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2010年10月12日 (火)

【映画】「ヘヴンズ・ストーリー」

「ヘヴンズ・ストーリー」

 家族を殺されて祖父に引き取られた少女サト(寉岡萌希)。犯人は自殺してしまったが、そのことを知ったのと同じニュース番組で、やはり妻子を殺された男性トモキ(長谷川朝晴)が「犯人を殺してやる」と記者会見で明言するのを見て憧れを抱く。一方、トモキの妻子を殺した少年(忍成修吾)に手紙を送る若年性アルツハイマーの女性(山崎ハコ)。少年は出所後、働きながらその女性の介護を続けている。ある日、少年が社会に出てきていることを知ったサトは、新しい家庭を築きつつあるトモキに会いに行き、殺された家族のことを忘れたのかと迫る。さらに復讐代行の裏仕事をしている警官(村上淳)のエピソードも絡まり、様々な人間模様が重層的に関わり合いながらそれぞれの復讐と再生への葛藤が描き出されていく。

 都市、住宅街、海辺、閉山した炭鉱跡、ヴァラエティーに富んだ風景が、四季の移ろいと共にそれぞれ異なった表情を見せる。とりわけ、登場人物たちが暮らす団地と、炭鉱跡にある廃墟となった建物との対比が非常に印象的だ。廃墟はまるで団地の将来を示すかのようだ。地平線も見えるような大きな視野の中で両方が続けて映し出され、その広がりの中で人が追いかけ、追われている姿を見ているうちに、ふと「諸行無常」などという言葉も脳裡によぎった。

 殺した者の葛藤、殺された側の遺族の無念。復讐したくても相手が自殺してしまったために怒りをぶつける対象のない少女、復讐は新しく築いた家庭を崩すことになってしまう男。人を殺すとはどういうことか、人が死ぬとはどういうことか、素朴だが根源的な問いかけ。答えはもちろん分かるはずもないが、そうした思いをぶちまけたり、問いかけたりという一切も含めて、この移ろい行く世界の中に置いてみると、はかないものにも見えてくる。

 少年の「殺した理由は分からない、ただ何か大きなすごい力に突き動かされて──」という発言が私の耳元にこだましている。人間存在が本来的に抱える「分からなさ」は過去においても現在においても根本的には変わらない。ただ、昔はコンベンショナルなロジックが用意されていて、何かあればそこに押し込めてしまえば「理由が分かった」かのように処理することができた。これに対して、そうした共有ロジックが失われて「理由が分かったつもりになれる」コードにのらない状況、俗に言う「理由なき殺人」というのもそうした類いのものであろう。それは同時に、他人だけでなく他ならぬ自分自身をも納得させる言葉が見つからないというもがきでもあり、それだけ矛盾や葛藤はなお一層のことむきだしとなる。「諸行無常」と上に言ったのも、それは虚無ということを言いたいのではない。殺すことの是非といった価値意識をすべて剥ぎ取ったところにおいて、自分の意志ではどうにもならない宿業的なものに絡め取られてもがき続けざるを得ない人々の姿。いやでも何でもそこに人生の彩りが垣間見えると言うしかないのか、そんな思いをかみしめた。

 群像劇は散漫な印象を与えるかもしれないが、一人ひとりがバラバラにもがいているようでいて、見えないレベルで凄みをはらんだ大きなうねりが浮かび上がってくる。そこがこの映画の持つ迫力である。こうした印象は、無限にも続きそうな人間模様の連鎖、それらを包み込む季節の移ろいを感じさせる映像の中でよりいっそう強められてきた。雪化粧の廃墟のシーン、それから少年との決闘で倒れたトモキの眼前、日の光が強まって夏のセミの声が聞こえてくる瞬間など印象的だ。四時間半の長丁場だが、これでもまだまだ描き足りなかったことだろう。

【データ】
監督:瀬々敬久
脚本:佐藤有記
2010年/278分
(2010年10月11日、渋谷、ユーロスペースにて)

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