モニカ・ナレパ『スケルトンズ・イン・ザ・クローゼット:ヨーロッパ・ポスト共産主義体制における移行期の正義』
Monika Nalepa, Skeletons in the Closet: Transitional Justice in Post-Communist Europe, Cambridge University Press, 2010
Skeletons in the Closetとは、後ろめたくて誰にも知られたくない秘密、という意味になるだろうか。本書で具体的に言うと、東欧の共産主義体制において反体制派として活動していながらも実は情報提供など何らかの形で体制側と関わりを持っていた過去が記された秘密警察の文書を指す。実際、反体制活動家として高名な人物の相当数にそうした過去があったと言われている。タイトルを意訳するなら「秘密のファイル」としたいところだ。ジャーナリズムならばそれを暴露してセンセーショナルに書き立てたいところだろう。対して本書の意図は、この「秘密のファイル」の存在が体制移行にもたらした影響を政治学的に分析するところにある。
一連の東欧革命ではルーマニアを除いて基本的には流血の事態を回避することが出来た。その際、なぜ共産主義政権は過去の清算(lustration)という移行期の正義(transitional justice)を恐れなかったのか? そして新たに政権の座につくことになる反体制派は移行期の正義に関わる立法をなぜ遅らせたのか?という問いを本書はまず示す。ここで、「誘拐犯のジレンマ」というモデルが示される。誘拐犯は身代金を受け取って人質を解放しても、人質に面が割れているのだから逮捕されてしまうリスクが残るので、解放後も人質に口を割らせない何らかの手段が必要となる。答えのカギがSkeletons in the Closetにあった。反体制派指導者に関する「秘密のファイル」の存在、つまり「お前の弱みを握っているぞ」というメッセージをちらつかせることにより、円卓会議の協議で体制派・反体制派双方の妥協が可能になった。従って、内戦リスクを抑え、対立状況におけるパワー・シェアリングという形で平和的な体制移行が可能になったのだと本書は捉える。また、ポスト共産主義体制でさらに世代交代が進む際、この「秘密のファイル」の存在は、新しい世代(つまり、共産主義体制下の時代にはまだ若くて情報提供等を迫られるほどの地位にはなかった世代)がかつての反体制派の中でも旧世代に属する政治家を排除する政治的手段としても作用したという(例えば、ポーランドで大統領・首相となったカチンスキ兄弟)。
本書の最後でも触れられているが、ワレサの体制側への情報提供者であった過去が暴かれたことはポーランド社会では大きな衝撃であった。あるいは、例えばドイツ映画「善き人のためのソナタ」で描かれたような人間不信状況は印象に強い。共産主義体制において秘密警察が張り巡らせた監視の網の目は、誰が情報提供者なのか分からないという疑心暗鬼によっても様々な悲劇を生み出していた。他方で、そのことの善悪是非は別として、あくまでも結果論ではあるが、こうした「秘密のファイル」の存在が皮肉にも体制の平和的移行に役立ったという逆説が興味深い。
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