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2010年12月30日 (木)

矢吹晋・藤野彰『客家と中国革命──「多元的国家」への視座』

矢吹晋・藤野彰『客家と中国革命──「多元的国家」への視座』(東方書店、2010年)

 日本における誤り多い客家イメージを洗い直し、中国における正統的な歴史観の中で欠落した客家の存在感を再検討するという内容。客家を論じながらそこを通して「中国」をいかに捉えるかというさらに大きな問題意識につながっており、興味深く読んだ。

 第Ⅰ部では矢吹晋がこれまでの客家研究をサーベイする。間違いや誇張が多く含まれた日本における従来の客家イメージを解きほぐす一方、最近の学術的研究を紹介しながら客家を考える上で必要な論点を整理してくれる。民族問題では必ず問題となるポイントだが、客家というのが自明なグループとして存在するというよりも、「自分は客家である」という自覚に根拠は求められる。古代の中原から南へと逃れて移住したという伝承が客家のアイデンティティー的基礎をなしており、この正統性意識(文化的正統性の自覚は中華思想の核心とも言える)が近代中国ナショナリズムと共鳴しながら客家アイデンティティーが強調されるようになった。このあたりが大きな論点となるだろうか。

 私が特に興味を覚えたのは言語学者・橋本萬太郎などの仮説を踏まえた言語学的な論点。アルタイ系の言語は修飾語を使うとき、修飾語の前に被修飾語を置くという逆行構造をとるが(例えば、「美しい」→「花」という順番)、対して南アジア系の言語は修飾語の後に被修飾語を積み重ねていく順行構造をとる(「花」→「美しい」という順番)。中国語には両方の構造が含まれており、北方方言では逆行構造の割合が高く、南方方言では順行構造の割合が高いという。つまり、「中国語」という自己完結した言語があるのではなく、逆行構造を特徴とする北方系言語と順行構造を特徴とする南方系言語とが重なり合いながら幅広いグラデーションを成しており、そうした言語群として「中国語」は把握できるのだという。客家語もその中に位置付けられる。「中国」と一言でいってもそこには多元的な言語生活が広がっている。従って、均質的な国民国家として「中国」を把握することの無理を指摘、著者は中華連邦構想へと議論をつなげていく。

 第Ⅱ部では藤野彰が革命故地への訪問記を通して正統的な中国共産党史から欠落していた客家の存在感に注目する。革命根拠地・井岡山での客民に対する粛清をどのように捉えるかという問題には矢吹と共にとりわけ重きが置かれている。冤罪であることが立証されると共産党の正統性にもケチがつくことになるらしい。私は中国共産党史には疎いのでどれほど重要な問題なのかよく分からないのだが。鄧小平もおそらく客家であろうと考えられるが、それを確証する根拠を探し出すのはなかなか難しいという。

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