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2010年5月30日 - 2010年6月5日

2010年6月 5日 (土)

竹中治堅『参議院とは何か 1947~2010』

竹中治堅『参議院とは何か 1947~2010』(中公叢書、2010年)

 参議院の性格をめぐっては「強い参議院」論と「(衆議院の)カーボンコピー」論の二種類がある。ただし、それぞれ特定の政治状況に着目した議論という傾向が強いと本書は指摘、時系列的にも政治過程的にもこれまでの政局動向をトータルに検証しながら参議院が果してきた役割を考える。日本国憲法で規定された議院内閣制は衆議院と内閣との融合という形をとる。対して、解散のない参議院の独立性は比較的強く、本書では政権=内閣と参議院との緊張関係に的が絞られてくる。

 松野鶴平や重宗雄三が参議院議長だった時代、彼らは独自グループとしての参院自民党を掌握しており、政権側はこれへの対応に苦慮していた。ところが、参議院改革を唱える河野謙三が野党の支持を得て議長に就任、自民党の参院独自グループはなくなり、代わって派閥化→派閥をつなぎとめれば政権側の方針が通りやすくなった。また、河野以降、議長は党籍離脱の慣行(これは参院改革というよりも、河野が自民党主流派に反旗を翻したため自民党を出ざるを得なかったため)→議長職権による強引な議院運営ができなくなった→参院議長と内閣との緊張関係緩和。こうした成り行きで、「良識の府」を取り戻すというスローガンとは裏腹に、政権側の方針が通りやすくなったという逆説が興味深い。ところが、衆議院での選挙制度改革(小選挙区比例代表並立制)→首相の指導力が高まり、自民党派閥の弱体化→参院自民党に独自行動の余地(村上正邦、青木幹雄)→小泉純一郎も参院には一定の配慮をせざるを得なかった。

 参院の審議で否決・修正が少ない点に着目すれば「カーボンコピー」論は成り立つ。しかし、政策決定過程をトータルで捉えると、事前の根回しや、通過する見込みのない法案は最初から提出を断念するという形で、参院側の意向は反映されていた。また、衆参ねじれの際、参院での過半数を目指して少数政党が連立政権入りするのも、見方を変えれば多角的民意の反映と言うこともできる。従って、憲法制定当初に想定されていた衆議院に対する抑制として立法活動の慎重化(参院は現状維持志向→内閣による新規提案を拒否する傾向がある)、二院制による多角的民意の反映といった機能を参議院はある程度まで果たしてきたと指摘される。ただし、だからと言って現状で十分というわけではない。例えば、自民党・民主党の二大政党化の趨勢が見られる現在、衆参のねじれはただちに政局停滞・混乱を招きかねず、参院の独自色としての多党化を促すために選挙制度改革なども提言される。

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「パーマネント野バラ」

「パーマネント野バラ」

 離婚して実家に子連れで出戻ったなおこ(菅野美穂)。母親(夏木マリ)は美容院・パーマネント野バラを切り盛りしている。男で失敗続きの友達(小池栄子、池脇千鶴)に、いつも猥談に興じてばかりいる常連のおばさんたち。なおこは人目を忍んで昔なじみの恋人に会いに行くが、何か事情がありそうな様子。

 西原理恵子原作の映画化が続いている。登場人物の性懲りないバカさ加減にあきれ果てつつ、そのみじめさには放っておけない人間くささがあっていとおしく感じさせる。ラフな絵柄と笑いというオブラートにくるまれてはいても、彼女たちを見据える視線はえげつないほど冷ややかであり、それなのに矛盾するようだが温かい。醜い猥雑さの中にもほのかに漂ってくるペーソスが西原作品の何とも言えない魅力だ。

 なおこの見る幻影は、淡いノスタルジックな恋心というだけでなく、このみじめな人生の中でも気丈さのよすがとなる何かを求める気持ちの表われと言えるのだろうか。菅野美穂のたたずまいに清潔感があってそうした印象を受けた。監督は吉田大八、以前、本谷有希子原作の「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を観たことがあったが、美しい農漁村の風景の中でもジトジト湿っぽい田舎の人間関係みたいな設定は同様で、そういうテーマの志向性があるのか、たまたまなのか。

【データ】
監督:吉田大八
原作:西原理恵子
脚本:奥寺佐渡子
出演:菅野美穂、小池栄子、池脇千鶴、宇崎竜堂、夏木マリ、江口洋介、他
2010年/100分
(2010年6月4日、新宿ピカデリーにて)

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2010年6月 4日 (金)

篠原初枝『国際連盟──世界平和への夢と挫折』

篠原初枝『国際連盟──世界平和への夢と挫折』中公新書、2010年

 歴史的事象を振り返ってみたとき、往々にして成功は当たり前のようにみなされ、失敗の印象は強く残りやすい。国際連盟は第二次世界大戦の惨禍を防げなかった点でよく失敗したと言われる。しかし、仮に国際連盟がなかったとしたら現代の我々が果たして享受し得たのか分からない様々な成果もまた生み出していた。本書は、国際連盟が描いた26年の軌跡を当時の時代的コンテクストの中で位置付けながらたどっていく。

 保健衛生、難民問題、知的協力などについては現在につながる制度づくりが行われ(例えば、感染症の防止など。血液型の国際標準化も国際連盟の活動によるというのは初めて知った)、何よりも国際法的枠組みを確立したことはやはり大きい。例えば、常設国際司法裁判所が設立された。加盟国の投票権の平等は主権国家対等の原則を確立した。日本、イタリア、ドイツ、ソ連の侵略を防止できなかったが、少なくとも正邪の判断は下したことは国際法的認識のあり方との関わりで無視できない。

 むき出しのパワー・ポリティクスではなく、小国・弱国でもその存続が保障されねばならない、そうした集団安全保障を目的として国際連盟規約第10条で領土保全の原則が規定された。これは、被侵略国を守る義務が加盟国に課せられるということである(実際には機能しなかったにしても)。そもそも国際連盟はウィルソンの提起によるにもかかわらずアメリカは上院の反対で加盟できなかったのは、この連盟規約第10条により自国の利益に関わりのない問題で軍隊を派遣せざるを得なくなることが懸念されたからであった(見ようによっては、戦後日本の国内世論が憲法第9条をタテにとってPKO等の国際協力に反対してきたのと似ている)。一国の利益と普遍的原理との調和しがたい矛盾は依然として国際組織が抱え続けている問題であり、その困難に初めて原理的に直面した事例として国際連盟を検討する必要はあるのだろう。国際連盟についての概説書はありそうで意外となかったので、こうした読みやすくかつ情報量豊かな本はありがたい。

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2010年6月 3日 (木)

ジョシュア・A・フォーゲル『Articulating the Sinosphere:時空間における日中関係』

Joshua A. Fogel, Articulating the Sinospere: Sino-Japanese Relations in Space and Time, Harvard University Press, 2009

 タイトルのArticulating the Sinosphereをこなれた日本語に移しかえづらいのだが、中華圏(Sinosphere)を時期的に区切って明確化する、といった意味合いになるだろうか。文明圏の核として中国があり、日本、朝鮮半島、ヴェトナムその他の地域がその周りで軌道を描くモデルとして中華圏という捉え方を示す。図式的にはいわゆる朝貢システムと似ているが、ただし、そのように制度化された枠組みではなく、様々な要因が絡まりあって複雑な関係を具体的に取り上げていくための思考道具的な枠組みとしてモデルそのものは抽象化、この中で日中関係を古代から日清戦争直前(つまり、両国関係が険悪化する前)まで幅広いタイムスパンの中で俯瞰しようとしている。人的交流に関わるトピックが多い。

 第1章「日中関係:長期的概観」は日中間交流を古代から江戸時代まで大きく概観、とりわけ人的交流に焦点が合わされている。取り上げられているトピックは過不足なく簡潔。第2章「千歳丸の船旅と日中外交関係正常化への道程:ミクロ・ヒストリカルな視点」は1862年、江戸幕府が清と公的な接触を持とうとして上海に派遣したイギリス製軍艦・千歳丸をめぐるエピソードを細かく検証。上海での交渉で仲介したオランダ人商人のプロフィールなども調査している。その後、日本と中国は国際法的な関係として対等になり「中華圏」は終わるが、日中双方の記憶には残ったと指摘される。第3章「上海の日本人コミュニティ:第1世代、1862~1895年」は明治維新前から上海に来ていた日本人の動向、例えばからゆきさん、商売人、仏教徒、ジャーナリズムなどやはり具体的な人的つながりを取り上げている。近代に入ってからは中国人留学生が西洋の知識を吸収するため来日したが、この当時は上海が日本人にとって西洋への窓口であり、かつ西洋による抑圧をも目撃し、両方の意味で国民国家建設への駆動力となっていく。

 漂流民の果たした役割が興味深い。越前出身の竹内藤右衛門は満洲人に保護され、明朝滅亡、北京占領の際にも同行して、この動乱をじかに目撃した後に帰国したらしい。幕末期、尾張出身の音吉と仲間たちはアメリカに漂着、その後、貿易や伝道のため中国へ行く。音吉はペリーの日本遠征の際に通訳を頼まれたが断ったという。

 岸田吟香は横浜でヘボン(Hepburn)に眼病の治療をしてもらい、その縁でヘボンの日本語辞典編纂に協力。ところで、印刷しようにも維新前の時代であり、機械がない。そこで彼らは上海に行った。上海のキリスト教伝道所では開国したばかりの日本への布教を意図してかな文字の印刷機がすでにあったからだ。この設備を準備したのは、実は音吉と一緒に漂流した弟の久吉だったという。吟香はヘボンに処方を教えてもらった眼病薬を上海で売り込み、これが日中間で最初に行われた直接の民間交易だったとされる。吟香は眼病薬販売のため楽善堂という会社を設立、当時、陸軍の諜報員として中国に来ていた荒尾精はこの店員という身分をカモフラージュとした。荒尾は後に召還命令が来ても除隊して中国に留まり、日清貿易研究所を設立、これが後に東亜同文書院となる。なお、漂流民つながりで言うと、吟香はジョゼフ・ヒコと知り合って横浜で『海外新聞』を出したりもしている。

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松本健一『日本のナショナリズム』

松本健一『日本のナショナリズム』ちくま新書、2010年

 もともと、政権交代以前から民主党中堅議員向けに行われていた講義が本書のもとになっているらしい。東アジア共同体構想や憲法改正論などへの関心によるのだろう。ナショナリズム論を基本的な視座とした近代日本政治思想史概論といった体裁で、この方面について知りたいと思う人には手頃な入門書だと思う。齋藤隆夫と北一輝を取り上げ、一見対照的な二人に見えるが、それぞれのロジックをよく吟味してみると議会政治正常化等の目的のため天皇というシンボルを動員するというリアリズムの発想で共通性があるという指摘に興味を持った。

 ナショナリズムをめぐる困難の一つは、国民国家建設という課題はその当時においては正当であったにしても、それがある程度まで完成されると帝国主義へと向かいかねない危険をはらんだという二面性に求められる。あるいは、外をたたくことで内部の結束を固めようという発想。大隈重信内閣のポピュリズムが対華21か条要求をつきつけ、中国からの不信感を招き、さらにはその後の侵略戦争へつながったと把握される。こうした近代日本の教訓を踏まえ、「アジア共同の家」という著者自身の構想提言に向けて政治的アイデンティティの再定義という問題意識が示されている。

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2010年6月 2日 (水)

ジョゼフ・R・レヴェンソン『梁啓超と近代中国の精神』

Joseph R. Levenson, Liang Ch’i-ch’ao and the Mind of Modern China, University of California Press, 1967

・本書の初版刊行は1953年だから半世紀以上経っている。欧米における梁啓超研究の古典という位置付けになるだろうか。彼の生涯と思想的変遷のアウトラインが体系的に整理しながら描き出されている。①国民国家建設という課題にどう取り組むのか? ②近代化=西洋化と自分たちの伝統思想とは対立するのか、それとも折り合いがつけられるのか?というテーマがやはり中心となる。中国に限らず、日本をはじめ非西洋世界において近代思想史を描こうとすると、必ずと言っていいほどこうしたあたりに議論は収斂してくるわけだが。

・伝統的な中華思想においては中国=世界、つまり中国だけで自足的→他者という観念が薄い(“野蛮”はあったにせよ、ヒエラルキー的世界観の中に取り込まれるという意味で自足的)。清代のイエズス会は結局しめ出され、洋務運動は中体西用論に基づき技術だけの摂取を試みた。対して梁啓超は普遍的視野の中で中国を相対化する視点を示す。つまり、帝国主義列強をはじめ様々な国がこの世界に並立している→他者を認識→分割された世界における分割されざる一つの中国としてナショナリズム→生き残りのための国民国家建設という課題→近代化のため伝統思想克服という課題→「新民説」。
(※一つの中国という立場から革命派の滅満興漢的ナショナリズムを批判→満洲人を排除しようとしたら他の少数民族も追い出せという話になってしまって収拾がつかなくなる。ただし、一つの中国というロジックにおいては言語や習慣の同質性が前提→梁啓超の生きた当時は帝国主義に対する防御という発想だったが、このロジックがその後も受け継がれる中で中国=漢人という枠組みにすり替わって漢人文化への同化圧力→現在の民族問題につながっている点には留意しておく必要がある。)

・生存競争のロジックには当時流行していた社会ダーウィニズムの影響が濃厚。
・①中国伝統の文化主義において文人>武人というヒエラルキー→軟弱な平和主義では生き残れない→日本の武士道への関心。②秦以降の統一帝国の枠組みで儒教イデオロギー支配→社会的同質性のため競争や対立の契機が欠如→停滞の原因という問題意識。⇒梁啓超は先秦・戦国時代に注目→思想の複数性、競争の発想、中国の武士道があったと主張。

・梁啓超は第一次世界大戦直後のヨーロッパを見聞し、西欧の行き詰まりを目の当たりにした→かつて西洋を基準にした中国の改造を主張していたが、西洋の科学文明における唯物主義を批判するようになる。中国は確かに科学的先進性を西洋から学ぶ必要はある。しかし、価値観において西洋にも間違いがあるならば中国自身の伝統思想における価値観を見直していこう、その点で中国が世界に寄与できるところがあるかもしれない→科学/精神の二元論(dualism)における西洋/東洋のシンクレティズム(syncretism)。かつての中体西用論とは発想の契機が異なる点に注意。

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今日マチ子『センネン画報 その2』

 『センネン画報』(太田出版、2008年)を以前たまたま書店で見かけ、何となく良いなあと思って買って以来、今日マチ子作品のファン。第一弾ではカラーは3分の1くらいだったが、今回の『センネン画報 その2』(太田出版、2010年)はオールカラー。水色の情感がポイントだから嬉しい。最初は売れ行きを危ぶんでコスト抑制のため一部カラーとしたのだろうが、実績は好調、今回はオールカラーでも採算は十分とれると見込んだのだろう。

 青を基軸とした背景に繊細な線、水彩のさわやかな透明感が実に良い。高校生活のワンシーンを切り取るような題材、この水色の色合いからは思春期の感傷が静かに浮かび上がってくる。ストーリーものより、セリフのない一つ一つのカットの方が私は好き。学校の教室、白いカーテンがそよ風に揺れているところなどノスタルジーをかき立てられる。雨の日が多い。アパートの片隅のたたずまい。公園や川辺では草むらが風になびいている。夏は涼しげに、冬の夜は寒そうな仕草に叙情的なものが感じられてくる。

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2010年6月 1日 (火)

山口昌子『ドゴールのいるフランス──危機の時代のリーダーの条件』

山口昌子『ドゴールのいるフランス──危機の時代のリーダーの条件』(河出書房新社、2010年)

 第二次世界大戦とアルジェリア独立問題という二度の危機を乗り切ったカリスマ的存在感、米ソ超大国の狭間で埋没しかねない局面の中でたくみに自主外交を打ち出したしたたかさ。政治におけるリーダーシップをテーマとしたドゴールの評伝である。

 強力なリーダーシップを裏返せば“独裁者”というレッテル貼りもされかねないが、サルトルをはじめ左派系知識人によるそうしたドゴール批判の浅はかさに対する反論も大きな柱となっている。ドゴールの生涯を描くというよりもドゴールという人物に仮託して現代政治の不甲斐なさを叱咤するという感じの筆致であり、当時における国内政治・国際環境の力学的関係の中で彼の政治行動を位置付けるという視点でもない。結局、「ドゴールは偉大だった!」という結論になってしまう。著者の思い入れも過ぎると、かえって興醒めしてしまうのが残念なところだ。

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