中村綾乃『東京のハーケンクロイツ──東アジアに生きたドイツ人の軌跡』
中村綾乃『東京のハーケンクロイツ──東アジアに生きたドイツ人の軌跡』(白水社、2010年)
1945年5月、ドイツ第三帝国はすでに崩壊したにもかかわらず、東京のドイツ大使館では自殺したヒトラーの追悼式が行なわれていた。これにはいったいどのような背景があるのかという疑問を出発点として、本書は主に日本と中国におけるドイツ人社会の歴史をたどり直していく。
1850年代にハンザ同盟のドイツ人が東アジアにやって来て以降、不平等条約によってドイツ人の居留地や租界といった現地社会から隔絶した空間が設定され、文化活動の共有により「ドイツ人らしさ」の維持が追求された。これが後に人種主義を掲げるナチズム浸透の前提となる。ただし、東アジア在住のドイツ人では商人、学者、外交官といった一定の社会的身分を持つ人々が中心で、社会的・経済的不満を原動力の一つとしたナチズムへの共鳴が必ずしも強かったわけではない。また、ワルシャワでユダヤ人虐殺に辣腕を振るったヨーゼフ・マイジンガーがゾルゲ監視を目的として1941年に着任(ただし、マイジンガーは日本の特高に先を越されて面目丸つぶれだったらしい)、反ナチ的言動の取り締まりを強めたが、こればかりが理由とも言えない。むしろ、仕事関係の打算、近所付き合い、学校行事などの日常生活を通してナチズムが浸透していったこと側面の方が大きかったのだという。ドイツ本国におけるような熱狂に巻き込まれたわけではないにもかかわらず成立した「異郷のナチズム」がはらむある種の冷静さを浮き彫りにすることによって、かえってその問題の根深さが指摘される。
「異郷のナチズム」という論点は意外と盲点だったので興味深く読んだ。東京のヒトラー追悼式でドイツ大使シュターマーがヒトラー礼讃をしていたのと同時期、天津ではフリッツ・ヴィーデマン総領事が逆にナチス批判の演説をしていたエピソードが比較されており関心を持ったのだが、両者の対照が全体的論旨にうまく活かされていないという印象がある。私の読解力不足かな。
なお、中国にいたナチの残党は、戦後、小者はすぐ本国へ送還された一方で、大物はコネを使って国民党系高官のもとに顧問としてもぐりこみ匿われたらしい。例えば、閻錫山など。
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