« 2010年5月16日 - 2010年5月22日 | トップページ | 2010年5月30日 - 2010年6月5日 »

2010年5月23日 - 2010年5月29日

2010年5月29日 (土)

マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう──いまを生き延びるための哲学』

マイケル・サンデル(鬼澤忍訳)『これからの「正義」の話をしよう──いまを生き延びるための哲学』(早川書房、2010年)

 「正義」なんて言うと事情を知らない人は陳腐だと誤解してしまうかもしれないが、そういう本ではない。現代社会において何らかの政治的意思決定が行われる際、その社会の構成メンバーから一定のコンセンサスを得なければならない。この合意形成に当たって必要な根拠と論理のあり方を根源まで突き詰めて問い直そうという試み、これが政治哲学ではJustice=「正義」論と呼ばれている。本書はタイムリーな具体的話題を取り上げながらこうした政治哲学的思索を応用、その中に先哲の議論を手際よく織り込んだ語り口は柔らかでありつつ鮮やかだ。政治哲学の入門書としてとても良い。是非おすすめしたい。

 サンデルはコミュニタリアニズムの論客として一般に認知されており、本書でもそうした立場から功利主義やリバタリアニズムに対する批判が大きな焦点となっている。例えば、すべてを数字換算可能としたベンサムの幸福計算は、経済学的思考ではありふれたものである。しかし、質的に数字換算できないものをどう捉えるのか? 功利主義に立脚しつつ人間性の尊厳をも調和させようとしたJ・S・ミルは結果として功利主義の枠から外れていく。あるいは、リバタリアニズム。我々にとって自由は人格としての尊厳とも結び付き何にも代えがたく貴重である。しかし、表面的な行為として自由を尊重しているように見えても、社会的・経済的不公正によって実際には選択肢が狭められてしまっているとき、それでも自由と呼べるのか? すべての人間に完全な機会均等が保障された社会は実在していない。さらにカントは、没価値的な自由は単なる欲望の肯定であって、欲望そのものは自分の意志で生み出したものではないのだから、その意味で他律的だと指摘、対して理性重視の定言命法によって自律=自由を提起した。同じ「自由」というキーワードでも、リバタリアンとカントとではその意味するところが全く対照的である。

 カントにしても、あるいはロールズにしても、完全に抽象化された中で個人のあり方を模索した。サンデルも含め、ロールズの「公正としての正義」論に対して「負荷なき個人」はあり得ないという批判を提起した人々が一般にコミュニタリアンと呼ばれている。本書でも、契約に当たっては自発的同意だけでなく互恵性も必要、コミュニティの価値意識などの論点から、自分の自発的意志以外の要因によっても道徳的制約を受けざるを得ない存在として個人を捉える視点が示されている。コミュニティ重視と言っても、それは「負荷なき個人」というフィクションに対する批判による論点であって保守派の言説とは異なる。むしろ、コミュニティによる個人抑圧の可能性と個人の自由とをどのように両立させるか?という問題意識も強く示されている。

 問題は輻輳しており、絶対的な解決策はない。功利主義やリバタリアニズムを批判したからといって、ことはそれで済むような単純なものではない。それぞれの理論的立場にも一定の説得力がある。ただし、一つの立場の全面的な適用は、必ずどこかで受け入れがたいという違和感を我々の心中に生じさせ、そのわだかまりにこそ更なる思索を促す契機がある。むしろ本書の目的は、具体的な社会問題の背後に伏在する様々な考え方それぞれの論理的根拠及び展開の帰結を整理、対立点を浮き彫りにすることによって、改めて考え直すための思考上の材料を準備するところにある。それをもとに社会のみんなが対話を繰り返す中で徐々にではあっても合意形成をめざしていくことを本書は求めている。違う理論的立場から議論を行っても、対話という営みそのものに共通善を目指す努力がある、そうした態度にこそコミュニタリアニズムの本領があると言えるだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年5月27日 (木)

シャオビン・タン『グローバル・スペースとナショナリストの「近代」言説:梁啓超の歴史的思考』

Xiaobing Tang, Global Space and the Nationalist Discourse of Modernity: The Historical Thinking of Liang Qichao, Stanford University Press, 1996

 19~20世紀、帝国主義列強によって蚕食されつつあった近代中国が追い求めた対外的に独立、国内的に社会革命、すなわち国民国家建設と近代化という課題。本書は、これに取り組んだ梁啓超のとりわけ歴史的思考のあり方に着目して、彼の思想上の変遷に対する理解を試みる。

 梁啓超の初期の歴史論をみると、空間的・時間的に政治的統一体としての「中国」を定位しようという志向、国民国家形成を意図した歴史叙述がうかがえる。人物論では社会革命のあり方を模索。民族運動革命家としてハンガリーのコッシュート。イタリア統一革命は、マッツィーニの情熱を媒介としながら、カヴールの政治力によって成功したと把握。フランス革命ではジャコバン派によって処刑されたジロンド派の指導者ローラン夫人を取り上げて、革命を動かしたラディカリズムの負の側面に着目。

 梁啓超は民主主義への高い期待を抱いて理念としては主張したが、それが中国の現実に可能かどうかに頭を悩ませた。外遊時に北米と南米を比較→北米に移住したピューリタンのように民主主義的な理念を予め持っていた場合には独立革命を通して民主政体の形成は可能であったのに対し、南米のようにそうした理念が国民全体に浸透してない場合には革命は混乱をもたらすだけと認識。一人ひとりに自由意志的なものが実質的に完備・保障されていない限り、民主政体は混乱と専制をもたらす→近代的市民確立のため「新民説」と同時に、中国について悲観的な現状認識から「開明専制論」をしぶしぶながら主張せざるを得なかった。

 こうした態度は革命的情熱に燃える若手の目には裏切りとしか映らない。梁啓超は、感情論で現状の欠陥から目を背けるのではなく、歴史的展開の中で目的達成を考えるというリアリズムの立場から感情論に突っ走りかねない彼らと論戦。梁啓超の「新民報」と革命派の「明報」との相違(彼は政治小説『新中国未来記』の登場人物によって立憲派と革命派の議論を再現させているが、中江兆民『三酔人経綸問答』を思わせる)→後者に見られるラディカルなユートピア主義という遺産はその後も国民動員における政治イデオロギーとして影響し続けたと指摘される。梁啓超は立憲君主論者であったが、辛亥革命が起こると、この現状を所与の前提として混乱回避と国家建設のため積極的に政権参加。

 梁啓超は「新民説」を唱えた当初、国民国家建設と近代化のため中国の伝統的価値に対しては否定的見解を取っていた。しかし、第一次世界大戦直後のヨーロッパ歴訪→近代の物質文明の行き詰まりと認識→中国の伝統的価値への再評価の契機。このとき梁啓超は、地球という同じ空間の中で異質なものが相互補完的に展開する、いわば弁証法的なダイナミズムとして歴史を把握、こうした人類史的視野の中で近代文明と中国との関係を位置付ける。従って、中国の伝統的価値の見直しは単なるナショナリズム回帰ではなく、それを西欧近代文明と相互補完的に関係付けることで広く世界文明に寄与すべきという普遍主義の主張であったと解釈(私は明治日本における陸羯南や三宅雪嶺など政教社ナショナリズムを想起した)。本書ではこの時点での梁啓超の普遍主義的歴史観について、近代言説にまとわりつく発展段階説的な時間意識とは異なる視点を出しているとしてポストモダン思想と比較しながら評価されている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月26日 (水)

永井荷風『下谷叢話』

永井荷風『下谷叢話』(岩波文庫、2000年)

 荷風の母方の祖父で漢学者であった鷲津毅堂及びその周辺人物について調べた史伝的作品。尊敬する森鴎外の『渋江抽斎』『伊沢蘭軒』を意識したらしいが、漢籍史料の引用もふんだんな生硬な文体は荷風作品としては珍しい。時代に背を向けた漢学者たちを共感を持って描く、といううたい文句が文庫版表紙にあって、黄昏の中の反時代的反骨のようなものを何となく期待して手に取ったのだが、それほど感じ入るところもなかった。私の鑑賞力不足か。岩波文庫版解説(成瀬哲生)によると、刊行当時に正宗白鳥が、史伝としては鴎外に及ばず、花柳界を描いた荷風ならではの鮮やかな筆致も見られず失敗作だとこき下ろしたらしい。

 毅堂の弟子の中に、森槐南という名前があった。日本が台湾の植民地支配に乗り出した当初、台湾在来の読書人から軽侮を受けないようにと漢学に秀でた者が台湾に送り込まれたが、その中の一人として槐南の名前に覚えがあった(他に、尾崎秀実・秀樹兄弟の父親である尾崎秀眞などもいた。台北の龍山寺で秀眞による揮毫を見たことがある)。手もとにある島田謹二『華麗島文学志──日本詩人の台湾体験』(明治書院、1995年)をめくるとやはり槐南の名前が出てきた。正確に言うと、槐南自身が台湾に長期間滞在したわけではなく、槐南の弟子が台湾に赴任したこと、伊藤博文に随行して台湾を訪問した際の槐南の詩をこの本で見かけたことで私の記憶に残っていたようだ。『下谷叢話』では、槐南は伊藤博文に見出されて官界へと引き立てられ、伊藤のハルビン訪問にも随行、伊藤が安重根に狙撃された際、槐南もそばにいたため同様に銃弾を受け、帰国後に死去したという事情が紹介されていたのでここにメモしておく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月25日 (火)

永井荷風『雨瀟瀟』ほか

 ここのところ何となく気が向いて永井荷風を読んでいる。『雨瀟瀟』を読んだ。漢詩やフランス詩も引用されたペダンチックな文人趣味。しかし、一人住まい、悠々自適の素振りを見せつつも、この小難しそうな筆致にひそむ孤影悄然たる哀感というか、枯淡の心境が、雨音響く情景の中でいっそう際立たされてくる。

 荷風の作品には、滅びゆく古き情緒への哀惜の念、社会が開けゆくに従って人情がドライになっていく世知辛さへの違和感が浮き彫りにされていることが多い。例えば、『雨瀟瀟』でメインとなる知人の成功した実業家から聞いた話。彼は、世話してやった書生たちが小利口に立ち回って立身出世するのを内心不愉快に感じていた。打算のないものとして芸者を身請けして芸をみっちり仕込もうとするが、この思惑も同様に外れてしまう。

 個人本位を一切の価値基準とするのが近代なる時代の成り行きだとするなら、それについて『濹東綺譚』に友人の神代箒葉の話としてこんなことが記されていた。

「然し今の世の中のことは、これまでの道徳や何かで律するわけには行かない。何もかも精力発展の一現象だと思えば、暗殺も姦淫も、何があろうとさほど眉を顰めるにも及ばないでしょう。精力の発展と云ったのは慾望を追求する熱情と云う意味なんです。スポーツの流行、ダンスの流行、旅行登山の流行、競馬其他博奕の流行、みんな慾望の発展する現象だ。この現象には現代固有の特徴があります。それは個人めいめいに、他人よりも自分の方が優れているという事を人にも思わせ、また自分でもそう信じたいと思っている──その心持です。優越を感じたいと思っている慾望です。明治時代に成長したわたくしにはこの心持がない。あったところで非常にすくないのです。これが大正時代に成長した現代人と、われわれとの違うところですよ。」(『濹東綺譚』新潮文庫、102~103ページ)

 荷風の作品に漂っている気風は、単に古き時代へのノスタルジー、功利的・打算的処世知に対する道徳的批判、というに限られるわけではない。曰く云いがたく、単純な言説にまとめようとすると、余韻としてほのめかされる含蓄がこぼれおちてしまう。近代化と言えば聞こえはいいが、物事がますます平板になりつつある中で、良い悪い白黒明確に割り切ることのできない何かへの哀惜。古さというのは時間の堆積であり、これまで悲喜こもごも様々に人々がおりなしてきた矛盾が、その矛盾のあるがままに渾然一体となって融け込んでいる。そうした中からほの輝くように情に訴えてくる何か、それを受け止める眼差しが失われつつあることへの一抹の寂しさ。

 荷風が好んで立ち寄った遊郭、それは決して健全な空間ではないが、道徳と悪徳のパラドックスからこそ見えてくる哀歓に荷風は一つの真実を感じ取っていた。たまたま読んだ『新橋夜話』にあったこんな表現が印象に残っている。表面潔癖、内面偽善の妻に嫌気がさして離縁して遊郭に出入りした男の述懐。

「…つまり彼は真白だと称する壁の上に汚い様々な汚点を見るよりも、投捨てられた襤褸の片に美しい縫取りの残りを発見して喜ぶのだ。正義の宮殿にも往々にして鳥や鼠の糞が落ちていると同じく、悪徳の谷底には美しい人情の花と香しい涙の果実がかえって沢山に摘み集められる…。」(『すみだ川・新橋夜話』岩波文庫、283ページ)

 岩波文庫版『花火・雨瀟瀟』の解説を書いている奥野信太郎が、かつて北京八道湾胡同の苦茶齋を訪れたとき、周作人がこの『雨瀟瀟』を激賞していたと回想している。周作人はもとより日本語に堪能ではあったが、たびたび引用される漢詩によってこの作品に漂う情趣がいっそう理解せられたのであろうという趣旨のことを奥野は記している。荷風と周作人の共通性については劉岸偉『東洋人の悲哀──周作人と日本』(河出書房新社、1991年)で指摘されており、興味深く読んだ覚えがある。世の騒がしさを尻目に枯淡の境地を味わう文人趣味という点で私もこの二人にどこか似た雰囲気を感じ、いたく興をそそられているところである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月24日 (月)

狭間直樹編『共同研究 梁啓超──西洋近代思想受容と明治日本』

 梁啓超の思想や生涯の全体像を把握できる本はないかと探しているのだが、手頃なのがなかなか見つからない。彼の活躍したジャンルはあまりに幅広く、かつ時期によって発言の変遷も大きいので、一つの視点による単著は難しいのか。

 狭間直樹編『共同研究 梁啓超──西洋近代思想受容と明治日本』(みすず書房、1999年)は13人の研究者の論文によって構成された共同研究。主に日本との関わりに焦点が合わされている。変法自強運動は明治維新を範にとっていたこと、戊戌の政変(1898年)で亡命して以来、14年近くにわたって日本に滞在していたことから、梁啓超の思想形成を検討する上で日本ファクターは無視できない。論点は多岐にわたってすべてをフォローするのは難しいので、興味を持った点だけメモ。

 国民の集積として国家を把握、国を支える新しい国民像の創出→「新民」説。福沢諭吉の有名なテーゼ「一身独立して一国独立す」なども想起される。対外関係を論ずるときには国権論的、個人の権利関係を論ずるときには民権論的、両者が対立するのではなく楕円系的な議論構図、民度が低いという自己認識を持ったときには「開明専制」論が全面に出てくるが、国権か、民権か、このブレが大きいように見える中でも、両者を相補的に捉える基本線は一貫している。梁啓超は福沢諭吉「独立自尊」にも言及しているが、ただし梁が滞在していた当時の日本では、すでに明治初期啓蒙思想の時代は過ぎて国権論が隆盛となっており、そうした議論の方向に梁も引っ張られたのではないかという指摘があった。また、日本では「尚武の精神」にも注目→「中国之武士道」を著す。当時、章炳麟、譚嗣同をはじめとした中国近代の思想家たちの仏教への関心はよく指摘される。戊戌の政変で譚嗣同たちは処刑された→政治変革に伴う死と思想的にどのように向き合うのか、さらには無私の覚悟、殉教の精神、こういったものを涵養する上でも梁啓超は仏教思想への関心を踏まえていた。梁啓超の海外思潮摂取を理解する際、日文を通して多くの知識を吸収していたので、欧米思想と直接比較するだけでなく、日本経由のバイアスも考慮する必要あり。戊戌の政変で日本へ亡命する船の中で東海散士『佳人之奇遇』を読みふけったらしい。また、フランス革命の指導者ローラン夫人の伝記→徳富蘆花の史伝で読んで再解釈→梁啓超が中文で書いたローラン夫人伝をさらに朝鮮の民族史家・申采浩が読んで影響を受けたらしい。東アジアにおける思想連鎖のあり方として梁啓超は興味深い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月23日 (日)

「トロッコ」

「トロッコ」

 死んだ台湾人の夫の故郷、花蓮近くの山あいの村へ遺骨を持って訪れた夕美子(尾野真千子)。連れてきた二人の子供、敦と凱の兄弟はニンテンドーDSに夢中、時折注意する夕美子の声には疲れたような険もこもっている。兄の敦が時に反抗的な態度をとるのは、父がいなくなった寂しさと母の疲れ、そうしたプレッシャーを感じているからなのか。台湾のおじいちゃん(洪流)は、若い頃に覚えた日本語も交えながら、初めて会う嫁と孫たちを暖かく迎え入れてくれた。孫が持ってきた、トロッコと少年が写った古い写真。父だとばかり思っていたその少年は、実はおじいちゃんだった。敦と凱はトロッコを探しに行く。

 原案は一応、芥川龍之介「トロッコ」となってはいる。しかし、トロッコに乗って遠くまで行ってしまったときの不安感は確かに芥川作品をうかがわせるにしても、これ以外は完全にオリジナル・ストーリーである。監督が「トロッコ」映画化を思い立った際、台湾にはまだトロッコがあるという話を聞いて、最初はロケだけ台湾でやろうと思っていたが、結局台湾を舞台にしてしまおうという方針に落ち着いたのだという。

 日本語世代の老人たちが登場する。おじいちゃんは日本への親しみを語るが、他方で日本政府から恩給支給資格なしの通知を受けるシーンも挿入される。日本人として戦ったのに、その見返りはない。お金が欲しいのではない、「ありがとう」の一言すらないことに、自分たちは日本から捨てられたのだという憤りが抑えられないのである。エンドクレジットの特別感謝のところで酒井充子監督のドキュメンタリー「台湾人生」でインタビューを受けていた人々の名前があったから、この人たちから聞き取った話を脚本に取り入れたのだろう。

 台湾の深い森林に覆われた風景、その中で過ごした少年たちのひと夏の思い出。とりわけトロッコの線路が通る霧が煙るような木立が印象的だ。緑の色合いに潤いがあって、それが目にやさしく馴染み、見ているとホッとした気持ちにしてくれる。ストーリーを包み込んでいる、こうした映像からにじみ出てくる雰囲気そのものに身を委ねたい、そんな感じの映画だ。

【データ】
監督:川口浩史
脚本:川口浩史・黄世鳴
撮影監督:李屏賓
音楽:川井郁子
2009年/116分
(2010年5月23日、シネスイッチ銀座にて)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

「川の底からこんにちは」

「川の底からこんにちは」

 ワケあって東京に出てきて5年目、パッとしない仕事で転職5回目、男にはたびたび捨てられて今のは5人目、子連れの上司、ダメ男。あきらめ、と言うにはあっけらかんとしているが、「しょうがない、あたしなんてどうせ中の下、ダメな女だから」と佐和子(満島ひかり)は口癖のようにつぶやく。ある日、実家でシジミ工場を経営する父が入院し、田舎へ呼び戻された。工場の先行きは暗い。田舎=自然豊か=エコと勘違いしたダメ男もついて来るし、工場で働くおばさんたちの冷たい視線が身にささる。

 ゆるい笑い、微妙に毒気の混じったちゃかしが全体的なトーン。佐和子の口癖「しょうがない」、これが映画の前半と後半とでその意味合いを全く対照的なものに転換させているのが鮮やかで目を引いた。東京でOLをしていたときは、つまらない仕事、つまらない男、夢もやりたいことも特にない、というまったりとしたあきらめ。しかし、どん詰まりになって気持ちがふっきれた。会社再建で躍起になっているときの「しょうがない」には、どうせダメなら全部ひっくるめて頑張るしかない、そうした前向きの凛々しさすらうかがえる。

 満島ひかりは、最近観た「カケラ」でも印象的だったが、この「川の底からこんにちは」でも主人公の不器用さが自然体として浮かび上がってくる。そのおかげで「しょうがない」の意味合いの転換が説得的に感じられる。とても良い。

【データ】
監督・脚本:石井裕也
2009年/112分
(2010年5月23日、渋谷・ユーロスペースにて)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2010年5月16日 - 2010年5月22日 | トップページ | 2010年5月30日 - 2010年6月5日 »