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2010年11月24日 (水)

NHK「無縁社会プロジェクト」取材班『無縁社会──“無縁死”三万二千人の衝撃』

NHK「無縁社会プロジェクト」取材班『無縁社会──“無縁死”三万二千人の衝撃』(文藝春秋、2010年)

 以前、NHKの番組で放送された内容を取材した記者たちが改めて文章化している。「無縁社会」というキーワードはこの取材班の会話の中から生まれたという。孤独な中で人知れず死んでいった人それぞれの思いをたどる取材は、それこそ弔いの気持ちをかみしめながらのものだったらしい。読みながら、身につまされてくる。

 故郷とは縁がなくなって東京での一人暮らし。仕事の失敗や会社からの退職などのきっかけで横のつながりを失った人々。自力でやっていければそれでもいいかもしれない。しかし、何らかの失敗を受け止める横の人間関係がないとき、それはそのまま生活難へと転落してしま、生活難は家族離散をも招き、悪循環に陥ってしまう(湯浅誠の表現を使うなら“すべり台”)。

 いずれにせよ難しいと思うのは、家族のつながりや近所の顔見知りといった人間関係はいわばスポンテイニアスなもの、従来なら社会制度の所与の前提とされていたものであって、人為的な努力で再構築できるのかどうか見通しがなかなか立たないことだ。一人ひとりそれぞれに抱えている事情が異なるので一般化はできないが、生活の利便性向上によって他人にわずらわされることのない一人暮らしへの選好が強まる一方で、わずらわしさと引き換えに得られていた相互承認や相互扶助も薄れていく、そうした問題も垣間見える。しかしながら、社会生活を送っていく上で横の人間関係が重要なのは当然のことで、このつながりの希薄化が社会に及ぼす影響の懸念からアメリカの政治学者ロバート・パットナムはソーシャル・キャピタルという社会科学上の概念を通して問題提起している。あるいは、湯浅誠の表現で言う“溜め”の問題にもつながってくるかもしれない。最近再びもてはやされているピーター・ドラッカーにしても、資本主義のロジックを踏まえつつ、一人ひとりの個性活用という形で協同の人間関係が成立する場として企業組織を捉えており、その成功例として戦後の日本型企業システムを考えるなら、企業業績向上が人間関係維持の前提条件であり、その条件が消えるとリストラという形で社縁の解体につながっている、つまり経済成長の終わりが人間関係を崩したという問題も見ることができる。

 最初、NHKスペシャルでこの番組を観たとき、若き日の沢木耕太郎のノンフィクション『人の砂漠』所収の「おばあちゃんが死んだ」を思い浮かべていた。孤独死は今に始まった問題ではない。ただ、高度経済成長の前向き志向の雰囲気の中で覆い隠されていたに過ぎない。こうした類いの隠蔽については、例えば貧困等の問題を通して岩田正美『現代の貧困』(ちくま新書)で指摘されている。“無縁社会”を他人事ではないと感じる人が増えていることは、経済成長が終わってそれだけ社会全体の雰囲気が決定的に変わっていると見ることができるのだろう。

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