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2010年12月 1日 (水)

ジグムント・バウマン『グローバリゼーション──人間への影響』

ジグムント・バウマン(澤田眞治・中井愛子訳)『グローバリゼーション──人間への影響』(法政大学出版局、2010年)

・原著は1998年刊行。ここのところ、バウマンの邦訳が立て続けに出ているが、どうしたわけだろう? ひょっとして意外と売れ行きがよくて、本書も過去の刊行物からピックアップされたということなのか?

・バウマンの著作には、社会学的理論分析というよりも、社会学的議論を援用しながら現代社会のあり様について大きな見取り図を描き出す社会批評という性格が強い。色々な論点が含まれていて散漫な印象も若干あるのだが、趣旨のおおまかな方向性をまとめると次のようになるだろうか。

・時間/空間の短縮、移動やコミュニケーション手段の無制約などによって(グローバル化)、全世界が均質化していくイメージも思い浮かぶ。ところが、移動できるだけの条件の備わった人々と欠如した人々との間で大きな断絶が生じ、前者は思いのままに世界を動き回る一方、後者は土地に縛り付けられる(ローカル化)、もしくは難民など不本意な形で追い立てられる。市場化の動きが全世界を席巻する一方、個々の生活世界では自律的な決定権が奪われる(すなわち自分たちの生きる意味やアイデンティティが剥ぎ取られる)。このようにグローバル化の進展が、動ける人/動けない人、自己決定できる人/できない人、といった非対称性を生み出し、世界が二分化・再階層化されていく趨勢を指摘している。

以下、いくつかメモ。
・冷戦は東西二つの陣営が厳しく対峙していたが、この対立そのものが単一の争点、単一の意味的中心を生み出して世界の全体性が了解されていた。ところが、東西分断が終わると、世界には異質な力が散在し、グローバルな合意を実現できる争点がなくなった(81~82ページ)。

・「消費社会のなかで「上層」と「下層」を画する要因は、彼らの可動性の程度、すなわち自分がどこにいるかを決める自由の有無である。」「「上層」と「下層」の人びとの違いは、前者が後者を置き去りにできることである。そして、逆はあり得ない。」「移動できる人びとは、移動できない人びとがつなぎとめられている地域の汚れや不潔さを捨てて去ってゆく。」(120~121ページ)

・「…新しいグローバルなエリートは、秩序の守護者に対して、それだけ莫大な優越性を満喫している。秩序はローカルであるが、エリートと彼らが従う自由市場の法は超ローカルである。ローカルな秩序の管理人があまりに出しゃばりで不愉快な場合には、いつでもグローバルな法に訴えかけて、ローカルな秩序の概念とローカルなゲームの規則を変更させることができる。さらに、もちろん、ある場所で問題があまりにも厄介になって快適でなくなったなら、その場所から立ち去ることもできる。エリートの「グローバル性」とは可動性を意味し、可動性とは、免れ、逃れる能力のことである。衝突が起きたとしても、ローカルな秩序の守護者が進んで見て見ぬふりをしてくれる場所につねに恵まれている。」「これらすべての要因はひとつの共通の結果に収束している。それは犯罪と(つねにローカルな)「最下層階級」の同一化、あるいは、結局同じことだが、貧困の犯罪化である。」(175~176ページ)→社会的底辺の断片化・刑務所化。社会的貧困や暴力の問題を自己責任言説によって正当化。

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