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2010年4月4日 - 2010年4月10日

2010年4月 9日 (金)

梁啓超『清代学術概論──中国のルネッサンス』

梁啓超(小野和子・訳注)『清代学術概論──中国のルネッサンス』(平凡社・東洋文庫、1974年)

 清代の主だった学者たちが展開した議論を通史的に概観。後半では梁啓超の師匠であった康有為、同時代人の譚嗣同、章炳麟、そして梁啓超自身も俎上にのせられる。とりわけページの大半を占めるのが考証学である。例えば、戴震を取り上げて、①仮説を立てる→証拠を集めて検証→帰納的に定理を導き出すという科学的方法論が見られること、②従来の儒学に見られたようなドグマに寄りかかって空虚な論理に走る「理性哲学」ではなく、真意は何だったのかを探求する「情感哲学」であった点でヨーロッパにおける文藝復興期の思潮と本質的に酷似していたと指摘する。師匠であった康有為については、孔子改制論は従来正統とされてきた経典を偽作だと断定→懐疑的批評の態度や比較研究の可能性をひらいたと評価。ただし、康有為自身が自らの断案に固執する傾向があったとして批判する。

 古人に仮託して自分の立論の正当化を図る中国伝来の思惟方法は、創造性を抑圧し、虚偽の混乱を招いてきたという問題意識が出発点にある。ただし、清代考証学には科学的思考の発想がすでに内在していたことを自覚化、それを受け継ぎながら今後の学問研究の発展を期するところに本書の眼目があった。

 過去の学者たちを単に批判するというのではない。色々な考え方があるわけで、そこに優劣をつけるのではなく、様々な議論を並列的に整理しながら、各学説のポイントを要約→問題点を指摘→自身の視点から根拠を挙げて批評するという手順を取る。かつて梁啓超自身が展開した議論のマイナス面も批判の例外とはしない(額面通りに受け止めるかどうかはともかく)。根拠に基づき手順に則った批判、比較の中での位置付け、こうした叙述方法を意図していること自体に、ドグマ的な抑圧から離れた言論・思想の多元的な自由、研究態度の自由が近代中国にとって肝要だという梁啓超自身の時代的問題意識がうかがわれる。

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2010年4月 8日 (木)

譚嗣同『仁学──清末の社会変革論』

譚嗣同(西順蔵・坂元ひろ子訳注)『仁学──清末の社会変革論』(岩波文庫、1989年)

 戊戌の政変で袁世凱に裏切られ、刑場の露と消えた譚嗣同の33年という短い生涯。自らの宿命に抗わず、従容として死についたという。そうした潔い悲劇性も相まってか、主著『仁学』はその後の中国革命の志士たちに強い影響を与えたと言われる。

 「網羅の衝決」、つまり人々のいのちにまとわりつく束縛を突き破って平等を求める革命を、個人の内面において動機付ける「仁」。それを支える科学としての「格致」=「学」。中国、西洋、様々な思想を取り込み、時に奔放な思い付きもめぐらしながら、伝統的儒学の枠を超えて展開した思索の記録。政治制度や産業政策などにも触れられる。

 自他の別を立てるこわばりを取り去り、存在一般としての一体感を回復することで世のあらゆる矛盾を我がこと同然と感じ取る共感=「仁」。この感覚を説明する便法として「以太」(エーテル)なる概念が使われる(似非科学的だが)。不生不滅、すべてが「我」なのに、その「我」を目先の事象へと狭く限定して捉えているところに人間の迷妄があると言う。思念に限界はなく、なすべきことに障碍はないという唯心論。なすべきという強い動機を抱いたなら、その時点が行動のチャンスだとされ、利害打算でことの成否を図るのとは発想の次元が異なる。革命のための死、こうした心性の具体的表現そのものが将来に向けた革命のタネとなる。

 存在論的認識では荘子や仏教の唯識に立脚。すべてを我がこととして共感するという発想では墨子の兼愛説と同様であり、イエスにも言及される。存在論的な一体感を行動のパッションへと昇華させている点では陽明学である。日本における幕末維新の志士たちへの共感も記されている。読みながら吉田松陰が想起された。

 譚嗣同の議論は雑駁だと章炳麟は批判していたらしい。しかし、戊戌変法から辛亥革命へとつながる中で、自らの死を捨石的に革命のタネとしていくという考え方では共通していたと高田淳『中国の近代と儒教──戊戌変法の思想』(精選復刻 紀伊國屋新書、1994年)では捉えられている。また、吉澤誠一郎『愛国主義の創成──ナショナリズムから近代中国をみる』(岩波書店、2003年)は、譚嗣同の死が政治的儀礼として顕彰されることで愛国主義の言説の中に組み込まれ、その後の政治的死を誘発していったと指摘している。

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梁啓超関連文献一覧メモ

 梁啓超について日本語で書かれた関連文献の一覧を現時点で分かる範囲内でメモ。検索は国会図書館ホームページのNDL-OPACを主に利用した。書評やシンポジウム報告、研究メモ的な短文等、修士論文レベルのものも含まれている。調べてみると随分たくさんあるので驚いた。
 以下に示したうち【単行本収録論文等】と【雑誌収録論文等】とを合せた刊行数を年代別にカウントしてみると、
・2000~2009年:100本
・1990~1999年:30本
・1980~1989年:9本
・1970~1979年:21本
・1960~1969年:12本
・1950~1959年:5本
となっている。1999年11月に狭間直樹編『共同研究梁啓超』(みすず書房)が出ているが、この前後から梁啓超関連の研究が急増している背景には彼に対する評価の転換があったのだろうか。1990年代後半から中国人によって日本語で執筆された梁啓超関連論文が目立つのも興味深い。梁啓超は日本との関わりがあり、かつ彼の多方面にわたる議論は、留学生にとって論文テーマと結び付けやすい題材なのか。

【翻訳】
・『新編 原典中国近代思想史』岩波書店、2010?
・「中国之武士道自叙」、宮崎市定『中国政治論集』中公クラシックス、2009.9(中公文庫、1990)
・『先秦政治思想史』(重澤俊郎訳)、大空社、1998.2(創元社、昭和16年刊行の複製)
・『李鴻章 : 清末政治家悲劇の生涯』(張美慧訳)久保書店、1987.12
・「君主政治より民主政治への推移の道理について」、西順蔵編『原典中国近代思想史・第2冊』岩波書店, 1977.4
・『清代学術概論:中国のルネッサンス』(小野和子訳注)、平凡社・東洋文庫、1974
・「譚嗣同伝」(小野和子訳)、「新中国未来記」(島田虔次訳)、「開明専制論(抄)」(藤田敬一訳)、西順蔵,島田虔次編『中国古典文学大系58巻 清末民国初政治評論集』平凡社, 1971
・「所謂大隈主義」(細野浩二訳註)『早稲田大学史記要』(通号 7) [1974.03.00]
・「小説と政治との関係」(増田渉訳)、『中国現代文学選集第1』平凡社, 1963
・「学問の趣味」、土井彦一郎訳注『西湖の夜:白話文学二十編』白水社, 昭14
・『支那歴史研究法』(小長谷達吉訳)改造社、1938
・「対露問題」、南満洲鉄道株式会社北京公所研究室『聯露か排露か』(北京満鉄月報特刊第1)南満洲鉄道北京公所研究室、1926
・「支那革命の特色」(中村久四郎訳)、大類伸編『史論叢録 上下』興亡史論刊行会, 1918

【単行本収録論文等】
・陳立新『梁啓超とジャーナリズム』芙蓉書房出版、2009.6
・張軍著・平林宣和訳「梁啓超と演劇」、飯塚容,瀬戸宏,平林宣和,松浦恆雄編『文明戯研究の現在』東方書店, 2009.2
・牛林杰「梁啓超と韓国近代啓蒙思想」、武庫川女子大学関西文化研究センター編『東アジアにおける文化交流の諸相』武庫川女子大学関西文化研究センター, 2008.11
・陳力衛「梁啓超の『和文漢讀法』とその「和漢異義字」について」、沈国威編『漢字文化圏諸言語の近代語彙の形成』関西大学東西学術研究所, 2008.9
・川尻文彦「「進化」と加藤弘之、厳復、梁啓超」、鈴木貞美,劉建輝編『東アジアにおける知的システムの近代的再編をめぐって』人間文化研究機構国際日本文化研究センター, 2008.3
・狭間直樹「清末の知識人と明治日本 梁啓超研究について思うこと」、陶徳民,藤田高夫編『近代日中関係人物史研究の新しい地平』雄松堂出版, 2008.2
・竹内弘行「康有為から梁啓超へ」『康有為と近代大同思想の研究』汲古書院, 2008.1
・高柳信夫「梁啓超の「孔子」像とその意味」、高柳信夫編『中国における「近代知」の生成』東方書店, 2007.12
・李暁東『近代中国の立憲構想』法政大学出版局, 2005.5
・齋藤希史『漢文脈の近代』名古屋大学出版会, 2005.2
・丁文江・趙豊田編、島田虔次編訳『梁啓超年譜長編』(第1~5巻)岩波書店、2004年
・吉澤誠一郎『愛国主義の創成』岩波書店、2003年
・狭間直樹編『共同研究梁啓超』みすず書房, 1999.11
・佐藤慎一『近代中国の知識人と文明』東京大学出版会、1996年
・佐藤一郎「梁啓超における湖南-とくに蔡鍔との関係をめぐって」、山田辰雄編『近代中国人物研究』慶応通信, 1989.2
・阿部賢一「梁啓超の啓蒙活動の一端について」、野口鉄郎編『中国史における乱の構図』雄山閣出版, 1986.12
・木原勝治「清末における梁啓超の近代国家論」、『東洋史論叢』立命館大学人文学会, 1980.8
・木原勝治「梁啓超における「開明専制論」の成立」、『芦屋女子短期大学開学二十周年記念論文集』文雅堂銀行研究社, 1979.7
・青木功一「福沢諭吉・朴泳孝・梁啓超の新民論-東アジア近代思想の相互関連性」、『福沢諭吉年鑑』3、福沢諭吉協会, 1976
・麦生登美江「梁啓超の詩論と"詩界革命"-杜甫と黄遵憲評を中心に」、目加田誠博士古稀記念中国文学論集編集委員会『中国文学論集』竜渓書舎, 1974
・彭沢周「梁啓超の明治維新観と中国変革論」、坂田吉雄,吉田光邦編『世界史のなかの明治維新』京都大学人文科学研究所, 1973
・桑原隲蔵「梁啓超氏の「中国歴史研究法」を読む」『桑原隲蔵全集・第2巻』岩波書店, 1968
・佐藤震二「梁啓超」、東京大学文学部中国哲学研究室『中国の思想家・下巻』勁草書房, 1963
・板野長八「梁啓超の大同思想」、和田博士還暦記念東洋史論叢編纂委員会『東洋史論叢』大日本雄弁会講談社, 1951

【雑誌収録論文等】
・小林武「清末におけるutilityと功利観」『京都産業大学論集 人文科学系列』41、[2010.3]
・吉澤誠一郎「中国における近代史学の形成--梁啓超「新史学」再読 (小特集 近代史学史再考--アジアの事例から)」『歴史学研究』(863) [2010.2]
・王閏梅「植民地的近代と詩社的伝統意識の乖離--梁啓超の台湾訪問をめぐって」『中国研究月報』63(12) (通号 742) [2009.12]
・王閏梅「政治と文化の間--小説における梁啓超の近代意識をめぐって」『現代中国研究』(25) [2009.10.10]
・劉晏宏「儒家思想家としての梁啓超」『哲学論文集』(九州大学)45 [2009.9]
・錢鴎「學・智・人的理念--試論王國維與晩清興學育才的思想契機」『言語文化』(同志社大学)12(1) [2009.8]
・穐山新「アメリカ体験と中国の近代--梁啓超『新大陸游記』と中国における「自由」の条件」『社会学ジャーナル』(筑波大学)(34) [2009.3]
・王青「梁啓超と明治啓蒙思想 (特集 北東アジアにおける「読み換え」の可能性)」『北東アジア研究』(島根県立大学)(17) [2009.3]
・寇振鋒「梁啓超的"理想派""寫實派"與明治日本文壇」『多元文化』(名古屋大学)(9) [2009.3]
・沈国威「日本発近代知への接近:梁啓超の場合」『東アジア文化交渉研究』(関西大学外国語教育研究機構)2[2009.3]
・李海「梁啓超は『墓中呼声』を訳したか--リサールの絶命詞をめぐって」『名古屋大學中國語學文學論集』21 [2009]
・平野和彦「日中近代における伝統芸術解釈の二面性(上)「画」と「美術」の認識をめぐって」『山梨国際研究』(4) [2009]
・川尻文彦「梁啓超の政治学--明治日本の国家学とブルンチュリの受容を中心に」『中国哲学研究』(東京大学)(24) [2009]
・高柳信夫「「清末啓蒙思想」の"その後"--厳復・梁啓超を中心として」『中国哲学研究』(24) [2009]
・藤井隆「梁啓超の〈自由〉観再考」『中国哲学研究』(24) [2009]
・王閏梅「梁啓超の『新中国未来記』について--兆民の『三酔人経綸問答』と対照させて」『言葉と文化』(名古屋大学)(9) [2008.3]
・李暁東「西周における儒教の「読み換え」--梁啓超との比較を兼ねて (特集 西周と東西思想の出会い)」『北東アジア研究』(14・15) [2008.3]
・盧守助「梁啓超と国家主義思想」『環日本海研究年報』(新潟大学)(15) [2008.2]
・寇振鋒「進化論與梁啓超的"小説界革命"--從日本明治文壇的影響談起」『名古屋大學中國語學文學論集』20 [2008]
・中村俊也「Comparative study: concerning Russian author's translation on Liang Qi-chao」『研究紀要』(つくば国際大学)(14) [2008]
・桂燕玉「梁啓超の家庭教育論--「趣味」による素質の開発を中心に」『東京大学大学院教育学研究科紀要』48 [2008年]
・古田島洋介「梁啓超『和文漢読法』(盧本)簡注--復文を説いた日本語速習書」『明星大学研究紀要』(16) [2008]
・森川裕貫「君子と制度--第三革命前後における梁啓超と章士釗の政治論」『現代中国』(82) [2008]
・佐藤慎一「書評 李暁東著 法政大学出版局『近代中国の立憲構想--厳復・楊度・梁啓超と明治啓蒙思想』」『中国研究月報』61(12) (通号 718) [2007.12]
・高柳信夫「「中国学術思想史」における仏教の位置--梁啓超の場合」『言語・文化・社会』(学習院大学)(5) [2007.3]
・陳毅立「文明・国民・儒学--福澤諭吉と梁啓超を中心に」『法政大学大学院紀要』(58) [2007]
・李慶國「梁啓超的屈原與《楚辭》研究」『追手門学院大学国際教養学部紀要』([1]) (通号 43) [2007]
・盧守助「梁啓超の日本観--新語彙と新文体を中心に」『現代社会文化研究』(新潟大学)(35) [2006.3]
・王閏梅「近代化の過程に見る中国・日本の言論界--梁啓超と福沢諭吉を中心に」『言葉と文化』(名古屋大学)(7) [2006.3]
・Jing Gao「『新民叢報』に見る音楽教育論--梁啓超と曽志〔ビン〕の音楽教育思想の比較を中心に (特集:教育研究の現在--教育の統合的理解を目指して)」『哲学』(三田哲学会)115 [2006.2]
・光田剛「書評 李暁東 著『近代中国の立憲構想--厳復・楊度・梁啓超と明治啓蒙思想』法政大学出版局、2005年」『成蹊法学』(63) [2006]
・山口るみ子「明治知識人と梁啓超」『東洋大学大学院紀要』43 (文学(哲学・仏教)) [2006]
・杜鋼建(鈴木敬夫訳)「翻訳 梁啓超の人権思想--杜鋼建著『中国近百年人権思想』(香港・2004年)」『札幌学院法学』22(1) [2005.11]
・湯志鈞(田邉章秀訳)「Book Review 日本における梁啓超研究の精華--丁文江・趙豊田編/島田虔次編訳『梁啓超年譜長編』(全五巻)」『東方』(297) [2005.11]
・盧守助「梁啓超の「新民」の理念」『現代社会文化研究』(33) [2005.7]
・「新刊紹介 丁文江・趙豊田編/島田虎次編訳『梁啓超年譜長編』全五巻」『史学雑誌』114(7) [2005.7]
・狹間直樹「譚嗣同『仁學』の刊行と梁啓超」『東方学』110 [2005.7]
・須藤瑞代「梁啓超と「宝貝」思順--父・娘と女性論」『中国』(中国社会文化学会)(20) [2005.6]
・川尻文彦「梁啓超と「アメリカ」--1904年の「新大陸遊記」をめぐって」『中国研究集刊』(大阪大学)(37) [2005.6]
・穐山新「ナショナリズムの「近代性」に関する一考察--梁啓超における「国民」と「専制」の対決と融合」『社会学ジャーナル』(30) [2005.3]
・高柳信夫「梁啓超「余之死生観」をめぐる一考察」『言語・文化・社会』(学習院大学)(3) [2005.3]
・山本忠士「日中間のコミュニケーション・ギャップ考(3)中国的"百科全書式"巨人・梁啓超と日本」『日本大学大学院総合社会情報研究科紀要』(5) [2005.2]
・山口るみ子「1904年の梁啓超」『東洋大学大学院紀要』42 (文学(哲学・仏教)) [2005]
・手代木有児「Book Review 大幅に価値を増した第一級の資料--丁文江・趙豊田編/島田虔次編訳『梁啓超年譜長編 第一巻』」『東方』(283) [2004.9]
・岡本隆司「時代と実証--民国・アグレン・梁啓超」『創文』(468) [2004.9]
・岡本隆司「紹介 丁文江・趙豐田編、島田虔次編譯『梁啓超年譜長編』」『東洋史研究』63(1) [2004.6]
・廣瀬玲子「革命 思潮 運動--梁啓超と胡適 (特集 東アジア思想における伝統と近代)」『中国』(19) [2004.6]
・高柳信夫「梁啓超と「中国思想」 (特集 東アジア思想における伝統と近代)」『中国』(19) [2004.6]
・石井剛「梁啓超の清代学術論における西学的要素の評価について (特集 東アジア思想における伝統と近代)」『中国』(19) [2004.6]
・宮村治雄「「書」と「書簡」のはざまで--『福澤諭吉書簡集』から『梁啓超年譜長編』へ」『図書』(岩波書店)(658) [2004.2]
・盧守助「1903年における梁啓超の思想の変化」『環日本海研究年報』(11) [2004.2]
・田村紀雄・陳立新「梁啓超の日本亡命直後の「受け皿」」『東京経済大学人文自然科学論集』(118) [2004]
・田村紀雄・陳立新「梁啓超と在日期の文筆活動」『コミュニケーション科学』(東京経済大学)(20) [2004]
・陳立新「梁啓超の評価問題について」『コミュニケーション科学』(21) [2004]
・山口るみ子「梁啓超「東籍月旦」に見る西洋近代思想受容の態度と倫理思想」『東洋大学中国哲学文学科紀要』(12) [2004]
・李運博「日本借用語の近代中国への移入--梁啓超の役割について」『国語国文研究』(北海道大学)(125) [2003.10]
・藤井隆「梁啓超の合群論とナショナリズム」『広島修大論集・人文編』(広島修道大学)44(1) (通号 83) [2003.9]
・馬場将三「東洋の學藝 梁啓超の『新史学』について--その「新」の考察を通して」『東洋文化』(無窮会)(91) [2003.9]
・高柳信夫「梁啓超「開明専制論」をめぐって」『言語・文化・社会』(1) [2003.03]
・范苓「梁啓超訳『十五小豪傑』に見られる森田思軒の影響と梁啓超の文体改革」『大阪大学言語文化学』12 [2003]
・穐山新「ナショナリスト知識人の歴史社会学--梁啓超におけるネーション観念の受容と展開 (特集 身体・他者・国家)」『現代社会理論研究』(13) [2003]
・鈴木正弘「清末の中国人に紹介された日本の歴史書--梁啓超撰「東籍月旦」記事の考察 附「東籍月旦」叙論・歴史の部訳註稿」『東洋史論集』(立正大学)(15) [2003]
・佐々充昭「韓末における「強権」的社会進化論の展開--梁啓超と朝鮮愛国啓蒙運動」『朝鮮史研究会論文集』(40) [2002.10]
・郭世佑「梁啓超と義和団運動二題 (特集 義和団百年と現在)」『中国21』(東方書店、愛知大学現代中国学会)13 [2002.4]
・高柳信夫「梁啓超の所謂「転身」について--『新民説』「論私徳」とその周辺」『東洋文化研究』(4) [2002.3]
・山口るみ子「梁啓超「中国道徳之大原」にみる"道徳"」『東洋大学大学院紀要』39 (文学(哲学・仏教)) [2002]
・李慶國「從森田思軒譯《十五少年》到梁啓超譯《十五小豪傑》」『追手門学院大学文学部紀要』(通号 38) [2002]
・周俊「中国における連邦論の実例研究--「分治」思想の起源と梁啓超の「地方自治」」『立命館東洋史學』(25) [2002]
・李運博「梁啓超と日本借用語との関わり--梁啓超に対する評価及び日本借用語の出現箇所」『北海道大学大学院文学研究科研究論集』(2) [2002]
・郭連友「梁啓超と吉田松陰 (特集 近代日本と東アジア)」『季刊日本思想史』(ぺりかん社、日本思想史懇話会)(60) [2002]
・森紀子「清末の啓蒙家梁啓超と「四聖画像」」『Satya』(東洋大学井上円了記念学術センター)(通号 43) [2001.夏季]
・李暁東「制度としての民本思想--梁啓超の立憲政治観を中心に」『思想』(岩波書店)(932) [2001.12]
・藤井隆「概念の革新--梁啓超「十種徳性相反相成義」を読む」『広島修大論集・人文編』42(1) (通号 79) [2001.9]
・須藤瑞代「梁啓超の民権・人権・女権--1922年「人権と女権」講演を中心に」『中国研究月報』55(5) (通号 639) [2001.5]
・李運博「近代中国に移入された日本漢字語彙--梁啓超の場合」『国語国文研究』(118) [2001.3]
・原聰介・日暮トモ子「中国の教育近代化における「発達」概念の初期展開--梁啓超の教育思想に着目して」『目白大学人間社会学部紀要』(1) [2001.02]
・劉迪「資料 梁啓超の連邦主義思想について」『比較法学』(早稲田大学比較法研究所)34(2) (通号 67) [2001]
・遠藤賢「梁啓超の変法論と張之洞の『勧学篇』」『東洋大学大学院紀要』38 (文学(哲学・仏教)) [2001]
・李運博「近代中国に移入された日本借用語--梁啓超の場合」『北海道大学大学院文学研究科研究論集』(1) [2001]
・石雲艶「日本における梁啓超」『國學院雜誌』101(9) (通号 1121) [2000.9]
・藤井隆「民権論の転換--戊戌前後の梁啓超」『広島修大論集・人文編』41(1(2)) (通号 77) [2000.9]
・石井剛「梁啓超における科学精神の発見--『清代学術概論』を論じる」『東アジア地域研究』(7) [2000.7]
・狭間直樹・佐藤慎一・宮村治雄「座談会 東アジアの近代と梁啓超(下)」『みすず』42(6) (通号 471) [2000.06]
・高柳信夫「「期待」を裏切らぬ本格的論集--『共同研究 梁啓超』狭間直樹編」『東方』(通号 231) [2000.05]
・狭間直樹・佐藤慎一・宮村治雄「座談会 東アジアの近代と梁啓超(上)」『みすず』42(5) (通号 470) [2000.05]
・石雲艶「梁啓超に関する研究の現状と問題点」『東瀛求索』(中国社会科学研究会)(通号 11) [2000.04]
・吉川次郎「梁啓超のアジア認識--地理学から殖民地構想へ (慶谷壽信先生記念論集)」『人文学報』(首都大学東京都市教養学部人文・社会系)(通号 311) [2000.03]
・川尻文彦「狭間直樹編『梁啓超--西洋近代思想受容と明治日本』」『現代中国研究』(通号 6) [2000.03]
・清水賢一郎「梁啓超と〈帝国漢文〉--「新文体」の誕生と明治東京のメディア文化 (特集:中国人作家の"帝都"東京体験)」『アジア遊学』(勉誠出版)(13) [2000.2]
・苑苓「清末におけるジュール・ヴェルヌの受容--梁啓超訳 『十五小豪傑』を中心に」『大阪大学言語文化学』(通号 9) [2000]
・班偉「清末における「権利」観念の受容--梁啓超の権利論を中心に」『山陽論叢』(山陽学園大学)6 [1999.12]
・平野和彦「梁啓超の絵画論」『中国近現代文化研究』(中国近現代文化研究会)(通号 2) [1999.12]
・大原信一「中国の近代用語事始め--フライヤーと梁啓超の訳書論」『東洋研究』(大東文化大学東洋研究所)(通号 134) [1999.12]
・藤井隆「梁啓超の変法論と三世説」『広島修大論集・人文編』40(1) (通号 75) [1999.09]
・趙英蘭「梁啓超と政聞社--日本における清末立憲派と立憲団体の一つ」『アジア文化研究』(国際アジア文化学会)(通号 6) [1999.06]
・李恵京「文明に至るための権道--梁啓超における宗教と専制」『中国思想史研究』(京都大学文学部中国哲学史研究会)(通号 21) [1998.12]
・佐藤豊「梁啓超と功利主義--加藤弘之『道徳法律進化の理』に関連して」『中国』(通号 13) [1998.06]
・清水賢一郎「<異邦>のなかの文学者たち(1)梁啓超--日本亡命と新中国の構想」『月刊しにか』(大修館書店)9(4) [1998.04]
・巴斯蒂「梁啓超与宗教問題」(中文)『東方学報』(京都大学人文科学研究所)(通号 70) [1998.03]
・李恵京「天下観の崩壊による人間観の動揺--梁啓超の「変法通議」から「徳育鑑」まで」『日本中国学会報』(日本中国学会)(通号 50) [1998]
・三浦滋子「梁啓超の対日認識--日本亡命から日露戦争まで」『史論』(東京女子大学史学研究室)51 [1998]
・森川登美江「梁啓超と彼の文学作品覚え書」『大分大学経済論集』49(3・4) [1997.11]
・中村哲夫「梁啓超と呉錦堂を結ぶもの」『人文学部紀要』(神戸学院大学人文学部)(通号 15) [1997.10]
・樽本照雄「梁啓超「群治」の読まれ方--附:中日英用例比較,関連論文一覧」『大阪経大論集』48(3) [1997.09]
・小松原伴子「梁啓超における「自由」と「国家」--加藤弘之との比較において」『学習院大学文学部研究年報』(通号 44) [1997]
・末岡宏「梁啓超にとってのルネッサンス」『中国思想史研究』(通号 19) [1996.12]
・手代木有児「近代中国の思索者たち-4-梁啓超--「史界革命」と明治の歴史学」『月刊しにか』7(7) [1996.07]
・肖朗「福沢諭吉と梁啓超--近代日本と中国の思想・文化交流史の一側面」『日本歴史』(吉川弘文館、日本歴史学会)(通号 576) [1996.05]
・佐藤慎一「梁啓超と社会進化論」『法学』(東北大学法学会)59(6) [1996.01]
・斉藤泰治「梁啓超「自由書」と「新民説」」『教養諸学研究』(早稲田大学政治経済学部教養諸学研究会)(通号 97・98) [1995]
・大原信一「梁啓超と日本語」『東洋研究』(通号 114) [1994.12]
・楠瀬正明「中華民国初期の梁啓超と第1国会」『史学研究』(通号 206) [1994.10]
・若杉邦子「「過渡時代論」に見る梁啓超の"過渡"観」『中国文学論集』(九州大学中国文学会)(通号 22) [1993.12]
・有田和夫「辛亥革命後の梁啓超の思想--士人主導の運動から"国民運動"へ」『東京外国語大学論集』(通号 47) [1993]
・肖朗「福沢諭吉と中国の啓蒙思想--梁啓超との思想的関連を中心に」『名古屋大學教育學部紀要・教育学科』40(1) [1993]
・河村一夫「中国近代史資料叢刊「戊戌変法」掲載の梁啓超執筆新史料について」『政治経済史学』(日本政治経済史学研究所)(通号 315) [1992.09]
・大原信一「梁啓超の新文体と徳富蘇峰-1-」『東洋研究』(通号 97) [1991.01]
・佐藤一樹「厳復と梁啓超--その啓蒙観の比較」『二松学舎大学論集』(通号 34) [1991]
・許勢常安「梁啓超の現存する詩歌について」『専修商学論集』(通号 49) [1990.03]
・佐藤一郎「梁啓超における桐城派」『史學』(三田史学会)56(3) [1986.11]
・佐藤一樹「梁啓超における啓蒙思想の理念--その形成と問題」『中国文化』(中国文化学会)(通号 43) [1985]
・荘光茂樹「梁啓超について--新文体論と「東籍月旦」」『経済集志』(日本大学経済学部)53(別号1) [1983.04]
・永井算巳「丁巳復辟事件と梁啓超-3-」『人文科学論集』(信州大学人文学部)(通号 16) [1982.03]
・永井算巳「丁巳復辟事件と梁啓超」『人文科学論集』(通号 15) [1981.03]
・木原勝治「清末における梁啓超の近代国家論 (三田村博士古稀記念東洋史論叢)」『立命館文學』(通号 418~421) [1980.07]
・楠瀬正明「清末における立憲構想--梁啓超を中心として (近代アジアにおける国民統合構想<シンポジウム>)」『史学研究』(通号 143) [1979.06]
・坂出祥伸「梁啓超著述編年初稿-2-」『關西大學文學論集』28(4) [1979.03]
・永井算巳「丁巳復辟事件と梁啓超」『人文科学論集』(通号 13) [1979.03]
・坂出祥伸「梁啓超著述編年初稿-1-」『關西大學文學論集』27(4) [1978.03]
・宮内保「梁啓超の《文学評論》について--一九二〇年代を中心に (〔北海道教育大学語学文学会〕十五周年記念号)」『語学文学』(北海道教育大学語学文学会)(通号 15) [1977]
・竹内弘行「梁啓超と史界革命--「新史学」の背景をめぐって」『日本中国学会報』(通号 28) [1976.10]
・楠瀬正明「梁啓超の国家論の特質--群概念の分析を通して」『史学研究』(広島史学研究会)(通号 132) [1976.06]
・横山英「梁啓超の立憲政策論」『広島大学文学部紀要』(通号 35) [1976.01]
・陳舜臣「中国近代史ノートー7-追い越されるジャーナリスト=梁啓超」『朝日アジアレビュー』6(1) [1975.03]
・坂出祥伸「梁啓超の政治思想--日本亡命から革命派との論戦まで-承前完-」『關西大學文學論集』24(1) [1974.12]
・大竹鑑「梁啓超の教育論」『大谷学報』(大谷学会)54(2) [1974.09.00]
・楠瀬正明「梁啓超の国家構想 (歴史における「近代国家」論--その構想と史的前提(シンポジウム))」『史学研究』(通号 121・122) [1974.06.00]
・大村益夫「梁啓超および「佳人之奇遇」」『人文論集』(早稲田大学法学会)(通号 11) [1974.02.00]
・坂出祥伸「梁啓超の政治思想--日本亡命から革命派との論戦まで」『關西大學文學論集』23(1) [1973.12.00]
・横山英「脱出への苦悩--梁啓超とその時代 (社会と人間--とくに知識人の時代批判のあり方をめぐって(共同研究)) -- (はじめに〔共同研究の経緯〕)」『広島大学文学部紀要』31(2) [1972.02.00]
・横山英「脱出への苦悩--梁啓超とその時代(共同研究・社会と人間--近代における知識人の苦悩)」『広島大学文学部紀要』31(2) [1972.02.00]
・許常安「「時務報」に見える梁啓超の日本に関する言論」『斯文』(通号 62) [1970.08.00]
・佐藤一郎「梁啓超における「文学」」『藝文研究』(慶應義塾大學藝文學會)(通号 27) [1969.03.00]
・菊池貴晴「張朋園著「梁啓超与清季革命」」『東洋学報』50(3) [1967.12.00]
・和田博徳「アジアの近代化と慶応義塾--ベトナムの東京義塾・中国の梁啓超その他について」『慶応義塾大学商学部日吉論文集』(通号 創立十周年記念) [1967.09.00]
・増田渉「梁啓超の日本亡命について」『東京支那学報』(通号 13) [1967.06]
・永井算巳「清末における在日康梁派の政治動静(1)--康有為梁啓超の日本亡命とその後の動静」『人文科学論集』(信州大学人文学部)(通号 1) [1966.12.00]
・和田博徳「張朋園著「梁啓超与清季革命」」『史學』(三田史学会)38(3) [1966.01]
・中野美代子「小説界革命と梁啓超--清末小説研究-5-」『北海道大学外国語・外国文学研究』(通号 9) [1962.02]
・倉田貞美「飲冰室詩話について」『香川大学学芸学部研究報告・第1部』(通号 13) [1960.07]
・木原勝治「梁啓超の新民説について」『立命館文學』(通号 180) [1960.06]
・上田仲雄「梁啓超の歴史観--過渡期における思想の問題として」『岩手史学研究』(通号 32) [1960.01]
・阿部洋「梁啓超の教育思想とその活動」『九州大学教育学部紀要・教育学部門』(通号 6) [1959]
・島田虔次「梁啓超文三編(訳注)」『東洋史研究』17(3) [1958.12]
・増田渉「梁啓超について」『人文研究』(大阪市立大学文学研究科)
・佐藤震二「清朝末期における梁啓超の政治思想--その形成過程を中心として」『アカデミア』(南山大学出版部)(通号 3) [1952.10]

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2010年4月 7日 (水)

萩原朔太郎『猫町 他十七篇』

 萩原朔太郎(清岡卓行編)『猫町 他十七篇』(岩波文庫、1995年)は短編小説らしきものやエッセイを集めた小品集。「群集の中に居て」から抜粋。

「都会生活とは、一つの共同椅子の上で、全く別別の人間が別別のことを考へながら、互に何の交渉もなく、一つの同じ空を見てゐる生活──群集としての生活──なのである。その同じ都会の空は、あの宿なしのルンペンや、無職者や、何処へ行くといふあてもない人間やが、てんでに自分のことを考へながら、ぼんやり並んで坐つてる、浅草公園のベンチの上にもひろがつて居て、灯ともし頃の都会の情趣を、無限に侘しげに見せるのである。」
「げに都会の生活の自由さは、群集の中に居る自由さである。群集は一人一人の単位であつて、しかも全体としての綜合した意志をもつてる。だれも私の生活に交渉せず、私の自由を束縛しない。しかも全体の動く意志の中で、私がまた物を考へ、為し、味ひ、人人と共に楽しんで居る。心のいたく疲れた人、重い悩みに苦しむ人、わけても孤独を寂しむ人、孤独を愛する人によつて、群集こそは心の家郷、愛と慰安の住家である。」

 文学者というのは意外とよく町をほっつき歩いている。例えば永井荷風については川本三郎さんが書いているが、萩原朔太郎もよく歩いていた。単に散歩好きというのではなく、退屈まぎれということもあろうし、当時、彼は家庭のトラブルを抱えていたから家にいたくなかったのかもしれない。ささくれ立って鬱屈を抱えた孤独。それでも都会は、あたかも居場所があるかのように思わせてくれる。そんな気分のとき、あたり前のときとは違って、行き交う人々の表情に自分自身の感傷を反射させて、そこに映し出された陰影あるひだを、より切実なものとして嗅ぎ取るのだろう。

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吉澤誠一郎『愛国主義の創成──ナショナリズムから近代中国をみる』

吉澤誠一郎『愛国主義の創成──ナショナリズムから近代中国をみる』(岩波書店、2003年)

・近代中国において具体的な形を取り始めた国家としての一体感=ナショナリズムをめぐる諸相が梁啓超を縦糸として検討される。清朝体制に対する批判から革命派のナショナリズムが現われたという構図ではなく、清朝官僚・革命派の双方が実は不可分一体の中国という発想を持つ点では同じであったことが示される。清朝による一定の政治的統合の実態、列強対峙の国際環境など所与の条件が素材として組み合わされる中で愛国主義の言説が当然視される風潮がすでに醸成されていたことがうかがわれる。
・アメリカでの中国人移民排斥→中国でボイコット運動、本籍地アイデンティティによる民衆の愛国運動。
・梁啓超:中国人は「朝廷あるを知って、国家を知らない」「個人あるを知って、群体あるを知らない」→中国史叙述の史学革命、紀年をめぐる議論。
・辮髪を剪る:①辮髪は不便であり、富国強兵のため身体的能動性に富んだ男性像=「尚武」の理想。②外国から軽蔑される。③満洲王朝による強制からの脱却(例えば、章炳麟が断髪により反満の意思表示)。→③に注目されることが多いが、これらの絡まりあいとして理解。
・「愛国ゆえに死す」という言説:戊戌の政変での譚嗣同の死を梁啓超や康有為らは政治的正当性の主張の中で顕彰→政治的宣伝、追悼の政治的操作性→国に殉じた者を祭ろうという発想は革命派・清朝官僚の双方に共通。政治的大義のために死を顕彰する言説・儀礼がこの頃から整備され、さらなる政治的死を誘発する。

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齋藤希史『漢文脈の近代──清末=明治の文学圏』

齋藤希史『漢文脈の近代──清末=明治の文学圏』(名古屋大学出版会、2005年)

・一方的な影響や受容という捉え方ではなく、日本・中国それぞれにおけるエクリチュールの変容を可能にした言語意識の重層性に着目しながら、東アジア近代における漢字を媒介とした文学的インタラクティブを読み解く。関心を持った点を以下にメモしておくと、
・「和漢」→「漢」は「和」に入り込んで境界が曖昧。しかし、Japan and Chinaと表記すれば両者は明確に区別されるという視点の転換→China=「支那」という表現は、西洋人と同じ目線に立って、外部から中国を指す→「和」に入り混じった中国経由の文化を外在化し、日本固有の「伝統」を創出しようという意識。
・梁啓超の母語は広東語であり、北京官話は苦手。しかし、科挙準備のため経学を学ぶ→文言による枠組みが漢民族=「中華文明」の一員としてのアイデンティティー。日本語は仮名を使って漢字を補うため識字率が向上したと梁は指摘。西洋の学術成果摂取の手段としての日本語→漢文訓読の逆のようにして日本語を読む方法を考える。洋学習得には時間と労力がかかるため中国の学問習得の余裕がなくなる→日本語経由が効率的という判断。小説の通俗的大衆性→啓蒙の手段として小説を利用する効用主義(文学としての価値ではなく)→矢野龍渓『経国美談』や東海散士『佳人之奇遇』など明治政治小説を翻訳紹介。
・森田思軒の翻訳テクスト→翻訳にあたり日常言語に埋没させないよう敢えて直訳体の異化作用。その国の言語にはそれぞれの「意趣精神」がある(→近代国民国家における国家としての固有性追求と親和的)ことを、小説の翻訳過程で意識された点が指摘される。森田は、頼山陽の漢文の分かりやすさは朗誦して耳に入りやすいところにあると評価→中国の規準に無理やり合せる必要はない→表現対象に即したリズム中心の文体として把握→森田はこうした漢文脈の把握を通して、翻訳の際に可塑性のあるものとして漢語、口語の使い分け、文体の自由を獲得。

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2010年4月 6日 (火)

坂野正高『中国近代化と馬建忠』、岡本隆司『馬建忠の中国近代』

坂野正高『中国近代化と馬建忠』(東京大学出版会、1985年)
・馬建忠(1845~1900)は天主教徒の生まれで、洗礼名はMatthias。西欧諸語に通ずると同時に、科挙の勉強もした。李鴻章の幕僚として洋務の現場に従事、1877~1880年初めまでフランス滞在。1890年代からは上海に隠棲。この頃、梁啓超は馬建忠およびその兄の馬相伯からラテン語を習っている。馬建忠は中国語の文法書『馬氏文通』の著者としても知られている。
・本書は馬建忠の意見書を検討。とりわけ、外交官、海軍などの人材育成システム、人事行政、訓練計画など、専門家集団の確立と合理的組織運営の必要性を提言→「近代化」との関連で注目される。インフラ整備の必要性→借款をしてでも鉄道建設を主張。海軍建設は失敗したが、鉄道技術者層の造出には成功。
・「擬設繙譯書院議」の訳文を収録。

岡本隆司『馬建忠の中国近代』(京都大学学術出版会、2007年)
・馬建忠は李鴻章の意を受けて朝鮮に派遣された。壬午軍乱の具体的経過について馬の「東行三録」を訳出。彼は西欧的知識に馴染んでいるが、同時に現実に応じて臨機応変の外交政策立案→「属国自主」の論法で朝鮮問題、ヴェトナム問題に対処。
・済物浦条約は手ぬるいと「清流」派からの弾劾、「洋務」派内の勢力争い、本人の性格的問題などで昇進できず。上海では盛宣懐とも対立。
・「富民論」を訳出→貿易、金鉱開発など経済政策の提言。これは経済思想というよりも、当人の就職目的の自己推薦書なのではないかと指摘。外交面では辣腕を振るった彼だが、企業経営家としてはパッとしないのはなぜか。この論文のテーマとしての「民」「富」と「国」「強」とを媒介する社会的・制度的条件が清末期には存在せず、彼のヨーロッパ体験や学知とそうした現実の社会構造とがかみ合ってなかったのではないかと指摘される。

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2010年4月 5日 (月)

松山巖『乱歩と東京 1920 都市の貌』

 本好きな小学生だった人は必ずと言っていいほど江戸川乱歩体験を共有しているのではなかろうか。私は少年探偵団の謎解きや冒険スリル的なストーリーよりも、舞台となっている東京のレトロモダンな風景の描写の方に印象が強い。自分が知っている東京とは全く違う世界が開けているような一種の幻想をかき立てられて好きだった。私の大正・昭和初期についての原型的イメージは乱歩によってつくられたと言っても過言ではない。

 ポプラ社の江戸川乱歩シリーズは今になって思うと不思議な構成で、前半の1~24巻までは子供向けの少年探偵団ものだが、後半は装丁のデザインや明智小五郎が登場する点では同じでも大人向けの小説が入っていた。子供には結構刺激の強い描写にドキドキした覚えがある。むしろ、この淫靡なエロティシズムやグロテスクな雰囲気の漂う際どさの方が乱歩の本領であろう。今さら私が言うまでもないが、そうした乱歩の作品は、近代社会へと変容する過程に対しての一種の精神分析として読むことも可能である。

 松山巖『乱歩と東京 1920 都市の貌』(ちくま学芸文庫、1994年)は、乱歩作品に内在する眼差しを通して、大都会へと変貌しつつある東京の変化やその中で息づく人々のメンタリティーを鮮やかに読み解いてくれる。示唆深い論点が豊かに提示され、乱歩論、東京論としてばかりでなく、近代日本思想史としても名著だと思っている。

 伝統社会の中で持続していた心性は近代化と共に徐々に変成しつつあったが、器はすぐ切り替えることはできても、その中身の熟成には時間がかかる。明治期において型としてのライフスタイルは一変しても、感性面での変化には世代交代が必要であり、私自身の印象としては、現代に生きる我々に直接つながるメンタリティーは大正期以降、とりわけ都市生活において具現化し始めたものと考えている。

 乱歩の猟奇的、グロテスクにも思える作品群。それらは必ずしも乱歩という独特な個性のイマジネーションによってのみ作り上げられたわけではない。乱歩作品の後景から垣間見える都会的匿名性、性の解放、「家」制度の解体と婚姻形態の変化、そういった個人主義的感性をつきつめたところに当然にして表われるライフスタイルの変化は、一方で残存している伝統的感性からすれば奇異なものでありながらも、他方において実はすでに了解可能な射程内に入りつつあった。両者の葛藤が先鋭であればあるほど奇妙にも昂揚する「罪」意識の愉悦。それを乱歩は目ざとくつかみ取り、小説的な面白さへと昇華させた。本来秘しておきたかったはずの欲望、しかしタブーを破ること自体に独特な快感が伴い、そうした行為をむしろひけらかしたいのではないかとすら思えてくる猟奇的な事件。読み手は、荒唐無稽な話と思いつつも、そうしたグロテスクな不思議にどこか一片のリアリティーをほのかに嗅ぎ取り、それは自分の中にも潜んでいるからではないかという疑いを禁じ得ず、目を離せない何かを感じ取った、もしくは現代においても感じ取られ続けているとも言える。

 なお、「芋虫」についての指摘に興味を持ったのでメモしておく。読んだ人なら分かるだろうが、戦争で四肢も声も失って「肉ゴム」と化した兵士を妻がいたぶる話。軍国主義的な風潮の中で発表するには危なっかしい話で、戦後、一部の人たちは反戦小説として読んだらしいが、乱歩自身のコメントを次に孫引き(本書、227ページ)。

「私はあの小説を左翼イディオロギーで書いたわけではない。私はむろん戦争は嫌いだが、そんなことよりも、もっと強いレジスタンスが私の心中にはウヨウヨしている。例えば「なぜ神は人間を作ったか」というレジスタンスの方が、戦争や平和や左翼よりも、百倍も根本的で、百倍も強烈だ。それは抛っておいて、政治が人間最大の問題であるかの如く動いている文学者の気が知れない。(略)「芋虫」は探偵小説ではない。極端な苦痛と快楽と惨劇を描こうとした小説で、それだけのものである。強いていえば、あれには「物のあわれ」というようなものも含まれていた。反戦よりはその方がむしろ意識的であった。反戦的なものを取入れたのは、偶然、それがこの悲惨に好都合な材料だったからにすぎない。」

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2010年4月 4日 (日)

二・二六事件を題材にした小説

 日本現代史の中でも稀有な規模のクーデターであった二・二六事件。イマジネーションをかき立てやすいのか、硬軟様々におびただしい関連文献が量産されてきた状況を現代史家の秦郁彦は「二・二六産業」と呼んだ。以下、二・二六事件を題材とした小説作品でとりあえず思いつくのを適当に挙げていく。それぞれだいぶ以前に読んで再読していないので細かい内容には触れない。

 私自身の記憶として一番早いのは荒俣宏『帝都物語』。中学生のとき読んだ。二・二六事件が出てくるのは第五巻「魔王篇」だったか。「魔王」というのは北一輝のこと。北一輝に注目した作品としては久世光彦『陛下』(中公文庫、2003年)がある。久世作品を読むときは昭和の情景の描き方に興味が行ってしまって具体的なストーリーは忘れてしまったが、文庫版のカバー表紙に転がる目玉がなぜか思い浮かぶ。北の片目は義眼。

 宮部みゆき『蒲生邸事件』(毎日新聞社、1996年)は現代の受験生が事件前夜にタイムトリップ。「歴史ってよく知らない」世代を意識した書き方だ。恩田陸『ねじの回転』(集英社、2002年)はヘンリー・ジェイムズじゃないよ。未来の国際機関が日本の針路の分岐点は二・二六事件だと考えてコントロールしようという思惑が背景。「歴史は変えられるのか」的SFのパターン。山田正紀『マヂック・オペラ』(早川書房、2005年)は、二・二六事件前夜に起こった殺人事件の調査に当たっていた特高が背後の陰謀に気づいていく話。歴史を換骨奪胎して実在の人物を使いながら伝奇小説に仕立てあげようという意図では山田風太郎を意識しているらしい。去年ようやく直木賞を受賞した北村薫『鷺と雪』(文藝春秋、2009年)は個人的には好みに合っている。北村のほんわかやわらかミステリの筆致で二・二六事件につなげられていく。

 この人を挙げないわけにはいかないか。三島由紀夫「憂国」(『花ざかりの森・憂国』新潮文庫、1968年)。二・二六事件の際、新婚の身の上が仲間たちから配慮されて取り残された青年将校が夫婦揃って自刃。描こうとしているのは、至誠=純粋さ、エロス、死の三位一体的結びつきか。どうでもいいが、五・一五事件をメインに据えた作品が少ないのは、首相を殺害はしても、部隊を動員するなど絵になる劇的クライマックスがないからか。三島の『豊饒の海』四部作の第二部『奔馬』は血盟団事件、五・一五事件と続く世相の中、あくまでも純粋な「志」を以てテロリズムへと突っ走る青年が主人公。ちなみに、私はフィリップ・グラスの曲が好きで、彼はアメリカ映画「MISIMA」(日本では未公開)の音楽も担当しており、グラスのサントラ集にある「MISIMA」からの抜粋はこの『奔馬』のシーンだった。このメロディーは好き。五・一五事件では高橋和己『邪宗門』に、青年将校が犬養首相殺害直前「これでいいのか?」と自問自答するシーンがあったのを覚えている。

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「NHKスペシャル アフリカンドリーム 第1回 “悲劇の国”が奇跡を起こす」

「NHKスペシャル アフリカンドリーム 第1回 “悲劇の国”が奇跡を起こす」

・16年前におこったジェノサイドから何とか立ちなろうとしているルワンダの現状をリポート。大虐殺から逃れたツチ族の難民たち→ディアスポラ。海外のビジネスで成功した人々が国家再建のため帰国しつつあるという。他方で、周辺国に流出したフツ族難民も帰国しつつあるが、彼らは貧しいまま。帰国しても生計を立てる手段がない。虐殺の怨念に加えて、貧富の格差も新たな火種になりそうな様子である。
・焦点が当てられるのは、海外で成功して帰国したツチ族の実業家。故郷の村(そこで母と妹が殺害された)に戻って、フツ族の住民たちと一緒にコーヒーの栽培・加工・流通の共同事業を立ち上げようとしている。民族対立の怨念を乗り越えようと努力する姿が映し出される。相互の不信感は難しそうだが、「同じルワンダ人なのだから一緒にやっていけるはずだ」という母の残した言葉を心に抱いているという。
・アフリカではエスニック・グループ間の対立感情が相互に足を引っ張り合う方向で作用してしまうことが往々にしてある。国家建設において、物理的インフラだけでなく、一つの国家において民族感情の対立を超えたナショナル・アイデンティティーの確立そのものが心の内なるインフラとして重要であることは、例えばポール・コリアーなどが指摘していた。

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湯志鈞・近藤邦康『中国近代の思想家』

湯志鈞・近藤邦康『中国近代の思想家』(岩波書店、1985年)

・本書全体の3分の1を占める第一部は湯志鈞論文、第二部が近藤邦康論文等。
・第一部。戊戌変法はブルジョワ革命?単なる政治改良?→ブルジョワ改良主義と規定。マルクス・レーニン主義の階級闘争史観にそって康有為・章炳麟を位置付け。こういうのは、例えばかつて北朝鮮のアカデミーが金玉均を再評価したとき甲申事変=ブルジョワ革命と位置付けたのと同じ論法だし、日本なら明治維新をめぐって講座派と労農派の間で交わされた議論も想起される。もう魅力のない議論だが。
・民族的危機、腐敗した封建制度という状況下、西洋に学んだ康有為の今文経学→孔子をブルジョワ化して読み替え→しかし、儒教イデオロギーの限界性という理解。
・戊戌の政変で章炳麟は台湾へ逃れ、一時期、『台湾日日新報』に勤務。日本官憲の横暴と衝突して辞職したと言われていたらしいが、同紙を調査したところそうした証拠はなく、西太后攻撃の政治論文で居づらくなった(当時、日本政府は維新派をかくまっていると清朝から抗議を受けていた)。
・プロレタリア階級の支援を受けた孫文とは異なり、章炳麟には階級的制約があったという理解。
・第二部は日本人の視点から。清朝の一君万民体制において、康有為は上からの改良(一君)、章炳麟は下からの革命(万民)という捉え方。近藤による中国での在外研究報告は30年前の中国アカデミズムの空気がうかがわれて興味深く読んだ。特に、マルクス主義中心の認識という点で違和感を漏らしている。例えば、李大釗を中国では「揚棄」「質的転換」(ヘーゲル=マルクス用語だ)の思想的飛躍として高評価、対して近藤は連続性を重視。あるいは、唯心主義か唯物主義かという二者択一への疑問。中国の知識人とじかに接してみると、書かれた文章よりも生きた人々の方が奥行きが深いという感想が興味深い。言いたいことがあっても、論文に書くには制約が強いということか。

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陳真『柳絮降る北京より──マイクとともに歩んだ半世紀』『北京暮らし今昔』、野田正彰『陳真──戦争と平和の旅路』

 私はむかしNHKの中国語講座を視聴した覚えがなくて、陳真さんのことはよく知らなかった。陳真『柳絮降る北京より──マイクとともに歩んだ半世紀』(東方書店、2001年)は、北京の放送局に入ってから出会った人々、北京の風物をつづった自伝風エッセイ。敗戦後も中国にとどまった日本人のこと、文革時に受けた迫害なども触れている。陳真『北京暮らし今昔』(里文出版、2005年)は、急速に変貌していく北京のたたずまいを描く。昔の情緒への名残惜しさもどこか感じさせつつ、現在の変化への受け止め方は前向きだ。優しそうな人柄のしのばれる柔らかな筆致は、読んでいて心地良い。2005年1月に永眠。

 野田正彰『陳真──戦争と平和の旅路』(岩波書店、2004年)は、著者自身のある種の政治的嗜好が先行して評伝としての質はあまり良くない本ではあるが、陳真の生涯には興味が引かれる。奥ゆかしい方で、自慢めいた話は上掲エッセイ集には出てこない。ところが、例えば16歳で書いた小説が絶賛されて賞を取るなど、実は大変な才媛であった。そうした彼女自身が書かなかった部分は野田書がきちんと調べてくれている。

 陳真とご父君・陳文彬の二人をセットにして考えると、日本・台湾・中国の三角関係がある一つの形として見えてきて、そこに関心を持った。祖父は福建省の出身で台湾に移住、西来庵事件に連座して逮捕された時に受けた拷問がもとで亡くなった。陳文彬は台湾・高雄の生まれ、台中一中を経て上海の復旦大学で学んだ言語学者。他方で共産党員でもあり、汪精衛政権下の弾圧を逃れて来日。法政大学で教鞭をとり、藤堂明保、倉石武四郎、谷川徹三、野上豊一郎・弥生子夫妻などと交流、生活面では経済学者の堀江邑一の世話になったようだ。陳文彬は中国ナショナリズム意識が強く、また戦後は言語学者としてピンインの制度化に関わったらしい。

 陳真は1932年、東京・荻窪に生まれた。谷川俊太郎とは幼馴染。学校では軍国主義下の差別的な風当たりを受けてつらい思いをしたことが野田書に見えるが、陳真自身のエッセイでは「日本にいたときにはイヤな思い出もあったけど…」という感じにサラッと書き流されている。日本の敗戦後、父・陳文彬が台湾大学教授として招聘されたので同行したが、二・二八事件、引き続く国民党の白色テロの中、命からがら大陸へと脱出、北京に定住。ただし、反右派闘争、文化大革命と続く過程で台湾民主自治同盟など台湾出身者の多くが「反革命」のレッテルを貼られたが、陳真の家族も例外ではなく、父は下放され、家族は散り散り、彼女自身は放送局に日本語のできる最低限の人材は必要ということで北京に残された。文革中に放送局を表敬訪問した藤堂明保が「こちらに陳文彬の娘さんがいらっしゃると聞きましたが、どなたですか?」仕方なく名乗り出たところ「お父さんはどうなさっていますか?」「…病気です」というやり取りのあったことが上掲『柳絮降る北京より』に記されている。

 若い頃の陳真さんの写真を見ると(→例えば、これ)、本当に愛くるしく純真無垢な美少女で、ブロマイドに欲しいくらい(たまにローラ・チャン目当てでNHKの中国語講座にテレビのチャンネルを合わせたことはあるが、あんなの目じゃない)。お年を召されてからは知的な気品が漂って、須賀敦子さんに似た印象がある。

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