川田稔『満州事変と政党政治──軍部と政党の激闘』
川田稔『満州事変と政党政治──軍部と政党の激闘』(講談社選書メチエ、2010年)
昭和初期、民政党・政友会を軸とした政党政治は1931年の満州事変を契機として崩壊し始める。ただし、従来は現地関東軍の独走になす術もなく引きずられてしまったと捉えられてきたが、突発的な出来事で吹き飛んでしまうほど戦前期日本の政党政治はやわなものでもなかった。当時の政党政治体制は内政・外交ともに一定の安定性を持っており、それを突き崩すにはやはり明確な構想と準備があったはずだという。本書はこうした観点から、当時の民政党政権と対抗勢力としての陸軍中堅幕僚たち一夕会、二つの国家構想を持つ勢力の対立抗争として政党政治崩壊に至る過程を描き出す。
具体的には対外認識を取り上げると、民政党の浜口雄幸、若槻礼次郎、幣原喜重郎のラインは、国際連盟・不戦条約などの多重多層的条約網によって戦争抑止は可能であるという立場を取っていた。対して陸軍一夕会の中心人物・永田鉄山は、国際連盟の理念は認めるものの実行手段が欠如していることを問題視、いずれ戦争は不可避であり、国家総動員、資源確保のための大陸進出の必要を想定していた。なお、両者の対比については、川田稔『浜口雄幸と永田鉄山』(講談社選書メチエ、2009年)も参照のこと(→こちらで取り上げた)。
両者が繰り広げた政治的駆け引きの描写が本書の読みどころであるが、民政党側が必ずしも負け続けていたわけではない。林銑十郎朝鮮軍司令官による独断越境を若槻首相は容認はしたが、もしこれを拒否したら陸相辞任、ひいては生じるであろう政治混乱の回避を意図しており、陸軍上層部の協力を取り付けた上で関東軍を押さえ込む腹づもりがあったらしい。実際、関東軍が強行しようとした錦州への派兵は阻止できた。ところが、協力内閣運動を大義名分とした党内の安達謙蔵内相の倒閣によって総辞職、かろうじて保たれていた両者の危ういバランスが崩れた。続く政友会犬養毅首相も暗殺されて、政党政治は終焉を迎えることになる。
昭和初期政治史において永田鉄山はキーパーソンの一人であるが、彼を中心に据えたアカデミックな研究は意外と見当たらない。その点でも著者による上掲二書は興味深い。
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