フランシー・リン『台北の夜』、他
フランシー・リン(和泉裕子訳)『台北の夜』(ハヤカワ文庫、2010年)を書店でたまたま見かけ、台北を舞台にしたミステリーというのは珍しいと思って手に取った。
アメリカ生まれの二世、エマーソン・チャンは母をなくし、その遺言に従って音信不通の弟を探し出すため台北へとやって来た。この初めて訪れた街は、中国語がよく分からない彼にとって戸惑うことばかり。出会った弟の様子はだいぶおかしい。不審に思いながら弟の周辺を探り始めるエマーソンだが、弟が取り込まれてしまった闇社会の犯罪組織に追われる身となる。
訳者解説によると、著者自信が主人公と同様にアメリカ生まれの二世で、奨学金を得て自らのルーツである台湾へ留学、しかしそこでもアメリカ人とみなされてしまい、自分はいったい何人なのか?というアイデンティティの葛藤を抱き、その体験がこの小説にも反映されているのだという。結構ハードボイルドなタッチで、ストーリー展開のテンポにも勢いがある。台北などの風景描写は的確ではあるが、やはり闇社会絡みの話だからダークな街にも見えてくる。
台北を舞台にしたミステリーは中国語ではもちろん色々と出版されているのだろうが(読んだことはないけど)、年代的に一番古いのは何だろうと考えたとき、金関丈夫『龍山寺の曹老人』(金関丈夫『南の風』[法政大学出版局、1980年]所収)が思い浮かんだ。金関は台北帝国大学の人類学者で多彩な趣味人、この連作探偵小説を書いたときは日本敗戦直後の留用中で、暇つぶしに書いたらしい。
龍山寺は台北・萬華の古刹。曹老人は日がな一日龍山寺の境内に座っているだけなのに物事はすべてお見通し。ある意味、ミス・マープルのような感じか。口コミ・ネットワークで街の情報にも精通しており、推理をめぐらすときは眼光鋭く、終わるとまたぼんやりした表情に戻る。台湾の寺廟に行くと、何するともなくボーっと座っている老人を見かけることがあるが、ひょっとしたらその寡黙さの裏に窺い知れぬ智慧を秘めているのではないか、と思わせるようなたたずまいが着想のきっかけだったのだろう。堂守の范老人はワトソン、いつも事件を持ってくる陳警官はレストレード警部といった役回り。最後に関係者一同を集めて謎明かし、「犯人はお前だ!」(とは言わないが)という感じに締め括られるのもセオリー通り。犯人が松山空港発の飛行機に乗って脱出しようとするのを間一髪で制止する、なんてシーンもあった。この小説については以前にこちらに書いた。
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