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2010年11月28日 (日)

岡村道雄『旧石器遺跡「捏造事件」』

岡村道雄『旧石器遺跡「捏造事件」』(山川出版社、2010年)

 例の“ゴッドハンド”藤村新一による捏造の発覚からはや十年経つのか。一人のアマチュアによって学界もマスコミも振り回され続けた点で世界的に言ってもピルトダウン以来の一大椿事だろう。著者は藤村と一緒に調査をしたこともあり、当事者として事件を振り返る。たしか著者自身が執筆した講談社の『日本の歴史』シリーズ第一巻が発覚の直前に刊行されたばかりで、当然、捏造資料に基づく記述もあるため回収騒ぎになっていたのも覚えている。本当はグルだったのでは?と疑われ、著者自身もだいぶしんどい思いをしていたらしい。

 旧石器時代の出土物は類例がほとんどないからこそ発見が待望されていたわけで、比較対照できる別の資料に乏しいという事情はある。それでも、発覚後になって振り返ってみると、不審だった点は色々と思い出される。ということは、少なくとも技術的にはある程度までチェック可能だったはずだということだ。実際、矛盾点は色々と指摘されていたし、著者自身も不自然な箇所に疑問点を投げかけたりもしていた。しかしながら、考古学的発掘は営利ではなく善意の人間の集まりであり、さらに藤村自身の純朴なパーソナリティーもあって、捏造の可能性には思い至らなかった。そもそも藤村には捏造できるほど高度に学術的な背景も技術も欠けているため疑いようがなかった。ところが答えは簡単、現場で研究者たちが見立てを披露、それを聞いていた藤村は、研究者の望み通りに捏造をしてみせたわけである。出てきて欲しいものが出てきた。不自然な箇所があっても辻褄を合わせて解釈してしまった。ある種の共同幻想の中で捏造が繰り返されていく。

 本書はあくまでも騙された考古学者の立場からの反省であって、騙したアマチュアの側の肝心な動機にまで立ち入ることはできない。著者は藤村に会いに行くが、彼は事件後のプレッシャーによるのだろう、心身のバランスを崩し、極度の悔恨から鉈で手の指を切り落としてしまっていた。事件前後の記憶もすっかり欠落してしまっているらしい。こうした精神状態をみると彼自身から話を聞き取るのはもはや難しそうだ。彼の話の作り方からは、どうも自身を相沢忠弘になぞらえようとしている素振りも窺える。動機は仲間から認められたい、もっと目立ちたいという功名心なのだろうか?

 私は捏造発覚のニュースを聞いたとき、学生のとき受けた考古学の授業の先生が是非読んで欲しい本の一冊として松本清張『ある「小倉日記」伝』を挙げていたことを何となく思い出していた。報われないかもしれない、無駄になるかもしれない、だが捨て石になってでも努力し続けることができるかどうか、そこが学問には大切だというメッセージだった。しかし、その孤独さに耐えていくのはなかなかしんどいことだ。目立つ、という味を知ってしまったらもう引き返すことはできないだろう。彼は点数稼ぎのように発掘していただけで学問の何たるかを知らなったから抑制がきかなかったのだ、と言ってしまうのは簡単だ。しかし、彼がアマチュアとしてコンプレックスを抱いていたであろうことを想像すると、功名心にはやるのはありうることだ。このあたりの機微が分からないだけにもどかしい。

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