【映画】「白いリボン」
「白いリボン」
1913年、第一次世界大戦前夜、ドイツの農村が舞台。モノクロームで映し出され、輪郭がくっきりと浮かび上がる田園風景は一幅の絵を見るように美しい。同時にこの美しさは、現実感覚を捨象して観る側に距離感を作り出し、ストーリーの中で右往左往する人々の姿に対して、あたかも歴史記録を見るかのような客観的な眼ざしを観客に強いる。
地主である男爵が権力を振るう荘園で立て続けに起こった不可解な事件、その成り行きが外からやって来た学校教師の視点を通して語られる。罠にかかって落馬、入院したドクター。何者かによってひどい目に遭わされた男爵の子供。失明寸前まで大怪我を負わされた知的障害の少年──。
同時に描かれるのは、キリスト教倫理と封建的道徳でがんじがらめにされた閉鎖的な社会、他方で垣間見えてくる大人たちの身勝手で醜い偽善。村の牧師は自分の子供たちを叱り飛ばしたとき、罰として“白いリボン”を身に付けさせた。それはすなわち“純潔”のしるしである。だが、その“純潔”がある種の凶暴性と結びついたときに表出してきたのは、大人の偽善に対する潔癖な憎悪であり、持てる者が存在する不平等に対する嫉妬であり、社会的弱者に対する排除であった。これらの攻撃性は、形骸化した倫理道徳では抑えきれないどころか、むしろ増幅させていたとすら言える。
ところが、こうした村の不安を雲散霧消させてしまう大事件が突発した。オーストリア大公フランツ・フェルディナンドがサラエボで暗殺されたという一報が入ったのである。戦争なんて起こるはずがないとみな口をそろえながらも、やがて戦争の影は人々の抱える閉塞感を打ち破る希望へと変化していく。長丁場で最初は眠気を催していたが、辛抱して観ていると、正体不明でざらついた不安感が徐々に形をなしてくプロセスが興味深い。
【データ】
監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ
ドイツ・オーストリア・フランス・イタリア/2009年/145分
(2010年12月17日、銀座テアトルシネマにて)
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