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2010年11月14日 (日)

矢野暢『東南アジア世界の論理』『東南アジア世界の構図──政治的生態史観の立場から』『冷戦と東南アジア』他

矢野暢『東南アジア世界の論理』(中公叢書、1980年)
・1973~79年にかけて執筆された論文をまとめたもの。欧米発の普遍主義志向の視座では東南アジアの生の姿を捉えきれない、社会科学理論そのものがはらむ存在拘束性への反省という問題意識が中心を占める。
・東南アジア社会を理解するために「小型家産制国家」という概念を提起:「河川の支配を権力の基盤とし、領域支配の観念と実践に乏しく、分節的でルースな社会の上に成立する、ヒンズーの王権思想に拠る小規模な家産制的権力」→進歩や発展の内発的契機に乏しい。首都だけ肥大発達。発展の恩恵は首都の権力者だけ→伝統的特性は改革されず、制度化の非土着性。
・欧米の発展理論に対して、近代化の「逆シナリオ」を指摘。近代的制度の不適応→先祖がえりしてしまう。東南アジア社会は風土に根ざした独自の政治的・社会的内在ロジックを持っており、ここに近代化という外発的ロジックを無理に導入しようとすると様々な混乱が起こり得る、これをどのように考えるのかという問題提起。国民国家形成のナショナリズム→首都在住の権力者の近代主義的願望にすぎず、かえって抑圧政治になり得る。
・「文化的共鳴」の理論:外から導入された観念に対して、それぞれの文化的風土の中で自立的な解釈。共鳴し得ない価値は何か?→「近代」。
・ジャカルタの反日暴動(1974年)をじかに目撃→日本人の海外における「行動の自由」の条件という論考。
・南洋に出た日本人の「篤民」の具体例として堤林数衛。生真面目なパーソナリティー、日本人の「使命」としての「南進」。
・近代日本における外務省外交は欧米主導の国際関係を前提→ここからこぼれおちた局面で民間外交(アジア主義者など)が先行、外務省外交は引きずられてしまった。

矢野暢『東南アジア世界の構図──政治的生態史観の立場から』(NHKブックス、1984年)
・自然環境への適応として形成されてきた社会集団→それぞれに個性的な組織原理を持った社会生態空間→これがまとまって政治的意味を持った政治的生態空間が形成される、こうした空間の重層的関係への視座を軸として東南アジアをトータルに把握する試み。
・社会科学的分析では当然視されている「家族」「村落」「国家」「民族」などの単位概念すら十分に吟味されていないにもかかわらず、外からの概念的モノサシで分析はできないという問題意識が背景にある。
・双系制度(父系・母系ともに対等)→系譜中心ではなく、エゴ(文化人類学的な親族構造分析における自己)を中心とした親族構造イメージ、二人間関係。
・「国家」概念の難しさ→六つの類型を提起:①「タッタデサ」型国家(大陸平原部、水利灌漑→権力強大)、②「海域支配拠点」型国家(島嶼部)、③「クラジャアン」型国家(島嶼部の河川域)、④「受認知」型国家(大国家から称号等付与)、⑤「ムアン」型国家(大陸山間部、用水管理→タイトな共同体)、⑥「クルン」型国家(大陸河川部)。「近代国家」の人工性の指摘(ex.ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』)。
・「意味空間」の把握→残欠補修、文化的共鳴→外からの文化は、類似の文化を正当化し、活性させながら、それもどきのものと作りあげる、「掘り起こし」現象。
・東南アジア史の構造。

矢野暢『冷戦と東南アジア』(中公叢書、1986年)
・「東南アジア」という概念の定着は、日本軍の占領という統一的体験、米英軍の東南アジア司令部の設置を契機としており、こうした共通項のあり方そのものに当初からの軍事的・政治的性格がうかがえる。さらに冷戦過程と国際体系としての「東南アジア」という秩序概念の形成過程が合致。この冷戦の〈場〉となった東南アジアの特質や内在的論理を把握する必要があり、その考察上の視座については上掲二書の議論が踏まえられている。
・東南アジアの共産主義をめぐる政治力学→民族主義運動を通じての独立主権国家の確立と国家発展、国家の一元的支配体制の確立、世界秩序の中での座標軸、これらの現実的課題にどのように向き合ったかに応じて発展の方向性が決まった。東南アジア側の複雑な政治力学の読み違え、認識枠組みの問題→アメリカの過剰介入へとつながる。「異人関係の政治学」。
・冷戦の「従属体系」として見るのではなく、地域主義の台頭に目を向ける必要。
・タイにおける「親米」の論理:ピブーンは大国密着主義(かつては日本、その後はアメリカ)→サリットは国家の政治的伝統に基づいて外交的判断。
・冷戦の知識社会学:東南アジアは多様な世界で内在的統合原理に乏しい→「地域」概念の非現実性。学問の政治化。認識枠組みは没価値的ではあり得ない問題。

 東南アジアについて考える上では、その前提としてそもそも日本人自身が歴史的にどのような関わり方をしてきたのかを抑えておく必要がある。矢野暢『「南進」の系譜』(中公新書、1975年)、『日本の南洋史観』(中公新書、1979年)は明治・大正期から第二次世界大戦に至るまで唱えられた「南進論」を思想史的に検討、近代日本の対外認識の一端を浮き彫りにする。同時に、国家という次元とは異なる形で南洋各地に散らばり、歴史の中に埋もれてしまった「無告の民」の姿を何とか掘り起こそうとする生き生きとした筆致はいま読んでも興味深い。最近、この二冊を合わせて矢野暢『「南進」の系譜 日本の南洋史観』(千倉書房、2009年)として復刻された。

 なお、よく知られているとは思うが、矢野暢はアウン・サン・スーチーさんが京大に留学していたときの恩師。

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