森達也『クォン・デ──もう一人のラストエンペラー』
森達也『クォン・デ──もう一人のラストエンペラー』(角川文庫、2007年)
畿外侯クォン・デはベトナム阮朝の王族、フランス植民地支配下にあって呻吟するベトナムの独立を志し、師と仰ぐファン・ボイ・チャウの影響の下、支援を求めて来日した。頭山満をはじめとした玄洋社人脈、犬養毅、中村屋の相馬夫妻などの庇護を受けたが、フランスとの関係悪化を恐れた日本政府からは厄介者扱いされ、戦争が始まると「アジア主義」という大義名分のコマとして翻弄されてしまう。結局、ベトナムへ帰国できないまま1950年、東京で客死した。
クォン・デの生涯をたどりながら、取材過程も併走させるストーリー仕立て。森達也がなぜベトナムの亡命王子に関心を?というのは不思議だったが、ベトナム人留学生から「なぜ日本人はクォン・デを知らないのですか? 日本に殺されたようなものなのに」と強い口調で言われて以来、気にかかっていたらしい。日本に期待してやって来て、日本に裏切られ、その点で日本の「アジア主義」の矛盾した仕打ちの典型例であるのに、彼の存在が忘却されているのは二重の意味でひどい、そうしたうめきを感じ取っている。私自身も似たようなものだ。クォン・デの名前くらいはさすがに知ってはいたが具体的な事跡はよく知らず、久生十蘭の小説『魔都』でフランス警察に付け狙われている安南王子は彼をモデルにしているのかなあ、という程度だった。だが、ベトナム取材で会った人々の様子では、かの地でもすでに忘れられ始めている。社会主義政権独特の「難しさ」も作用しているようだが。
「アジア解放」という善意と権力政治のロジックによる対外侵略、両方が絡まりあっている矛盾に「アジア主義」理解の難しさがある。現代日本社会批判に絡めたがる著者の筆致には時に違和感を感ずることもある(この人の書くものは、テーマは興味深いのに、筆が走りすぎという印象がいつも残る)が、他方で、例えば頭山満について形式論理では解きがたい「情」の部分を汲み取ろうともしている。変に右翼的な紋切り型と比べたらはるかに良い。
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