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2010年12月26日 (日)

謝国興『台南幇──ある台湾土着企業グループの興隆』

謝国興『台南幇──ある台湾土着企業グループの興隆』(交流協会、2005年)

・統一企業グループ、萬通銀行、太子建設をはじめ、台南県北門地区にルーツを持ち郷土意識や広い縁戚関係による一体感をもとにした人的ネットワークがいかに企業活動として展開してきたか。伝統的な商業組織をルーツとしながら現代企業経営を進めたという特色を見出し、物売り段階→資本蓄積をして商業から工業へ、さらに製造業からサービス業へと多角化してきたプロセスを人的要因に注目しながらたどる。
・台南幇の第一世代は日本統治期に育った呉三連、侯雨利、呉修齊、呉尊賢など。なお、呉三連の経歴は、1899年生まれ、公学校→台北国語学校→林熊徴奨学金で東京高等商業予科→大阪毎日新聞記者→台湾に戻って台湾新民報→総督府の圧力で解任され、1940年に天津へ渡ってペンキ顔料店を共同経営→終戦にあたり、天津・北京界隈の台湾人三千人以上の帰還に尽力。この時に得た信望から国民大会代表、台北市長に当選→しかし、無党派なので国民党の目をはばかって任期満了後は再出馬せず。一族に請われて台南紡織董事長。1959年からは自立晩報の経営(台南幇が資金援助)。
・北門一帯では農業・漁業、しかしこれだけでは生活が成り立たず商売へ。侯雨利がチャレンジ精神で商機を開拓→資本蓄積→織布工場を経営。同時に地下銀行で貸付業務。高利貸しではなく合理的な貸付。当時は公的な金融制度がうまく機能していなかった。
・光復~1949年:「新和興」発展。この段階では商業を主体に資本蓄積。一族・同郷人の共同出資。業績がのびると、同郷人の子弟を受け入れ、人材育成をしながら商業グループとしての団体意識→各自が独立創業しても関係継続。統一企業が地縁を超えた業務提携も始める。
・1950年以降:経済環境の変化に応じて工業へ転身。台南紡織、坤慶紡織、環球セメントなど。
・1960年代以降:経営多角化。まず製造業へ進出、1970年代以降はサービス業へ。1987年にカルフールと提携。1992年からは食品業で中国へ投資。
・グループの中心にいた呉三連はあくまでも精神的権威であって経営政策決定上の権限なし。各関係企業メンバーそれぞれが自主的に行動。
・当初は経営と所有の重複→専門経営者の機能重視へと転換。
・国民党政権の政治優先文化の中、政商関係は必然。政権とコネクションのある呉三連を台南紡織・環球セメントの董事長につけ、大卒の外省籍人材を起用。ただし、呉三連は国民党籍を持っていなかったので影響力は限定的で、むしろ彼の社会的声望を重視。また、呉修齊、呉尊賢も入党せずに政治から距離をおく。
・マクロ経済の立場から民間企業の活力に注目していた経済部長・李国鼎が後押し→良い意味での政商協力。
・統一企業(1967年創立)の高清愿は蒋経国からの招請により、悩んだ末に入党。経営管理以外の要因で活動を邪魔されたくないという受身の立場。政商関係には適度な距離をおき、事業開拓は実力でやるしかないのでコネをつかって利権に入り込もうとはしなかった。
・人材の育成→自立創業しても師弟関係、共同経営の間断なき再生、グループの内部で連合もすれば競争もする関係。

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コメント

伯父にあたる三連さんの事をいろいろ調べていました私が幼い頃父に連れられ、大阪のロイヤルホテル、今のリーガロイヤルですね、そこで伯母さんと四人で会った事を朧げながら記憶しています。どんな人物だったのか、興味を持ち出したのは父が亡くなってからですね。十年程前に台湾に旅行した時に三連基金の方に挨拶に行きました。子息の逸民さんは日本語で対応してくれました。私の父は台湾生まれで大正十年です。父は寡黙だった為、私は台湾の事は何も聞かされていませんでした。資料は何を見て良いか分からず思い悩んでいます。何か書籍や、詳しい方かおいでであれば教えてください。

投稿: 後藤住弘 呉住弘 | 2012年5月28日 (月) 03時37分

コメントをいただきまして、ありがとうございました。
呉三連といえば戦前の民族運動から戦後の民主化運動まで言論人として著名な方だったと記憶しております。大変な方と関わりをお持ちで、興味深く感じます。

台湾現代史関連の書籍であれば呉三連の名前はちらほら出てまいりますが、彼その人を主題とした日本語の書籍は今すぐには思い浮かびません。簡単なプロフィール程度なら『台湾史小事典』(中国書店)に出ていますが、コメントをいただきましたサイトの謝国興『台南幇──ある台湾土着企業グループの興隆』(交流協会、2005年)ですと、若い頃の生活環境も見えてきて良いかもしれません。中国語でしたら『吳三連回憶錄』(呉三連基金)をはじめ、彼の著作の全集も出版されているようです。

何か分かりましたら、またご連絡したいと存じます。
取り急ぎ、お返事まで申し上げます。

投稿: トゥルバドゥール | 2012年5月28日 (月) 10時55分

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