古田元夫『ホー・チ・ミン──民族解放とドイモイ』、ジョン・ラクチュール『ベトナムの星──ホー・チ・ミンと指導者たち』
古田元夫『ホー・チ・ミン──民族解放とドイモイ』(岩波書店、1996年)
・「ホー・チ・ミン思想」なるものは本来なかったのに、ドイモイ政策が進展して1991年を転機に共産党綱領に明記されたのはなぜ?→ホーの本来の立場は民族解放にあったが、時代的に国際共産主義運動と重なっていたという事情→改めて「ホー・チ・ミン思想」なるものが提唱された背景には、これまで正統とされてきた国際共産主義運動からの脱却、ベトナムの伝統文化の見直しを意味した→ドイモイ下で知識人からの支持。
・他方で、ホーの意図とは別に、共産主義体制のシンボルとして反発する人々もいる。
・ホーは1911年、フランス船の見習いコックとしてフランスへ。さらにアフリカ、アメリカ、イギリスと回ってからパリに移住→早くから国際的な視野の中でベトナムを考える視点。
・1919年にフランス社会党に加入。ヴェルサイユ会議に「アンナン人民の要求」を提出:ファン・チャウ・チン(フランス支配の枠内での改革を主張)との合作。
・レーニンの民族解放論に触れて1920年のフランス共産党結成に参加。1923年にモスクワへ。そのとき、当時国共合作の蒋介石とも面会。
・1924年、コミンテルンにより広州へ派遣された。
・フランスからの圧力で日本はファン・ボイ・チャウなど東游運動のベトナム人を国外追放→中国・タイへ渡っていた人々の中で、ファンの考え方にあきたらなかった青年たちがタムタムサー(心心社)を結成していた→ホーはこれと接触し、共産主義組織形成の基盤とする。→1925年、広州でベトナム青年革命会。
・1929年、ホー不在のハノイでインドシナ共産党。合計3つの共産主義組織が分立したため、1939年、ホーはこれらの代表を香港に集めてベトナム共産党を組織(後にチャン・フーの指導でインドシナ共産党と改称)。
・1930年代のコミンテルン内部の権力闘争の時期にはソ連で「学習」に専念。
・1941年、インドシナ共産党がコミンテルンから自立性を強める中、コミンテルンとの結び付きのある指導者としてホーが帰国。
・1942年8月、支援を求めて中国へ向かったとき、これまで共産主義革命家としてのイメージが定着していた「阮愛国」から「胡志明」へと名前を変えた→連合国からの国際的支援を念頭に置いていた(しかし、中国国民党に逮捕されて一年間拘束)。
・1945年の八月革命→バオダイ帝は退位してベトナム民主共和国臨時政府成立。バオダイを最高顧問にしたほか、ベトナム独立への希望から日本の仏印処理を歓迎した「親日的傾向」の人々も含まれた。このとき、民族への裏切りとしての「親日分子」と、独立を希求したがゆえの「親日的傾向」とを区別→後者の経歴はあまり問題視されないという「東南アジア的特徴」。
・1946年12月から第一次インドシナ戦争。一般のフランス人からも共感を集めるため、敵はフランス一般ではなく「侵略的フランス植民地主義」と規定、フランス連合内の独立も考慮していた。
・冷戦構造の中に組み込まれてしまったため、ベトナム独自の発想による政治指導の余地が狭まった→ソ連・中国モデルに従う。
・ベトナム戦争では、共産主義対自由主義的ナショナリズムという枠組みではなく、アメリカに対する民族独立・統一の戦いに世界中に認識させた。ホーの戦略性:「敵を減らして味方を増やす」「時機をとらえる」。
・1969年にホーは死去。1975年にベトナム戦争終わる→指導部の勝利の驕り。「北」の「貧しさを分かち合う社会主義」を「南」にも適用→戦時経済としては有効だったが、もともと豊かだった「南」側の反発。
ジョン・ラクチュール(吉田康彦・伴野文夫訳)『ベトナムの星──ホー・チ・ミンと指導者たち』(サイマル出版会、1968年)
・著者はジャーナリストで、インドシナ進駐軍に勤務経験があり、フランス当局とベトナム側との「接点」になって1945~1947年に至るまでの一連の出来事を現地で体験。その時期の交渉の経緯が詳しく描かれている。ホー・チ・ミンは和解と協力によって平和的に独立を果たすことができず、フランス側の強硬姿勢、ベトミン側の強硬派との板ばさみにあっていたようにも見える。
・1920年、パリで日本人のフランス文学者小松清と出会ったことが記されていた。ホーの方から「あなたは中国人ですか、ベトナム人ですか?」と話しかけてきたらしい。
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