朝元照雄『開発経済学と台湾の経験──アジア経済の発展メカニズム』
朝元照雄『開発経済学と台湾の経験──アジア経済の発展メカニズム』(勁草書房、2004年)
・台湾経済の発展メカニズムについて開発経済学の理論枠組みを用いてデータを分析しながら解明。
・賃金が低い伝統的部門(農業)→賃金が高い近代的部門(工業)への労働力移動により、低廉な労働力を得て工業が発展→賃金上昇→労働移転過程の終わり→ルイスの転換点。また、農業部門での生産性向上に着目→ラニス・フェイの転換点。
・停滞して途上国の所得配分は比較的に平等→経済発展と共に不平等拡大→高度経済段階に入ると再び平等化→クズネッツの逆U字型曲線。
・上記、ルイスの転換点とクズネッツの逆U字型曲線のクライマックスに当たる点が1960年代後半の台湾経済に見出せる。
・産業連関表を基に、総需要=総供給=国内需要+輸出=国内生産+輸入という恒等式によってスカイライン・マップを描き、日本・台湾の比較→日本の場合、産業構造がより“総括的”、製造業は“自己完結的”なのに対し、台湾の場合、“強い産業と弱い産業”の差がより顕著であり、製造業は国際分業に組み込まれている様子がうかがえる。
・プロダクト・サイクル理論により産業の国際競争力分析→安い賃金で労働集約型の輸出→ルイスの転換点を越えて競争力低下→1980年代、海外直接投資によって生産基地が東南アジアや中国にシフト→日本及びアジアNIEsでは資本・技術集約型への移行、この分野で欧米にキャッチアップ。
・経済発展における政府の役割:国民党政権初期、政策の制定者と土地の所有者とに利害関係の重複なし→農地改革が成功(戦後日本のGHQと同様)。インフラ未整備段階では「大きな政府」→発展の障碍がなくなってから「小さな政府」で市場メカニズム。
・日本統治期に「法の遵守」など基礎条件整備。戦後、経済テクノクラートの貢献。
・中小企業の活動:豊富な労働力運用と外貨節約のために実施された輸入代替工業化政策の下で中小企業の芽生え(1945~62年)→輸出志向工業化政策により成長(1963~73年)→石油危機、労働力不足、相対的賃金の高騰などといった環境激変(1974~82年)→中小企業の比較優位性の喪失、競争力低下により産業構造転換に迫られる(1983年以降)。
・中小企業が成長した要因:起業家精神、政治社会的安定、効率的な生産ネットワーク(血縁、地縁、友人などの人脈)、豊富な労働力、人的資源の質の向上、インフラ整備。
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