呉濁流『夜明け前の台湾 植民地からの告発』
呉濁流『夜明け前の台湾 植民地からの告発』(社会思想社、1972年)
呉濁流の名前は以前から気になっていたのだが、ようやく手に取った。本書には自伝的な小説「無花果」と、二二八事件直後の1947年6月に発表された論説「夜明け前の台湾」が収録されている。日本の植民地支配下において台湾人は法的には日本人でありつつも二流国民扱いされ、光復後は中国を祖国と思いながらもやはり二流国民扱いされてしまう。それでは自分たち台湾人は一体何なのだ? この寄るべないアイデンティティの葛藤は台湾文学史の大きな主題となるが、呉濁流の人生と作品にはそうした苦渋が明瞭に浮かび上がってくる。
呉濁流は1900年、台湾・新竹の客家の家庭に生まれた。両親は忙しく、かわいがってくれた祖父から領台当初における抗日の話を聞きながら育つ。台北師範学校を卒業、公学校の教員として教壇に立つが、もともと一本気な性格、いばりちらす日本人とあちこちで衝突して左遷が繰り返され、二十年勤め上げたあげくに辞めてしまう。すでに戦争が始まっていた。知人のつてで大陸に渡り、汪兆銘政権下の南京で新聞記者となる。ようやくやって来た憧れの祖国であるが、言葉が通じない。その上、大陸では台湾人は日本人のスパイと疑われるため出身地は隠せと忠告され、他方で日本人からも信用されないという難しい立場であった。東亜同文書院出身で日本、汪政権、重慶政権それぞれと連絡を持ち、それがばれて日本の憲兵によって殺害された彭盛木とも会っている。日本の敗戦でようやく台湾は祖国・中国に復帰できたと喜んだのも束の間、今度は大陸からやって来た外省人の横暴によって将来の希望は摘み取られてしまった。
作者にとっての問題意識はもちろん切実なものである。ただ、そればかりでなく、時代の変転に翻弄される姿を活写する筆致は大河ドラマを読むように面白い。国籍や民族に関わりなく良い人間もいれば悪い人間もいる。例えば汪兆銘政権に協力して漢奸とされた友人も出てくるが、彼には彼なりの事情がある。日本人も外省人も悪い人間ばかりではない。政治的基準で相手を裁断するのではなく、それぞれの置かれたやむを得ない事情の中で一人ひとりをみつめる視点があるので、それが語り口に奥行きを持たせ、ドラマとしての迫力も生み出している。
論説「夜明け前の台湾」は台湾の将来的建設のための提言であるが、日本語禁止への反対論も含まれている。かつて中国から日本へ多数の留学生が派遣され、日本語を通して西洋の文物を摂取しようとしていたのだから、今回の台湾返還についても日本語話者=奴隷と考えるのではなく、600万人もの留学生が一度に帰ってきたと考えればいいではないか、と指摘する。日本によって刻印された植民地性と中国アイデンティティとの矛盾をむしろ肯定的に発想を転換させようとする苦肉の努力として興味を持った。
戦時下、人目を忍んで書き溜めていたという小説『アジアの孤児』も読んでみたいのだが、入手が難しそうだ。なお、彼は台北帝国大学の工藤好美(英文学)と会ったとき、最初はいけ好かない奴だと思っていたが、彼にこの小説のさわりを読ませたところ、是非完成させなさいと勧められたというエピソードが「無花果」に記されていた。
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