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2010年4月11日 - 2010年4月17日

2010年4月16日 (金)

陳立新『梁啓超とジャーナリズム』

・梁啓超の議論は一貫性がなかったとよく言われるし、彼の『清代学術概論──中国のルネッサンス』(小野和子訳注、平凡社・東洋文庫、1974年)でも自らそれが欠点だと記している。ただし、『清代学術概論』では、彼の師匠にあたる康有為がせっかく孔子改制論を通して多元的議論の可能性を開いたにもかかわらず自分の断案に独善的に固執してしまったことを批判、それと対照させる形で梁自身の一貫性のなさを並べる構図となっている。極端はダメよ、というニュアンスで多様な立場を相対化させるため自分を敢えて戯画化したのではないかと私は解釈したのだが、深読みにすぎるか。

・明治期日本でもそうだが、近代初期の言論活動においては国民への啓蒙という問題意識が明確に打ち出されていた。陳立新『梁啓超とジャーナリズム』(芙蓉書房出版、2009年)は言論誌での活動を主軸として梁啓超の生涯と議論の変遷をあとづける。
・私は梁啓超のことを詳しく知らないので本書からは興味深く勉強させてもらったのだが、本のつくりとして読みづらいのは残念。博士論文ということで、出版義務があるから出した本なのかもしれないが、せめて日本語のチェックくらいしっかりやってあげても良かったのではないか。後半はまだしも、前半は赤字で添削したくなって腕がウズウズして、内容に集中できなかった。
・上海イギリス租界で『時務報』(1896~1898年)の主筆。
・1898年、戊戌の政変で日本へ亡命。横浜で『清議報』(横浜居留地139番。1898年12月23日~1901年12月21日停刊。社屋が火災で焼失したため)、『新民叢報』(横浜山下町152番、後に160番。1902年2月8日~1907年11月20日。保皇会の大同訳書局から資金援助)を創刊。学術思想に着目。国民国家の理念を主張。日本をはじめ外国の新聞記事の転載も多い。また、『新小説』に政治小説を執筆(ドイツ的国権派とフランス的立憲民主派とが議論する作品もあったらしいが、中江兆民『三酔人経綸問答』の豪傑君と洋学紳士を思い浮かべた。その作品を読んでないので何とも言えないが)。
・『民報』(主筆の章炳麟は排満の種族革命を鼓吹)との論争。革命派に対抗して1907年10月17日、神田錦輝館で政聞社を設立。
・『国風報』(上海、1910年2月20日から)。京都の島津製作所がスポンサーになっていたらしい。1911年3~4月まで林献堂の招きで台湾へ行き、その紀行文を『国風報』に連載。
・いわゆる「革命史観」の中では清朝の予備立憲は評価されない。しかし、梁啓超は民主共和への橋渡しとしての「開明専制論」を主張、これを清朝が採用した。リアルな政治的配慮が彼のジャーナリズムの特質として評価される。「開明専制論」を支持する立憲派は非暴力的に国会請願運動を展開。これは暴力路線も含まれる革命派とは異なる。辛亥革命勃発時には清朝の予備立憲段階として設立されていた地方諮議局(地方議会)の有力者(日本留学経験者も多く、政聞社のメンバーとも重なる)が動いた。辛亥革命後、梁は「虚君共和論」を主張。なお、本書では触れられていないが、日本植民地下の台湾で台湾議会設置請願運動を指導した林献堂はかつてこの方針を梁啓超から示唆されていた→以前に周婉窈《日據時代的臺灣議會設置請願運動》(自立報系文化出版部、1989年)を読んでこちらで取り上げた。
・1912年10月、約14年間にわたった亡命生活を終えて中国へ戻る。12月1日、天津日本租界旭街17号で『庸言』(奇妙なことは言わないという趣旨。英語名はThe Justice)を創刊(~1914年6月5日)。
・1913年9月、熊希齢内閣が成立して梁啓超は司法部長として入閣。
・1915年1月25日、『大中華』(~1916年12月20日)を創刊、政界離脱を宣言。感情論を克服するため学問に専念したい。日本の対華21か条要求に際しては対日批判。袁世凱の帝政に反対して護国戦争。
・その後、上海の『東方雑誌』(商務印書館)、『学灯』、北京の『晨鍾報』などに拠って論陣を張る。復辟論をめぐって師匠だった康有為と対立。
・1918年12月から欧州歴訪。1919年9月から上海で『解放与改造』(後に『改造』)。偏狭な愛国主義には賛同しないと明言。1920年、ベルグソン、ラッセル、ドリーシュ(ドイツの哲学者)、タゴールなどと会う。
・理智に関わることなら科学で解決するが、情感に関わることは科学では解決できない→唯物論派と論争。

・梁啓超を明治啓蒙思想、とりわけ福沢諭吉と思想史的に比較してみたら面白そうだという印象を持っている。例えば、議論の対象とした分野の多面性、ジャーナリスティックな政論でも学術的根拠を踏まえた議論を心がける態度、国民国家形成という問題意識、奥行きのある議論を平明な文章で表現したこと、などなど。あくまでも印象に過ぎないが。

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2010年4月15日 (木)

小野川秀美『清末政治思想研究』

小野川秀美『清末政治思想研究』(1・2、平凡社・東洋文庫、2009~2010年)

・1969年刊行のみすず書房版には、洋務運動、変法論(康有為、譚嗣同、戊戌変法)、義和団時期における革命論、厳復や梁啓超における進化論の影響、章炳麟の排満・漢族ナショナリズム、劉師培の無政府主義などをテーマとした論文があり、今回、東洋文庫の増訂版ではさらに孫文や中国革命同盟会の機関誌『民報』に関する解説が採録されている。それぞれ別個のテーマによる論文だが、アヘン戦争の衝撃から辛亥革命に至るまでの思想的反応を描いた通史として一貫した流れができている。洋務→変法→革命という見取り図は、近代化論的バイアスとしてその後批判にもさらされたようだが、少なくとも近代中国政治思想史研究のたたき台としての役割を本書が果たしたことは確かだろう。
・個人的な関心からメモ。梁啓超の「新民説」:彼は康有為の大同説から徐々に進化論へと軸足を移した。進化生存競争の理により、民族存続のため時勢に適応する必要という問題意識→そのために「国民」全体の変化が必要だとして、民主主義、公徳、国家意識などを強調→かつて洋務派が「技術」の変革を、変法派が「制度」の変革を模索したのに続き、この段階における梁啓超は「国民」の変革、つまり国民国家の形成を主張したと言えるようだ。彼は「自由」の先駆的主張者でもあったが、やがて自由平等の論が野放図に流行するのを目の当たりにして「開明専制」論を主張するようになる。
・康有為は「華夷の別」を文化的問題と把握→民族の問題は出てこない。対して、章炳麟は華夷思想の根底に排満意識としての民族主義を強烈に打ち出す。
・立憲か革命か? 当初、章炳麟は種族(漢族)の光復を第一に主張、それは政体の変更とは関係ない。ところが、鄒容『革命軍』などが現われる時代風潮の中、政体の変革=革命→共和政体の主張も加味するようになる。
・劉師培は張継を通して無政府主義に傾倒。張継は北一輝の紹介で幸徳秋水に敬服。また、章炳麟も北や幸徳たちと接点あり。中期『民報』での章の主張には排満と同時に虚無の主張も散見される。

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2010年4月12日 (月)

「ある子供」

「ある子供」

 かっぱらいでその日暮しをしているブリュノ。恋人のソニアが出産したが、あまり興味はない様子。赤ん坊を抱いて嬉々としているソニア、しかしブリュノはあろうことかその子を売り飛ばしてしまう。ソニアの激しい拒絶にあって何とか取り戻したものの、彼の中途半端にやくざな生活は変わらない。

 細かい額の金勘定のシーンがやたらと目立つ。金がなくて、希望の見えない刹那的な気分の中でのブリュノの無思慮。彼の表情に屈託がないだけ余計に痛々しい。タイトルを見ると、子供ができたにもかかわらず、大人になりきれない無鉄砲な青春という意味合いのようにも受け止められるが、むしろ社会格差的な背景を想定する方が彼の行動は納得しやすいような印象を受けた。

【データ】
原題:L'Enfant
監督・脚本:ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ
2005年/ベルギー・フランス/95分
(DVDにて)

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「休暇」

「休暇」

 刑務官の平井(小林薫)は子連れの女性(大塚寧々)と再婚したばかり。ところが、新しい家族三人で温泉旅行に出かけたのにずっと上の空。その休暇は、絞首刑執行の介助役を務めた代償として与えられたものだった。彼の脳裡では死刑囚・金田(西島秀俊)のことが思い返されている。

 この映画では死刑執行に至るまでの一連のプロセスがたどられる。公的には死刑囚であっても、日常身近に接する刑務官にとっては一対一の生身の人間である。死にゆくことが定められた死刑囚と向き合うことは非常にセンシティブであり、しかも執行に立ち会うことのストレスは尋常なものではない。

 原作は吉村昭の短編(『蛍』[中公文庫]所収)。吉村の現代小説には受刑者や出所者など社会的に負の烙印を押された人間の葛藤を描いたものが多いが、この作品は刑務官の方に焦点が合わされている。歴史小説での史料渉猟には定評のある吉村のことだから刑務官にもしっかり取材しており、映画製作者も考証はしているはずだから、ここで描かれている心情はリアルに近いものなのだろう。

 死刑執行の場面を描いたアメリカ映画として、ティム・ロビンスが監督、死刑囚をショーン・ペンが演じた「デッドマン・ウォーキング」(1995年)、シャロン・ストーン主演の「ラストダンス」(1996年)などを観た覚えがある。これらでは死刑執行に至るまでの当事者の明らかに激しい感情の高ぶりが印象に強い。対して、こちらの「休暇」の場合には厳粛にしめやかな空気が一貫しており、その中での抑えられた表情そのものから間接的に感情的高ぶりがうかがえてくる。文化の違いか、視点が異なるからか。

【データ】
監督:門井肇
出演:小林薫、西島秀俊、柏原収治、大杉漣、大塚寧々、他
2007年/115分
(DVDにて)

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2010年4月11日 (日)

「第9地区」

「第9地区」

 南アフリカ、ヨハネスバーク上空に異星からの宇宙船が停止、中から下りてきたエイリアンたちは難民として地上で暮らし始め、スラム化したその区域は「第9地区」と呼ばれた。難民キャンプ収容のための強制排除の委託を受けた多国籍軍需企業MNUは傭兵組織を動員して作戦を発動、このとき業務責任者のヴィカスは正体不明の液体を浴びて体に異変が生じ始めた。エイリアンへと変異し始めた彼は生体解剖される危険を察知、「第9地区」へと逃げ込み、そこで出会ったエイリアンと共に戦い始める。

 難民問題が投影されていると話題になっているので観に行った。南アフリカのスラムを舞台にストーリーは展開。SFアクションではあるが、途中、当事者や識者のコメントが挿入されてドキュメンタリー風の構成も取られる。難民問題に実際に関わっている人々にも出演してもらって、その感覚を込めた上でセリフを語らせているらしい。言語や生活習慣の異なる彼らの存在は確かに「未知との遭遇」ではある。

 異質者に対する偏見から誘発された暴力。この映画では難民問題ばかりでなく、バイオテクノロジーにおける生命倫理(国境外の発展途上国における臓器売買まで連想を走らせるのは行き過ぎか?)、軍事組織の独断専行、虚偽報道による世論操作など様々なテーマも織り込まれ、それらを一貫したストーリーにまとめ上げている点で完成度は高いと思う。

 暴力的排除の対象となった彼らはどのような怨恨を抱えてしまうのだろうか。エイリアンへと変異が始まって追われる身となるヴィカスに焦点を合わせることにより途中で異なる視点へと切り替えが行なわれ、観客は、もし自分が排除される側だったらどう思うか、そうしたイマジネーションが迫られる。ヴィカスの尽力で地球外へ脱出したエイリアンは、3年経ったらお前を助けに来ると約束した。映画中の識者のコメントにもあったが、彼らはどのような形で戻ってくるのか、ひょっとして戦争準備を整えて再来するのか──。異質者への排除がテロなど思わぬ形ではねかえってきてしまう現実世界の不安が重ねあわされていると言えるだろう。

【データ】
監督:ニール・ブロムカンプ
製作:ピーター・ジャクソン
2009年/南アフリカ・アメリカ・ニュージーランド/111分
(2010年4月11日、新宿ピカデリーにて)

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「ソラニン」

「ソラニン」

 同棲生活が営まれているアパートの一室、射し込む光量や空気感が自然で、まったりとした雰囲気が伝わってくる。会社に嫌気がさしてやめてしまった芽衣子(宮崎あおい)。バイト生活で不安定な日々、焦燥感に一区切りつけようとした種田(高良健吾)は学生の頃からのバンド仲間とつくった新曲のデモテープをレコード会社に送るが、芳しい反応はない。先行きの見えない漠然とした不安の中、二人の間では別れ話も持ち上がる。しかし、事故死した種田のギターを芽衣子は手に取り、ステージに立つ。

 夢を追うのか、「まっとうな大人」として気持ちに一区切りつけるのか、そういうありきたりと言えばありきたりな青春ストーリー。確かに青臭いが、そんなに嫌いでもない。一つには宮崎あおい目当てで観に行ったからでもあるが、私自身もこういう葛藤をいまだにひきずっているからかもしれない。宮崎あおいの歌が下手なのは、素人が急ごしらえでステージに立ったというもともとの設定からすればリアルではあるのだが、映画的には盛り上がりに欠ける。

【データ】
監督:三木孝浩
原作:浅野いにお
2010年/126分
(2010年4月10日、新宿ピカデリーにて)

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「東南角部屋二階の女」

「東南角部屋二階の女」

 季節は秋だろうか、木々の葉は落ち始め、日差しは淡く穏やか。その中にたたずむ年季の入ったアパートには憂愁を帯びた表情を感じさせる。

 野上(西島秀俊)は父親が残した借金返済のためアパートを壊して土地を売ろうかと思い悩んでいるが、名義人である祖父(高橋昌也)は黙ったまま肯んじる気配はない。野上が会社を辞めた日にたまたまの縁でこのアパートに転がり込んできた三崎(加瀬亮)と涼子(竹花梓)。祖父の世話をしてくれている藤子(香川京子)。藤子が近所で営む小料理屋の常連(塩見三省)。このアパートの来歴を知る人、知らない青年たち、みんながアパートの行く末を案じ始める。

 このアパートで暮らした人々の様々な思い出の積み重ね、そこへの思い入れは単に年寄りのノスタルジーというわけではない。新たに入ってきた青年たちも、この中で織り成されてきた悲喜こもごもの歴史に参与することになる。去って行く者にとっては、アパートの空間によって媒介された想いの堆積と関わりあった経験そのものが、自分を見つめなおし、出発の足がかりともなる。そのように、他人同士ではあっても、世代が異なっても共有される情感。それが映画全体を通じて静かに浮かび上がってきて、地味ではあるけれど私はとても良い映画だと思う。

 西島秀俊は贔屓の俳優で、時に見せる苛立ちも、彼の涼しげな表情の中に吸収されると、不機嫌さより繊細さの方が際立ってくる。加瀬亮は真面目に無神経ないまどき青年を好演。

【データ】
監督:池田千尋
脚本:大石三知子
2008年/104分
(DVDにて)

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「ザ・マジックアワー」

「ザ・マジックアワー」

 守加護なるレトロなギャング映画の舞台となりそうな港町。マフィアのボス(西田敏行)の愛人(深津絵里)を寝取ったとしてにらまれた備後(妻夫木聡)は、伝説の殺し屋デラ富樫を連れてきたら許してやると言われたが、どうやって探せばいいのか分からない。そこで一計を案じて、売れない俳優(佐藤浩市)を自主映画の撮影だとだまして引っ張り出した。事情を知らない彼は大胆な「演技」を見せる。

 三谷幸喜お得意の群像劇的なシチュエーションコメディー。「こんにゃく問答」的と言って適切かどうか分からないけれど、マフィアの世界、映画の世界、二つの世界はそれぞれ異なる論理を持つわけだが、ズレていそうでいて意外とズレずに不思議にかみ合っていく間合いの巧みさ。三谷幸喜はこのあたりの構成が実にうまくて文句なく面白い。

【データ】
監督・脚本:三谷幸喜
2008年/136分

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「純喫茶磯辺」

 この土日、気分が落ち込んでいて小難しい本は読んでも頭に入らず、映画観たり、どうでもいい本を眺めたりしていた。

「純喫茶磯辺」

 だらしない父親(宮迫博之)が遺産相続で金が転がり込んでますますだらしなくなったところ、一念発起してダサい喫茶店を始めた。それを見ながら心中複雑な娘(仲里依紗)。コメディーにしては笑えないし、ヒューマンドラマにしては思い入れが持てないし、中途半端でつまらない映画だった。麻生久美子ファンなのでチェックしただけ。

【データ】
監督:吉田恵輔
2008年/113分
(DVDにて)

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