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2010年11月 3日 (水)

松方冬子『オランダ風説書──「鎖国」日本に語られた「世界」』

松方冬子『オランダ風説書──「鎖国」日本に語られた「世界」』(中公新書、2010年)

 「鎖国」政策をとっていた江戸時代の日本にとって東アジアよりもさらに広い世界情勢をうかがう覗き穴の役割を果たしていたオランダ風説書。1641年以降、200年以上にわたって国際情勢を定期的に報じ続けたメディアという点では世界史的にも珍しいものだろう。

 本書ではオランダ風説書が三段階に分けて検討される。「通常の」風説書は、まず長崎の通詞とオランダ商館長とがまとめるべき内容を相談し、下書き、加除修正、清書した上で幕府へと送付された。相談しながら情報を取捨選択していたのでこの際には原本などはなかった。ところが、アヘン戦争など東アジア情勢の激変を受けてバラフィアのオランダ政庁は対日貿易方針を見直し、商館長の裁量には任せず正確な情報を日本側に伝えようと考えた。政庁側で作成された時事ニュース的な書類が長崎に送付され、これを通詞が翻訳(別段風説書)。見慣れぬ用語がたくさん出てきたので翻訳は難航したらしい。1858年の和親条約締結を機に別段風説書の送付は中止されたが、それでも情報を欲しがる幕府のため、最後の風説書は長崎商館が新聞などを基に独自に作成、これが第三類型とされる。

 オランダ側には貿易独占のためポルトガル、イギリスなど競争相手の動向を「告げ口」しようという思惑があり、他方で幕府側には当初はカトリック宣教師の密入国阻止、さらには国際情勢の知識入手自体にオランダとの交易の利点を見出し、双方の思惑の一致したところで風説書は継続されていた。第一に、幕府の「鎖国」政策における「仮想敵」がカトリックから次第に「西洋近代」へと移行したことで日本の防備の弱さを幕府自身が認識するようになっていたこと、第二に、長崎という都市と通詞の存在が幕府と外の世界とを結ぶ緩衝材的な役割を果たしていたこと、以上の様子がうかがえるのが興味深い。

 なお、江戸幕府の対外政策については最近、ロナルド・トビ『「鎖国」という外交』(全集日本の歴史第9巻、小学館、2008年)、大石学『江戸の外交戦略』(角川選書、2009年)を読み、いずれも興味深かった(→こちら)。

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