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2010年11月16日 (火)

斎藤環『戦闘美少女の精神分析』、ササキバラ・ゴウ『〈美少女〉の現代史──「萌え」とキャラクター』、本田透『萌える男』

 斎藤環『戦闘美少女の精神分析』(ちくま文庫、2006年)は、マンガ・アニメの中の戦闘美少女の系譜をたどりながら(海外ものとの比較では強いアマゾネス型が中心で、日本のようなかわいいヒロインはいないことを指摘)、多重見当識という精神分析上のタームをもとに分析。「現実」という担保を必要としない虚構を作り出す→自律的な欲望のエコノミーが成立。その中で、多形倒錯的なセクシュアリティを安定的に潜在させたイコンとして戦闘美少女を捉える。本論よりも、自律的な虚構世界の中に生きた実例として引き合いに出されるヘンリー・ダーガーという人が興味深い。

 ササキバラ・ゴウ『〈美少女〉の現代史──「萌え」とキャラクター』(講談社現代新書、2004年)は1970年代以降、主にマンガ・アニメにおいて美少女キャラクターが担った意味合いの変遷を概観。キャラクターとは「見られる存在」→視点の物象化として把握。それは同時に、「見る」自分自身を確認する作用を持つ。スポコンものでも恋愛ものでも「~のため」という根拠が失われつつある中で、特権的な「私」の立場を強める→「彼女の内面」をいくらでもフィクションとして作り上げられる、こうした形で美少女キャラクターが生成していることを指摘。

 本田透『萌える男』(ちくま新書、2005年)は、目的・動機→充足という功利的な循環関係で成り立つ消費活動の中に「恋愛」もまた組み込まれた恋愛資本主義に対して、「萌え」はいまだに生き残っている純愛観念であると指摘。従って、「萌え」の世界は単なる現実逃避ではなく、「救い」を求める共同幻想であるという。こうした観点からオタク文化を分析する。

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