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2010年11月 7日 (日)

青木健『ゾロアスター教』『アーリア人』

青木健『ゾロアスター教』(講談社選書メチエ、2008年)

 ゾロアスターという名前を見ると、私などはまずニーチェのツァラトゥストラやモーツァルト「魔笛」のザラストロなどヨーロッパでの脚色を経た神秘的イメージを思い浮かべたり、もしくは西域伝来の祆教にエキゾチックな興味をかき立てられたりしていた。対して本書は、古代アーリア人の信仰観念の中から現れた土俗性の強い宗教としてのゾロアスター教の興亡を描き出し、あわせて後世に伝説化されたゾロアスター像の虚実も検討される。また、古代アーリア人の宗教としての原始ゾロアスター教の置かれた歴史的脈絡を相対化するため、同様の派生形としてイラン高原におけるミスラ教、太陽崇拝、アルメニア人の宗教(エチミアジンのキリスト教教会の地下にはキリスト教によって抹殺された「異教の女神」の神殿が埋まっているらしい)、クルド人のヤズィード教なども取り上げられる。

 多神教信仰と階級制度を特徴とする古代アーリア人社会に生まれた神官ザラスシュトラ・スピターマは独創的な宗教改革を行い、従来の神々とは全く異なるアフラ・マズダーという神格を創案、「この世は善と悪の闘争の舞台であり、人間存在は善の戦士である。世界の終末には救世主が現れて、必ずや善が勝利するであろう」という二元論的な宗教観念を提示した。何が「善」であるのかについては土俗的な先験性に基づくため現代の我々には了解しがたいところも多いが、少なくとも善悪の弁別=理性的な倫理宗教がこの時点で世界史上初めて成立、終末論思想や救世主思想など後代に及ぼした影響も大きい。

 イランもイスラーム化した後、ヘルメス思想やプラトン哲学の影響も受けたイスラーム神秘思想家たちが「光の叡智を唱える神秘的なザラスシュトラ」像を作り上げて敬意を払い、これを当のゾロアスター教徒自身も信じ込んで教祖像に神秘的なオーラがかかってしまった。これがルネサンス以降のヨーロッパに流布したという経緯があるらしい。古代アーリア宗教のイスラームに対する影響としては、聖典朗誦への愛着(古代アーリア人にとって聖典は聖呪から発展したものなので、不断に朗誦することで効果を期待)、歯磨きが好き、緑色が好きといった点があげられている。

青木健『アーリア人』(講談社選書メチエ、2010年)

 アーリア人という言葉を耳にすると、ナチズムをはじめ二十世紀における人種主義イデオロギーとの結びつきを連想してしまうし、著者自身もそれを危惧したらしいが、もちろんそういう趣旨の本ではない。十八世紀以降、インド・ヨーロッパ語族の共通性を明らかにした比較言語学の進展は学術的には正当なものであるが、それは政治的意味づけとは次元の異なる問題である。本書は、古代オリエント文明からイスラーム時代時代の間にあってユーラシア大陸を舞台に壮大な民族移動を繰り広げたイラン系アーリア人の動向をトータルに俯瞰、整理してくれる。

 文字資料を遺さなかった遊牧民については主要文明の文献に散見されるわずかな記述や考古学的知見から間接的に推測するしかないし、また文字資料を遺した定住民についても様々な困難がある。同一系統の言語のバリエーションで表記されてはいるが、それぞれの方言ごとに異なった文字を用い、しかもそれらはアーリア系言語にフィットしていないため解読作業自体に難渋する(例えば、古代ペルシア人は楔形文字、パルティア人はアラム系文字、バクトリア人はギリシア文字、中世ペルシア人・ソグド人・ホラズム人はそれぞれアラム語起源のパフラヴィー文字、ソグド文字、ホラズム文字、ホータン・サカ人はインド系のブラーフミー文字を用いた)。それだけ様々な語学知識や各分野の方法論を知悉していなければ研究は進まない。史料的制約といい、民族移動の複雑さといい、彼らの足跡をたどる作業はピースのかけたパズルのように困難極まりないが、それだけ研究者の知的好奇心をかき立てるのだろう。

 上掲『ゾロアスター教』にしてもそうだが、両著とも高度に専門的な内容でありつつも叙述はよくかみくだかれている。著者はかなりできる人のようだ。

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