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2010年11月 3日 (水)

田代和生『書き替えられた国書──徳川・朝鮮外交の舞台裏』

田代和生『書き替えられた国書──徳川・朝鮮外交の舞台裏』(中公新書、1983年)

 文禄・慶長の役の後、関係修復が図られても日本・朝鮮双方の主張が食い違う中、仲介をした対馬の宗氏が国書の問題となりそうな箇所を改竄して交渉を継続、以後、この方式が定着したことはよく知られている。

 ところが、宗氏の当主義成と不和であった家臣柳川調興が国書改竄・偽造の事実を幕閣に暴露、宗氏内部の御家騒動が外交問題にまで発展してしまった。柳川氏は宗氏の家臣であると同時に、対朝鮮外交で示した手腕が評価されて幕府からも領地を拝領するという特殊な立場にあり、直参旗本になるため宗氏に対してたびたび領地返還を願い出ていた。ここには、幕府直参として対朝鮮外交を一手に行ないたいという柳川調興の野心があったのだが、幕府は柳川ではなく宗氏の方を選んで事件を落着させる。当時、朝鮮は宗氏を「朝貢国」になぞらえた外交儀礼を行なっており、宗氏もこれを受け入れることで特権的な立場を保持していた。言い換えると、小中華意識を持つ朝鮮と日本、双方の間でワンクッションおく結節点に対馬の宗氏が立つことで日朝間の外交が成立しているという事情を幕府は重視したのである。御家騒動をめぐる人物群像のやり取りを活写、そこから当時における東アジア国際秩序の一端が垣間見えてくる。27年前に出た本だが、いま読んでも面白い名著である。

 松方冬子『オランダ風説書』を読み、長崎通詞が情報の取捨選択という形で幕府と外国との異なるロジックのトランスレーターをしていたことから、そういえば日本と朝鮮との間でも対馬の宗氏が似たようなことをしていたなと思い返し、手に取った次第。

 田代和生『倭館──鎖国時代の日本人町』(文春新書、2002年)は江戸期日本の対朝鮮外交の最前線となっていた釜山の倭館の日常を詳細に描写している。例えば、食文化交流史などの点でも面白い。本草学に関心を持った徳川吉宗の命令で朝鮮半島の動植物を調べに行ったことなどは初めて知った。

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