渡辺靖『アフター・アメリカ──ボストニアンの軌跡と〈文化の政治学〉』『アメリカン・コミュニティ──国家と個人が交差する場所』『アメリカン・センター──アメリカの国際文化戦略』
渡辺靖『アフター・アメリカ──ボストニアンの軌跡と〈文化の政治学〉』(慶應義塾大学出版会、2004年)は、アメリカ・ボストンにおける二つの社会階層、具体的にはアングロ・サクソン、プロテスタントで構成される中上流階層のいわゆるボストン・ブラーミン(カースト最上層のバラモン)と、カトリック中心の中下流階層のボストン・アイリッシュ、それぞれの人々にインタビュー、彼らの人間関係やセルフ・イメージを聞き取りながら、現代アメリカ社会の一側面を垣間見ていく文化人類学的な民族誌である。彼らは歴史・伝統・慣習などを意識している一方で、現代社会の複雑な変化をいかに内面化しながら日々の社会的現実を構成しているのかが描き出される。調査を進めながら、人間は社会構造に規定された存在である一方、それぞれの個人によって多様な日々の生活実践の中で構造的要因も能動的に変容され得る様子を汲み取ることで、客体主義・主体主義のいずれにも陥らない「ひざまずかない解釈主義」という研究方法上の含意も引き出される。
同『アメリカン・コミュニティ──国家と個人が交差する場所』(新潮社、2007年)は、アメリカの九つの都市(中にはゲーティド・コミュニティ、メガチャーチ、刑務所の町、東サモアなども含まれる)を訪れながらアメリカ社会の多面的な姿をうかがう。アメリカ社会にけるコミュニティの維持・生成・再生という側面をどのように見ていくかという問題意識が示される。多様な価値観がアメリカの特徴ではあるが、そこに通底する資本主義・市場主義の論理と何らかの形で向き合っているという点では共通するようだ。
同『アメリカン・センター──アメリカの国際文化戦略』(岩波書店、2008年)は、アメリカのパブリック・ディプロマシーを検討、具体例として対日関係が多くを占めるため、パブリック・ディプロマシーという観点から見た日米関係史としても興味深い。パブリック・ディプロマシーとは、広報活動、文化活動、心理作戦、思想戦、世論外交、開かれた外交等々、場面に応じて様々な意味を持ち得る幅広い概念であるが、国家間の伝統的外交や市民同士の民間交流とは異なり、政府が相手国の民間レベルへ働きかけることを通して何らかの政策目標の実現を図る活動と言えるだろうか。単なるプロパガンダではかえって相手国との距離を広げて結果として外交が失敗しかねないわけで、相互理解を通して政策の説得力を強めるところに重点が置かれる。
なお、上掲書のいずれもロバート・パットナムのソーシャル・キャピタルとジョゼフ・ナイのソフト・パワーに言及、社会科学で数理モデル中心の合理的選択理論が隆盛するなか、こういった計量化の難しい概念を言語化して社会科学的議論のプラットフォームにのせた点で共通していると指摘されていたことをメモしておく。
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