小林英夫『戦後アジアと日本企業』
小林英夫『戦後アジアと日本企業』(岩波新書、2001年)
・戦後における日本企業のアジアへの再進出プロセスをたどる。
・1950年代前半、中国・朝鮮半島情勢の悪化→南アジア貿易の比重が高い。
・1950年代後半、賠償をテコに東南アジア進出。
・1960年代、円借款をテコに韓国、台湾との経済交流深まる。
・1960年代半ばに永野重雄が「アジア太平洋経済圏」構想を提唱。
・この頃、反日暴動の一方で、対日感情改善の努力→関係好転。また、日米繊維摩擦→韓国、台湾、香港の対米繊維輸出が拡大し、工業化進展の足がかりとなる・
・1970年代、日本商社が主導して、合弁相手を探し出し、原料購入、製造したものを販売。
・1980年代、日米貿易摩擦→自動車などアメリカでの現地生産。また、円高→安い労働力を求めて東南アジアへの直接投資、生産拠点移転→日本の金融機関はこの頃からアジア展開を本格させる。日本国内産業の空洞化も同時進行。
・東南アジア域内分業を前提とする日本の企業戦略→高級品は日本国内で生産、中・低級品は現地生産。
・1997年のアジア通貨危機→「ものづくり」中心の分業体制の前提が崩れた。
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