するのではなく、自ら選んだ関係へと置き換えていくこと→〈私〉の価値基準を外的、超越的な何かに置くのではなく、他ならぬ〈私〉自身の中に求める。現代は「脱近代(ポストモダン)」ではなく、「近代」のプロジェクトが成功したからこそ新たな段階へと進んだ「後期近代」「再帰的近代」。
・〈私〉のかけがえのない固有性。同時に、本来ならば社会的・公共的に解決されるべき問題まで、すべて個人の処理すべき課題と見なされて、〈私〉の負担が大きい社会。
・本書はトクヴィルの「平等化」という概念を踏まえてこうした〈私〉の時代を考える。貴族性など不平等な時代には他者との相違は自明のことであったが、平等化→みんなが同等者であるべきだからこそ、他者との微妙な差異が気にかかる、言い換えれば現実の不平等に敏感になる→〈私〉意識をもとに社会的不合理について異議申し立て→社会を変えていく原動力にもなる。
・〈私〉の抱える不安や不満は下手すると他者への排除へと向かいかねないが、そうではなく〈私たち〉の問題として考えるためのデモクラシー→リスペクトの配分、つまり〈私〉の固有性にこだわりつつ、それを確認する相互承認の相手として他者が必要。

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吉澤誠一郎『清朝と近代世界』

吉澤誠一郎『シリーズ中国近現代史① 清朝と近代世界 19世紀』岩波新書、2010年

・欧米列強との接触により動揺を来たし、とりわけアヘン戦争、太平天国をはじめとした危機に直面した19世紀の清朝。本書は政治史ばかりでなく経済・社会など多面的な視点を交えて近代世界の中に置かれた清朝の矛盾と変容を描き出す。
・太平天国をはじめとした各地を鎮圧→①1860~70年代はイギリスをはじめ列強との関係が安定しており協力が得られた、②地方有力者を味方につけた、③外国貿易の展開や商品経済の活性化といった経済動向を生かした財政成立による税収→19世紀における清朝の動揺を衰退と捉えるのではなく、清朝が体制立て直しに成功してこうした危機の過程を通して統治体制が変容したと捉える。
・太平天国は儒教攻撃→鎮定後は社会復興の理念として儒教を強調→秩序再建に有用であった一方で、改革への制約ともなった。
・清朝は漢人、チベット、モンゴル、ムスリムなどが王朝権力と個別に結び付く形での多元的統治体制→20世紀初頭の国民国家をめぐる論争(梁啓超、汪精衛など)では、清朝の版図がそのまま国民形成の範囲となることについての説明が不十分だった。
・清朝は最末期になってようやく「帝国」を名乗り始めたのであって、18世紀以前の清朝を「帝国」と呼ぶのは誤解を招くと指摘。1908年の欽定憲法大綱に「万世一系」という表現があるが、皇帝権力によって国民統合を進める「大清帝国」という発想は、「大日本帝国」の近代化改革を意識。
・アメリカの圧迫を受けているハワイのカラカウア王が李鴻章や唐廷枢らと会った際、アジア連帯のため清・日本の連携を説いた。

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繁沢敦子『原爆と検閲──アメリカ人記者たちが見た広島・長崎』

繁沢敦子『原爆と検閲──アメリカ人記者たちが見た広島・長崎』中公新書、2010年

 日本の敗戦直後、まだ一ヶ月も経たないうちに相当数の連合国側ジャーナリストが被爆地へ訪れ、その惨状を目の当たりにしたが、彼らの書いた記事原稿はほとんど本国の媒体に載ることはなかった。何を見て、何が伝わらなかったのか、彼らの動きを検証し、アメリカ側の「検閲」の問題を考えていく。

 GHQが組織的な検閲をしていたことは周知の通りだろう。アメリカは戦争中から厭戦気分が生まれるのを警戒して人的災禍の悲惨さについての報道は抑制されていたし、核情報独占の思惑もあって、そうした意味で戦後の検閲は戦中から継続したものだったとも言える。

 しかし、検閲による情報不足から原爆への無知・無関心が生じたのか? 検閲やプロパガンダがなく被爆の実相が正確に伝えられたとしても、アメリカ本国世論は果たしてそれを受け入れたのか? 一つには、日本軍の残虐行為と相殺することで無差別爆撃や原爆投下を正当化するロジックが生まれ、これらの合法性・道徳性を問う議論が押さえ込まれてきたという問題がある。それ以上に、現地を目撃したアメリカ人ジャーナリストも、ジャーナリストである以前にアメリカ人であり、アメリカ人としての愛国心やプライドによって、目の当たりにした惨禍を正当化しようとする契機が現われたのではないか。外的圧力としての検閲よりも、内面的な自己検閲という問題が自ずと浮かび上がってくる。

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2010年6月25日 (金)

戸部良一『外務省革新派──世界新秩序の幻影』

戸部良一『外務省革新派──世界新秩序の幻影』中公新書、2010年

 戦間期東アジア国際秩序において大国間協調という形ながらも日本の強大化抑制が意図されたワシントン体制の打破、閉塞した日本国内のシステム変革への連動が期待された対外的危機──満洲事変をきっかけにこうした思惑から外務省の少壮官僚たちが従来の外交、すなわち幣原外交との訣別を主張し始めた。彼らを外務省革新派という。本書は、中でも精力的なパーソナリティーで注目を浴びた白鳥敏夫を軸として彼ら革新派の動向を描き出す。白鳥という人は日本政治外交史でよく名前を見かける割に(日独伊三国同盟の推進者であり、最近はいわゆる「富田メモ」に名前が出てきたことでも話題になった)、どんな人物なのかあまり知らなかったので興味深く読んだ。

 「革新派」と一言でいっても、当時の外務省におけるある種の「下剋上」的風潮で総称されているだけで、明確な派閥を形成したわけではない。一つには人事の停滞から不満がわだかまっており、そこに外交刷新、機構改革といった政論が相俟って若手の共感を集めたのだという。

 英米主導の旧体制からの脱却を目指し、「アジアに帰れ」、西洋「物質」文明批判といったスローガンが高唱されても次なる新体制というのが実は曖昧であり、帝国主義批判、アジア解放を戦争正当化の理由に持ってきても、では日本自身はどうなのかという矛盾にぶつかってしまう。革新派の主張する「皇道外交」なるものは抽象的な観念に過ぎず、結局、現実の権力政治を言葉で包み込むオブラートにしかならなかった。

 ただし、見方を変えれば、従来の実務派外交官とは異なり、彼ら革新派は「理念」を語ろうとしたところに特徴があったと指摘される。中国での戦争が泥沼化した鬱屈、欧州で始まった第二次世界大戦の衝撃、こうした事態に戸惑う国民の耳には、エリート外交官の専門的・高踏的な議論ではなく、革新派の単純化された世界観の方が分かりやすかった。つまり、外交が大衆化された時代において、国内世論に敏感に反応したところに革新派が外務省内で大きなプレッシャー・グループとなった理由があると考えられる。

 なお、戦後、白鳥が提唱した戦争放棄論が憲法第9条に取り入れられたという説があるが、戦中・戦後にかけての彼の言動はかなり神がかり的であり、かつ時局に応じて主張が180度展開してしまうところもあり、いまいち信用はできないようだ。

 西欧主導の世界観=「近代」を超える、と言っても、現実としての権力政治は何も変わらないわけで、下半身は彼らが批判した当の「近代」のままでありながら、観念だけで「近代」を「超えた」気分に浸りこむという矛盾。白鳥の外交論がそうだし、先日読んだばかりの牧野邦昭『戦時下の経済学者』(中公叢書、2010年)で取り上げられていた難波田春夫の「日本経済学」もそうだし、もっと広いコンテクストで言うと当時流行した「近代の超克」論がそうだろう。このあたりは、私自身もっと突き詰めて考えたいのだが、どうにも手に余る。

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2010年6月24日 (木)

梅田百合香『甦るリヴァイアサン』

梅田百合香『甦るリヴァイアサン』講談社選書メチエ、2010年

・ホッブズ思想の読み直しを踏まえて、彼の思想に対する現代の誤解を解きほぐし、現代思想との比較を試みる。社会契約説の前提として、利己心という通俗的理解ではなく、神の意志→必然としての自己保存という人間観が一つのポイント。
・ホッブズとアレントとの比較。第一に、ホッブズの言う神=自然によって強いられる「生命の自己保存」という必然に従属した存在としての人間理解→「生命を最高善」とする抽象的で実効性のない(普遍性を装いつつも国民国家の枠内でしか保障されない)近代的観念の祖としてアレントは批判。第二に、「自由意志」の独我論には「他者」の契機がないというアレントの問題意識→ホッブズは意志の自由と活動の自由とを区別(人間の内面は問わない→近代的国家論)し、「自由意志」を社会契約の基礎に置かなかった点で、二人の共通点を指摘。ただし、ホッブズは神に対する義務を強調したのに対し、アレントは「他者」との相互性を重視。
・レオ・シュトラウスのホッブズ論。実証主義・歴史主義に基づく社会科学はニヒリズムに陥ったというシュトラウスの近代批判の問題意識→ホッブズの中に絡まりあう法的原理、道徳的原理、自然主義的原理のうち、シュトラウスは無神論的自然主義を批判するあまり道徳的要素を探る方向へ向かった。(なお、レオ・シュトラウス『ホッブズの政治学』は以前に読んだことがある→こちら
・ネグり=ハートの近代批判としての〈帝国〉論との比較。リヴァイアサン=国民国家の影響力は依然として残っている点を指摘。
・国際関係論におけるリアリズムやネオコンが言及する「自然状態」はただの戦争状態なのか?→実際の国際関係ではすでに各国家が形成されている。国家間関係は「自然状態」だとしても、それぞれの国家内では自然法と平和が成立しているという重層構造になっており、「まったくの自然状態」とは言えない。
・情念に衝き動かされる人間の本性を善悪の価値判断ではなくあるがままに受け止めようとするがホッブズのリアリズム。彼の思想においては、恐怖=自然権=戦争、希望=自然法=平和、こうした二つの方向性が理論上対等に設定されている。

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2010年6月23日 (水)

牧野邦昭『戦時下の経済学者』

牧野邦昭『戦時下の経済学者』中公叢書、2010年

 戦時期における総力戦体制=統制経済が戦後日本の高度経済成長につながったという議論はいまや常識の観すらあるが、本書では当時のアカデミズムにおける経済学者たちの論争が具体的に検討される。

 序章で取り上げられる河上肇と終章の高橋亀吉との比較が興味深い。片やヨーロッパ留学中に第一次世界大戦を目撃、片や第二次世界大戦の最中にあって経済政策を提言、いずれも総力戦の衝撃を身を以て受けていた。二人とも基本的な目的としては奢侈の廃止→剰余資金を生産力拡充にまわす→貧困問題の解決というロジックにおいて総力戦体制に注目している。ただし、河上が利己主義→利他主義という人格的理想主義を強調したのに対し、リアリストである高橋は統制経済の枠内での利己主義を認める。さらに戦後、総力戦の経験は経済復興に役立つと説いた。

 陸軍の委嘱を受けた有沢広巳はドイツの事例を踏まえ、総力戦体制は長期化すれば国民生活を圧迫して経済の内部崩壊を引き起こしかねないが、短期的には可能と返答。名和統一は、日本経済の基盤は脆弱なので戦争が拡大すればするほど英米に依存せざるを得ない産業構造になっている点を指摘。しかし、軍部が求めているのは現状分析ではなく、それを踏まえた勝ち方のヒントであって、その点で経済学に対する過剰な期待があった。他方で、この時の戦力評価をもとに、戦後、有沢は「傾斜生産方式」を提唱、中山伊知郎は戦時経済研究の経験が戦後経済政策に役立ったと振り返っている。

 難波田春夫の「日本経済学」と大塚久雄の合理的態度重視、一見対照的に見える二人だが、国民固有のエートスに着目していた点で共通するという指摘が興味深い。経済や社会を説明するに際して日本の特殊性を取り上げるというパターンは戦後も続く。「近代の超克」的な風潮の中、西欧は行き詰ったから日本独自の経済学を作り上げるんだ、と難波田の鼻息は荒かったが、高田保馬は、まだ経済学知識を十全に吸収していないのに独自の経済学も何もないものだと慨嘆していた。また、総力戦体制下にあって、①統制経済を支持→「アカ」という批判を受け、②市場原理を支持→「自由主義者」「資本主義擁護」としてやはり批判を受け、いずれの場合でも「反国体」的とみなされてしまうダブルバインド。資本主義を肯定するか否定するかという政治図式は、戦後においてマルクス主義か否かという二者択一となり、マルクス主義以外の経済学を「近代経済学」と総称する日本特殊の表現が定着した。

 数理モデルを用いて客観性を標榜する経済学ではあるが、その実、時代的思考枠組みの影響から逃れることの出来ない様々な葛藤が見えてくる。具体的な論争の有様を整理して(上記の他にも柴田敬、作田荘一、山本勝市、大熊信行なども取り上げられる)そうした葛藤を浮かび上がらせ、それが経済政策においてもアカデミズムにおいても戦後につながっていることが確認される。昭和初期経済思想史として論点も豊かで興味深く読んだ。

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譚璐美『中国共産党を作った13人』

譚璐美『中国共産党を作った13人』新潮新書、2010年

 1921年7月22日、上海で中国共産党第一回全国代表大会が開催された。この時点を以て組織としての中国共産党が成立したわけだが、党史の正統的見解に抵触するタブーでもあるのか、成立当初の実態はあまり知られていない。本書は歴史の表舞台から消えていった中国共産党初期の人物群像に焦点を当てる。

 第一回大会参加者13人のうち1949年の中華人民共和国成立まで幹部として残ったのは毛沢東と後に副主席となる董必武の二人だけ。残りは国民党や軍閥の弾圧で落命したり、権力闘争に敗れるなど、様々な理由で脱落していった。周仏海と陳公博は汪兆銘政権に参加したため漢奸として獄死もしくは刑死している。13人のうちには日本留学経験者が多いのも目立つ。

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2010年6月22日 (火)

イーユン・リー『さすらう者たち』

イーユン・リー(篠森ゆりこ訳)『さすらう者たち』河出書房新社、2010年

 文化大革命末期の地方都市。紅衛兵のリーダーとして糾弾闘争の先頭に立っていた女性活動家自身が今度は反革命に問われ、処刑されることになった。紅衛兵だった女性の刑死への抗議が自由な社会を求める人々のシンボルとなり、さらに弾圧の口実ともなる逆説。この中で翻弄される町の人々が見せた反応を描き出した群像劇。

 モデルとなった事件は実際にあったらしく、それをもとにイマジネーションがふくらまされている。ただし、これはあくまでも小説であって、強い政治的メッセージが意図されているわけではない。それでも文革という政治事象に絡めて言うなら、「政治的正しさ」の基準に従って他人を糾弾することで自らの優位を確証しようとするルサンチマンにしても、あるいは面倒を避けようと無関心を決め込むのも、いずれもエゴと言ってしまえばエゴであるが、エゴがそのまま「良い」「悪い」という断案に結び付くわけではない。同情が偽善的においを放ったり、夫をつまらないお坊ちゃんだと思っていても一生懸命に愛情を訴える姿にいとおしさを感じる瞬間もあったり、好奇心半分の同棲生活に真情がこもったり、様々にヴァリエーションを帯びた屈折や葛藤、そうした感情的機微が一人一人について丁寧に描き出されているところにこの本の小説としての面白さがある。グロテスクなものに興味を寄せる青年の心理なども陰影を添える。訳文が微妙にぎこちないのが気になった。

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2010年6月20日 (日)

山室信一『思想課題としてのアジア──基軸・連鎖・投企』

 “アジア”なる言葉を我々は当たり前のように使っているが、地域呼称として示される対象は伸縮自在でよくよく考えてみると落ち着きがあまりよくない。西欧による規定であるにもかかわらず、この規定の中に含まれた我々がそれを他ならぬ西欧に対抗する原理として意識し、自分たちの存立根拠を求めようとして半ば後知恵的にこの概念の実体化を試みてきた。しかし、その西欧への対抗意識や、そもそも“アジア”内部の関係が時代に応じて変転してきたため、立場によって“アジア”なるものへの態度が全く異なったものにすら見えてきてしまう。

 山室信一『思想課題としてのアジア──基軸・連鎖・投企』(岩波書店、2001年)は、この“アジア”をめぐる膨大な言説を渉猟しながら、思想史的に検討可能な問いの視座を提示しようとする。第一に、“アジア”という一つの呼称を敢えて用いる場合、指し示された空間の中に一定の共通性・類似性があることを前提として他の地域との差異化が意図されているわけだが、政治的立場は異にしても基底において共有されている“アジア”的なものが認識される思想基軸はあるのか? 第二に、欧米と“アジア”との関係、“アジア”内諸社会同士の関係、いずれにおいても思想や制度の影響関係があったわけで、それらが互いに受容、反発、変容、さらには自己の逆規定など様々な相互反応を引き起こしてきた思想連鎖のダイナミズムをどのように捉えるのか? 第三に、こうした“アジア”なるものの認識や相互連鎖を踏まえて、いかに自分たち“アジア”を再編成していくかという政治的実践が図られたのか?

 19~20世紀、西欧によってもたらされた資本主義システム、主権・国民国家システム、すなわち“近代”世界へと“アジア”が組み込まれていった過程で、これらシステムを受容しつつ、いかに自分たちの独自性を維持、さらには自己顕示していくのかという抵抗の拠り所として“アジア”をめぐる言説が大きく浮上してくる。近代システムへ組み込まれること、すなわち西欧化=平準化に対して自分たちの固有性の探求→類同化という論点が提示されている。いちはやく“近代”を達成した“日本の衝撃”→日本を結節環として欧米の法政思想が継受されたが、その中国・台湾・朝鮮半島・ヴェトナムなどへのディストリビューターとしての役割を果たした梁啓超には関心がある。欧米との比較で“アジア”の停滞という認識をしつついち早く近代化=西欧化を進めた日本はアジアの指導者という自己認識を持ったアンビバレンス、日本のアジア主義の自己言及的・自己肥大的な観念はすなわち大日本主義そのものであったという矛盾、こうした問題は日本の近現代史の大きな蹉跌であろう。“東アジア共同体”が政治課題に上っている現在、開かれた地域主義をいかに構成するかという問題意識は“アジア”言説をめぐって継続中のテーマだと言える。

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「プロジェクトJAPAN シリーズ日本と朝鮮半島 第3回 戦争に動員された人々~皇民化政策の時代~」

「プロジェクトJAPAN シリーズ日本と朝鮮半島 第3回 戦争に動員された人々~皇民化政策の時代~」

 戦時下、日本が朝鮮半島において実施した皇民化政策について。特攻隊や女子挺身隊に志願した人や遺族へのインタビュー。日本側は朝鮮半島で徴兵制を実施するにあたり、銃を逆に向けるかもしれないと慎重論があった一方、兵力不足への懸念からの積極論は理解できるが、日本人ばかりが戦死して朝鮮人だけが生き残るのは由々しいことだ、朝鮮人にも戦死してもらおう、という意見は何だかなあ。特攻隊となった朝鮮人およびその遺族は、自分の国ではなく他国のために死んだ上、志願という建前→対日協力者として戦後は肩身の狭い思いをせざるを得なくなったという二重のつらさ。被害認定は、金銭的補償よりも名誉の問題として切実である。同様の問題は、裵淵弘『朝鮮人特攻隊―「日本人」として死んだ英霊たち』(新潮新書、2009年→こちらで取り上げた)でも取り上げられている。

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