立川京一『第二次世界大戦とフランス領インドシナ──「日仏協力」の研究』
立川京一『第二次世界大戦とフランス領インドシナ──「日仏協力」の研究』(彩流社、2000年)
・日本軍による仏印進駐以降、第二次世界大戦における日仏関係を国際関係論の枠組みで分析した研究。「進駐」という表現を使うと日本軍の一方的な政治事象のように思われかねないが、進駐されたフランス側にも独自の論理があった。つまり、植民地におけるフランス(ヴィシー政権)の主権維持という国益にはかなっていたところに「日仏協力」という双方の思惑の一致が見出される。
・仏印での援蒋ルートに対する日本の抗議→日本を刺激するのを避けつつ輸送は続けるという二律背反の態度→アメリカの関与を期待していたが、その前に日本の南進を招いてしまった。
・フランス本国の対独休戦:ヒトラー主導のヨーロッパ新秩序の中でもドイツについで二番目のポジションを占めたい→そのためには植民地とフランス艦隊の温存が必要。
・仏印に対する二つの心配:イギリスにとられてしまうのではないか? ド・ゴールの「自由フランス」側に寝返るのではないか? ド・ゴール派のカトルー総督を更迭、ダルラン提督の命令に忠実なドクー極東艦隊司令長官を任命。
・仏印経済のモノカルチュア的脆弱性。厭戦気分。仏印駐留軍と日本軍との圧倒的な戦力差→カトルー総督のときからすでに対日譲歩の姿勢を示していた。
・1940年8月30日「松岡(洋右)・アンリー(駐日大使)協定」→仏印の「静謐保持」→仏印は「大東亜共栄圏」の中に取り込まれたが、フランスの主権維持を約束したため「アジア解放」の大義名分と矛盾→「静謐保持」を望む軍部(兵站確保、不慣れな土地ではフランスの植民地統治機構を利用)と「安南独立」志向の外務省・大東亜省、さらには松岡外交と重光葵(1943年に外相就任)の「大東亜新政策」(戦争目的に「アジア解放」)との対立へつながる。
・1940年9月の北部仏印進駐から太平洋戦争開戦に至るまで日仏は複数の軍事協定を結び、仏印における「共同防衛」体制を形成。ただし、仏側は後方支援のみでそれ以上の積極性はなし。それから、経済協力(ただし、仏側の非協力による停滞もあり)。
・タイと仏印との領土紛争で日本はタイ側に肩入れして調停。それでも立場の弱い仏印は日本の調停案に従わざるを得ず。
・1944年8月のパリ解放、ヴィシー政権消滅後もドクー総督は留任。日本の敗色濃厚→日本側は仏印の寝返りをおそれて軍部が「仏印武力処理」を決意(1945年3月9日)。
・フランスの対独協力と対日協力を比較:前者は敗戦による負担の中で状況改善が目的、軍事・経済のほか政治・行政など全般にわたって協力、労働力の提供、ユダヤ人狩りに協力→フランスにもナチスに積極的に共鳴した人々がいた。対して後者では、現状維持が目的で、軍事・経済のみの協力、日本側に共鳴したフランス人はいない。
・ニュー・カレドニア奪還、マダガスカル防衛→ヴィシー政権のダルラン、ラヴァルは日本との協力を期待。ただし、ミッドウェー海戦敗北でニュー・カレドニア奪還は無理、マダガスカルは遠すぎた。広州湾進駐はフランスの主権を認めるという条件、他方で仏印当局は汪兆銘政権を承認せず。
・日仏協力のバランスシート:日本側にとっては経済面では不十分だったが、軍事面では仏印を十分に活用できた。フランス側にとっては、仏印処理で一時的な空白はあったものの、すぐに日本敗戦→主権を基本的に維持できた点でプラスだった。ドクー総督についても、対独協力した他のヴィシー政権高官に比べたら肯定的評価をする見解もフランスにはある。
・「アジア解放」という大義名分を掲げつつも日仏共同統治という形で例外扱い→現地の親日的な独立運動家たちに対して裏切り。
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