黄昭堂『台湾民主国の研究──台湾独立運動史の一断章』
黄昭堂『台湾民主国の研究──台湾独立運動史の一断章』(東京大学出版会、1970年)
・日清講和による台湾割譲について清朝上層部では列強の干渉に期待する気分があったが、三国干渉は各国の利害に基づいていたため遼東半島が優先され、台湾は副次的問題として軽視された。
・台湾割譲の知らせを受けて台湾の人々は驚き(日清戦争では戦場から離れており、対岸の火事のように見ていたので)→士紳たちは台湾省巡撫・唐景崧に迫って離台を禁じた。台湾防衛というだけでなく、台湾内部の治安悪化を懸念したためで、イギリス領事にも保護を懇請。
・1895年5月23日、唐景崧を総統に祭り上げて台湾民主国独立宣言。
・5月29日、北白川宮能久親王率いる近衛師団が澳底から上陸→陸路、瑞芳・基隆を占領→敗走兵が台北に流れ込み、唐総統をはじめ首脳陣は大陸へ逃亡し、台北は大混乱→台北の有力者は協議の上、辜顕栄を派遣、彼は水野遵に面会、治安維持のため日本軍の入城を懇請→無血入城→6月17日、樺山総督が来て始政式。
・中南部では抵抗が継続。しかし、台湾の人々の反応は様々で、無関心の住民も多く、原住民は局外中立→劉永福も戦わずに大陸へ逃亡して、10月20日、台南入城。
・台湾民主国独立の発案者は誰か?→①陳季同(滞仏経験あり)、②陳季同と台湾士紳たちの共同参画、③清朝官僚、④丘逢甲の4説あるが、確定困難。
・士紳たちにとっては日本の領台が自分たちの利害に障りがあるので抵抗。抗日の主力となったのは、地元上層階級が組織した地域的な自衛軍。あくまでも日本の領台を阻止するために台湾士紳が在台清朝官僚を強迫して台湾民主国を樹立させたものの、その指導層に確固たる信念はなく、外国による干渉に期待をかけるばかりで、民衆的基盤も脆かった。
・台湾民主国はアジア最初の共和国。鄭成功、朱一貴(1721年の2ヶ月間)に続いて三度目の台湾の独立国。ただし、民衆的基盤が弱かったため、その後の台湾民族運動で「民主国」回復を目標とする主張は現われなかった。
・抗日運動→日本の残酷な弾圧→さらなる反抗を誘発してしまった悪循環→台湾は各地分立の状態であったが、日本を共同の敵とみなして横の連絡を取り合った→「台湾人」としての共同運命感、台湾人意識形成の起点として「台湾民主国」の意義が把握される。
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