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2010年3月21日 - 2010年3月27日

2010年3月27日 (土)

ツェリン・オーセル『殺劫[シャーチェ]──チベットの文化大革命』

ツェリン・オーセル著、ツェリン・ドルジェ写真(藤野彰・劉燕子訳)『殺劫[シャーチェ]──チベットの文化大革命』(集広舎、2009年)

 「革命」をチベット語では「サルジェ」と言う。共産党軍がチベットに入ってきてからつくられた言葉らしい。本書のタイトル「殺劫[シャーチェ]」は、文化大革命がチベットにもたらした災禍を明確にするため、チベット語の「サルジェ」と似た発音の中国語単語の中から敢えて選ばれている。

 文化大革命期にチベットで展開された光景を記録した写真はほとんど公表されていないが、本書には当時の写真が多数収録されており、資料的にも貴重な意義を持っている。著者の父親が撮りためていたものだという。この写真を何とか役立てたいと考え、ここに映っている人々はどんな思いを抱えていたのか、そしてここに映し出されている光景が意味するのは一体何なのか、そうした問いを投げかけながら、当時迫害を受けた人、紅衛兵や造反派として迫害を行なった人、70人以上の様々な当時の関係者に取材をした記録である。

 煽動されて「造反有理」に邁進した少年少女たちの純情そうな表情。「牛鬼蛇神」(こんな概念自体がチベット語にはなく、中国語でぎこちなく発音されたらしい)としてつるし上げられた人々の打ちひしがれて力なく呆然とした諦め。背景に見える群集の不安げな戸惑い。チベット人はそれぞれの立場なりに緊張した面持ちを見せる中、漢人幹部の傲岸な笑顔が目に残る。父親が撮らされたヤラセ写真からも当時の状況は逆説的にうかがえる。

 多くの人々が命を落とし、残された人々は身も心も傷を負った。続く造反派内部の武闘抗争。宗教文化の荒廃。漢語の押し付けと改名の強制。人民公社化は牧畜等の伝統的生活基盤そのものを崩してしまった。民族差別を階級闘争のロジックにすり替え、「所詮チベット人同士がやったことで漢人は関係ない」という逃げ口上は、楊海英『墓標なき草原──内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(岩波書店、2009年→こちらで取り上げた)でも指摘されていたのと同じ構図である。「批判闘争」のような抗争様式というのも、後天的に獲得された行動パターンという意味では一つの「文化」であり、それが外から持ち込まれたことによって、チベット仏教に基づく伝統的な生活形態の中では本来表面化することのなかった様々な醜さが意図的にほじくりかえされ無理やり表出させられてしまった。そうした意味での精神文化の破壊に目を覆いたくなるような悲しみを感じてしまう。

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2010年3月26日 (金)

川島真『中国近代外交の形成』、青山瑠妙『現代中国の外交』、牛軍『冷戦期中国外交の政策決定』、王逸舟『中国外交の新思考』

川島真『中国近代外交の形成』(名古屋大学出版会、2004年)
・中華民国初期の外交を対象とした研究。この時期の中国外交については後世の国民党及び共産党の「革命外交」史観によって「売国外交」としてイデオロギー的にマイナス評価されてきた。対して本書は、外交档案の丹念な調査・読解を通して事実に即した中国近代外交史の再構成を目指している。
・中華民国北京政府は国際社会において「文明国」として対等に認知されることを志向(この点では清末外交との連続性が認められる)、それをテコとして不平等条約改正を目指した。→こうした「修約外交」は、スローガンばかり先行する「革命外交」とは異なり、具体的な成果あり。他方で、北京政府は「宣伝」「大衆動員」「説明」などをあまり行なわなかった点で19世紀的な政府であった。
・朝貢システムから近代外交システムへの移行期における朝鮮の位置付け:朝鮮半島を属国視したのは、伝統的な「中華思想」の表われというよりも、中国自身の国際社会における「強国」「大国化」志向と解釈される(朝鮮にとっては清もまた帝国主義的存在となっていた)。
・北京政府と広東政府との対峙、軍閥割拠と国内的には分裂していたが、同時に「中華民国」という枠組みにおけるナショナリズムは共有されていた→重要な国際案件についての態度は一致(パリ講和会議には北京政府・広東政府が全権代表を共同派遣)。ただし、政治主体としてのあり方が分節化されていたという状況。

青山瑠妙『現代中国の外交』(慶應義塾大学出版会、2007年)
・冷戦初期における中国の対外政策について、イデオロギー的アプローチor状況的アプローチ?→当初はソ連とアメリカとを両天秤にかけた柔軟性→ソ連からの支援があったから向ソ一辺倒政策を選択(状況的アプローチに適合的)。経済主権、自力更生のための手段として、政経分離で西側諸国との貿易も促進。
・「強硬路線」の中に見られる「柔軟路線」という中国外交の特徴:対外政策の形成・決定はトップダウン方式。最高決定者(毛沢東)が大原則を示す→ルーティンワークにおいて政策解釈権者(周恩来)が現実的な判断→各実務担当者、という縦割りのピラミッド型政策執行体制。
・中国による対外援助(特にアフリカ):①米ソを意識して中国の知名度向上が目的→②採算度外視の援助、③内政不干渉。ただし、④台湾ファクターは要求。方法としては、⑤「援助・貿易・投資の三位一体型協力」という日本モデル。⑥地方、国営、私営企業などのアクター。(※このあたりの議論については最近、Deborah Brautigam, The Dragon’s Gift: The Real Story of China in Africa[Oxford University Press, 2009]でも指摘されていた→こちらで取り上げた。)
・文革期の外交:外交分野は相対的に秩序安定。ただし、周恩来の権威低下→鄧小平らの地位上昇→改革開放。
・「内外有別」(国内問題、対外問題で異なる管理原則)→グローバル化の中で対外問題について行政の分権化。
・「一圏・一列・一片・一点」対外戦略:近隣諸国との友好関係、先進国との友好関係、発展途上国との連帯、対アメリカ政策。近年は「一点」とされていた対アメリカ政策の比重が低下。
・改革開放以降は経済優先の外交方針。
・PKOなど国連活動に参加:中国は世界秩序改編には関心がなく、既存のルールへの適応を選択。「自己認識」を変えないまま外からの「障害」を「外交」がうまく吸収、乗り越えながら国際的活動への参加。→国際社会への参加が中国内部に変化を引き起こすかどうか?(トロイの木馬効果)
・冷戦期におけるプロパガンダと、冷戦後におけるパブリック・ディプロマシー(中国に対するマイナス・イメージ払拭を目的)とを区別。
・中国国内の世論:政治的代表機能が限られている社会環境の中で、メディア(学者・研究者が発信)、投書・陳情(農民などサイレント・マイノリティー)、インターネット(都市部の若者→ネット世論)という三層構造。→政府は世論誘導のためメディアを活用し、外交機能も変化。
・全般的な特徴の変化としては、「断片化された権威主義」から「ソフトな権威主義」へ転換されるつつあることが指摘される。

牛軍(真水康樹訳)『冷戦期中国外交の政策決定』(千倉書房、2007年)は、政策目標の設定とその達成というイデオロギー・フリーの尺度から冷戦期中国が直面した外交問題を分析。具体的には向ソ一辺倒政策、朝鮮戦争(抗米援朝)、インドシナ戦争(援越抗仏)、中印国境紛争、中ソ同盟の形成と崩壊、ヴェトナム戦争(援越抗米)、中ソ国境紛争及びその余波としての中米接近、以上8つの事例分析が行なわれる。国内的要因、指導者の認識や方針からの影響が重視され、その判断ミスがもたらした情勢の変転も含めて描き出される。著者は北京大学教授で、中国側研究者による政策決定過程の分析としては類書がない。

王逸舟(天児慧・青山瑠妙編訳)『中国外交の新思考』(東京大学出版会、2007年)は、国際政治学の理論的立場としてはリベラリズムに立脚、構造的に多元化する国際社会における中国の位置付けを分析、今後を模索する。新しい総合安全保障観として、国家間の権力政治だけでなく、市民社会やNGOなど国家以外のアクターも含めて重層的な「政治」概念を提示。多国間外交の制度化、その中での国際協調、大国としての中国が建設的な責任を果たすべき必要の指摘。概ね穏当な議論が展開される中、台湾問題や日本の軍国主義復活への懸念などには若干の違和感あり。ただし、例えば「中台統一のため軍事的準備を怠ってはならないが、一方で長期的には現状維持となるから短慮はいけない」という感じに「一方で」のような逆接詞を入れて本題につなげているところから見ると、こういうのは中国内部での一種のポリティカル・コレクトネスのようなものか。

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2010年3月23日 (火)

厳善平『叢書★中国的問題群7 農村から都市へ─―1億3000万人の農民大移動』、秦尭禹『大地の慟哭──中国民工調査』、清水美和『中国農民の反乱──昇竜のアキレス腱』、李昌平『中国農村崩壊──農民が田を捨てるとき』、他

 厳善平『叢書★中国的問題群7 農村から都市へ─―1億3000万人の農民大移動』(岩波書店、2009年)は、統計データを踏まえて中国の人口動態を概観。その中から農民工をめぐる構造的問題、とりわけ都市戸籍と農村戸籍の二元体制に起因する社会問題を浮き彫りにする。
・民国期の人口移動は原則的に自由、ただし移動人口の総人口比は低かった。動乱期の移動が目立つ。文革等の下放では都市から農村への政策的・一方的移動。
・中国人海外移動者を出身地別に見ると近年は多様化。在日中国人登録者数を見ても、かつては福建出身者(華僑を輩出)が多かったが、1980年代以降は大都市(上海・北京)、残留孤児等(遼寧・黒竜江)ほかと出身地の多様化傾向。
・農民工の移動の性質は2000年代に転換:①農民と非農民の兼業→非農業の専業へ、②農村・都市間の移動→都市社会への溶解へ、③生存目的の出稼ぎ→平等の追求へ。
・①「離土不離郷」→②「離郷不背井」(出稼ぎ→他地域居住は3か月以内に規制されているが、実態ははるかに超過して不法滞在→労働力として必要がなくなったらいつでも追い返せる仕組み)→③「離郷又背井」(都市定住化が進行中)。
・一人っ子政策で少子化→若年労働力の供給が減少、他方で労働需要は拡大→40歳以上の労働供給が増加。
・都市住民と農民工との賃金格差、給料の遅配・不払い。社会保障なし。子供の教育問題への影響。三無人員(住民身分証、暫住証、在職証なし)→強制送還でトラブル。
・都市/農村戸籍の二元体制により、都市に流入した農民工の地位は立場的に不安定、そこにつけこんで使い捨て可能→コスト抑制策として利潤の最大化→中国企業の経済発展を支えてきた。民工荒(労働力としての農民工不足)問題は、労働力の不足というよりも、使い捨てによって熟練労働力としてのスキル向上(人的資本の蓄積)が図られなかったところに起因するのではないかと指摘される。また、近年、人件費の上昇が見られるが、これは経済水準が上昇したからというよりも、本来なされるべきであった社会保障に遅まきながらも目が向けられつつあるという側面もある。

 秦尭禹(田中忠仁・永井麻生子・王蓉美訳)『大地の慟哭──中国民工調査』(PHP研究所、2007年)は、都会の最底辺にあって経済を支えているにもかかわらず、無視され、差別を受け、過酷な労働待遇にあえぐ農民工たちが直面している実態を描き出す。収入が乏しいというだけではない。不安定で孤独な中での精神的つらさ、結婚難や性生活の不如意。労災があっても保障はなく、経営者がコスト抑制を図って不衛生な生活環境の中で暮らさざるを得ず、健康被害に見舞われている。権利問題についての無知のため泣き寝入り、抗議しようにも方法がない。「民工荒」問題の背景としては、企業管理のまずさのため、よりましな待遇を求めた民工の移動という側面もある。民工の子供たちの問題も深刻だ。都市で親と一緒に暮らしても、都市民からの差別により疎外感、教育機会も不均衡。民工学校設立などの努力はなされているが、公立学校との落差は大きい。故郷に残っても、親から離れて暮らすため精神的不安定。いずれの場合にも心理的ケアの必要が指摘される。幼少時環境の劣悪さには格差再生産のおそれがうかがわれてくる。

 清水美和『中国農民の反乱──昇竜のアキレス腱』(講談社、2002年)は農民問題に焦点を合わせて取材したルポルタージュ。農村で権力を振るう地方幹部=「土皇帝」の横暴、その半面としてのパターナリズム。都市/農村戸籍の二元体制の中で農民が事実上の「二等公民」として縛られ、そうした状況を合わせて考えてみるとまるで封建時代の再来のようにも見えてくる。農民工として都市に出ても差別を受ける。民工学校の努力も紹介される。土地の流動化は農民の生活基盤そのものを崩してしまう可能性がある。「法輪功」の整然としたデモ活動をはじめ、農民層に静かに鬱積している爆発力がほのめかされる。

 中国内陸部の農民たちが置かれた惨状には構造的な人災としての側面が強い。地方幹部の腐敗、農民に課された重い負担金。農民たちは痛めつけられても抗する手段がない。李昌平(北村稔・周俊・訳、吉田富夫・監訳)『中国農村崩壊──農民が田を捨てるとき』(日本放送出版協会、2004年)の著者は、自身湖北省の農村の幹部であるが、荒廃した農村問題について当時の朱鎔基首相に直訴の書簡を送った。政府上層部がいわゆる「三農問題」に目を向けてもなかなか解決の目途が見えてこないところに問題の根深さがうかがえてくる。陳桂棣・春桃(納村公子・椙田雅美訳)『中国農民調査』(文藝春秋、2005年)は、安徽省でおこった農民たちの集団直訴(上訪・信訪)事件の取材を通して同様の問題を浮き彫りにしようとしている(→こちらで取り上げた)。

 都市に出てきた農民工が働く都市の工場現場については、以前にこちらアレクサンドラ・ハーニー(漆嶋稔訳)『中国貧困絶望工場──「世界の工場」のカラクリ』(日経BP社、2008年)、Leslie T. Chang, Factory Girls: From Village to City in a Changing China (Spiegel & Grau, 2009。邦訳はレスリー・T・チャン『現代中国女工哀史』栗原泉訳、白水社、2010年)を取り上げた。前者ではコスト抑制のため過酷な労働条件がまかり通っている現状について、後者ではむしろ夢を追って都会に出てきた少女たちの表情が描かれている。

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2010年3月22日 (月)

日端康雄『都市計画の世界史』

日端康雄『都市計画の世界史』講談社現代新書、2008年

 都市はその時代ごとの政治・経済・社会的要因が関わり合ったダイナミズムの中から生成し、古代以来、そのあり方は都市計画として表われてきた。本書は、世界史的な視野の中で都市の類型や要件、格子状街並の普遍性、バロック都市、社会改良主義の都市計画(住環境の悪化、人間疎外→コミュニティ再構築という問題意識)、近代的都市計画(大規模化ではなく、分節化の再組織)といった流れを概観。海外との比較を通して日本の都市の問題も浮き彫りにされる。都市問題についてのレファレンス本として重宝する。様々な論点の中でも関心を持ったのをメモしておくと、
・日本の都市には城壁がない(外敵の脅威なし。戦争は国土や人民の奪い合いではなく、天皇の取り合い。中世動乱期の寺内町のような例外もある)→近代的都市化→城壁を崩して環状道路をつくるなどの都市計画ができず。城壁という区分がないので周囲の自然地域・農村へ都市が侵食。
・バロックの都市計画(例えば、オースマンのパリ大改造):市役所が開発し、不動産売却→開発資金を調達→市場主義社会における公共事業経営のモデル。
・東京は道路・敷地割が無秩序→ゾーニングにおける規制はかえって無秩序な街並のさらなる形成につながるおそれあり。

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2010年3月21日 (日)

「息もできない」

「息もできない」

 借金取立てなど暴力的な裏稼業に生きるサンフン(ヤン・イクチュン)。母は死に、父と弟は精神的にすさんでしまった家庭の中で踏ん張ろうとしている女子高生ヨニ(キム・コッピ)。ふとしたきっかけで出会った二人は、それぞれの孤独な内面に相通ずるものを嗅ぎ取ったのか、互いに悪態をつきながらも次第に心安く付き合える関係になっていく。サンフンの心境に変化が芽生え、裏稼業から足を洗おうとするが、その変化は彼には珍しいスキとなり、運命は暗転──。

 この映画で描かれる光景には監督自身の生い立ちの中での体験が反映されているという。貧困やすさんだ家庭環境が世代間で再生産されてしまう問題は社会学でよく指摘されている。映画の背景にある韓国の「ヴェトナム・シンドローム」について日本ではあまり知られていないが、例えば金賢娥(安田敏朗訳)『戦争の記憶 記憶の戦争──韓国人のベトナム戦争』(三元社、2009年→こちらで取り上げた)で触れられている。

 ただし、こういった背景を理屈として分析したとしても「上から目線」のもどかしさを感じてしまう。そこには収まりきれない内面的なところでわだかまるどうにもならない焦燥感を主人公の粗暴な振る舞いの中から立ちのぼらせ、観客に追体験させていけるところにこの映画の意義があると言えるだろうか。情緒的な思いやりが強いのにそれをうまく表現できないサンフンの不器用さ。泥沼のように構造的な負の連鎖から脱け出せない困難。映画終盤でサンフンの親族・友人たちが集まった擬似家族的な団欒のシーンに一つの希望が示されるが、その中に彼の姿はない。映画としての完成度が高いだけに、このシーンに込められたつらさがいっそう強く胸をうち、コメントがなかなか難しい。

【データ】
監督・主演・脚本・製作:ヤン・イクチュン
2008年/韓国/130分
(2010年3月21日、渋谷・シネマライズにて)

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川島真・毛里和子『叢書☆中国的問題群12グローバル中国への道程 外交150年』、川島真編『異文化理解講座6 中国の外交──自己認識と課題』、川島真・服部龍二編『東アジア国際政治史』

川島真・毛里和子『叢書☆中国的問題群12グローバル中国への道程 外交150年』(岩波書店、2009年)
・中国政治外交史を主導する二人による中国外交史の通史。前半の清末~1949年までを川島、後半の中華人民共和国成立から現在までを毛里が分担執筆。共著ものというのはたいていどこかチグハグなものだが、本書は一貫した流れが出来ている。ポイントが簡潔にしぼられ、文献案内も充実しているので中国外交史入門としては最適だと思う。
・中国近代は国内政治が動揺しやすかった→外交を行ない、国際社会の承認を受けることが政権としての正当性。複数の政権の並存状態がしばしばあった点で「二つの中国」的素地は近代中国に育まれていた。
・領土を奪われたり、主権侵害の経験→被害者として自らを位置付け→国際的地位向上への熱意(150年経った現在、実現しつつあるとも言える)。冊封していた国々が列強により植民地化もしくは冊封からの離脱→これを中国の国権喪失過程として描く外交史は、国民の共同幻想としての「国史」。
・こうした歴史的経緯から中国外交にはナショナリズムとの親和性が強いが、他方で国力不十分であるため国際協調が主旋律となった。弱国としての現実、強国という理念的志向性との並存。
・国内の論理が外交に反映されやすい性質。
・毛沢東時期は、国際環境についてのリーダー(毛沢東)の認識が与件として内政に連動(反右派闘争、大躍進政策、文化大革命)→しかし、文化大革命後の権力闘争や経済破綻で政権の正当性磨滅→鄧小平時期は国内的要員〔安定、開放、発展〕が対外関係へと連動。
・毛沢東時期は向ソ一辺倒→中間地帯論→一条線戦略→三つの世界論。ソ連・アメリカに振り回された経緯を踏まえて、鄧小平時期になると独立自主(全方位外交)。
・国家主権・内政不干渉→平和共存五原則が現在でも最重要準則となっている。
・対日二分論(軍国主義者と一般日本人とに二分)→対日関係において道義性やリーダーの人格的関係に依存するもろさがあった。
・鄧小平時期になると、毛沢東時期の外交を規定していたナショナリズム・革命イデオロギーとは異なり、国家利益に基づくリアリズムの主張も広まった。
・経済発展→「責任ある大国」としての自覚。

川島真編『異文化理解講座6 中国の外交──自己認識と課題』(山川出版社、2007年)は中国外交関連の専門家11人が寄稿。中国にとっての「外交」認識、パブリック・ディプロマシー(外交としての広報活動)、対外文化交流のあり方、経済外交、軍事外交、中米関係、上海協力機構、対朝鮮半島政策、ASEANとの関係、国境線をめぐる外交、日中関係、それぞれのテーマを通して現代中国の外交を多面的に映し出す。

川島真・服部龍二編『東アジア国際政治史』(名古屋大学出版会、2007年)は日本・朝鮮半島・中国を中心に、第Ⅰ部で冊封体制にあった19世紀末から第一次世界大戦まで「伝統」と「近代」が重なり合いながら進められた東アジア国際秩序の再編成、第Ⅱ部でワシントン体制から第二次世界大戦後の脱植民地化まで、第Ⅲ部で戦後から現代につながる東アジア国際秩序の形成経過を通史的にまとめられている。執筆者はコラムも含めると第一線の研究者が網羅的に勢揃い、錚々たる顔触れだ。時間的にも空間的にも大きな枠組みの中で個別論点も詳細に論じられており、レファレンス本として手もとに置いておきたい。

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