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2010年9月14日 (火)

ラスト・スルタン、アブデュル・メジド2世

 オスマン=トルコ帝国のラスト・エンペラーならぬラスト・スルタン、アブデュル・メジド2世(Abdülmecid II,Abdul Mejid, Abd-ul-Mejid, Abdul Medjit, Abdülmecit)。以前から興味があるのだが、彼に関する文献が見当たらない(トルコ語やアラビア語ならあるのだろうが、私は読めない。せめて英語文献くらいあってもよさそうなものだが)。wikipediaでも情報は限定的で、英語版wikiではなぜか結婚問題が半分以上を占めている。

 アブデュル・メジド2世は1868年にアブデュルアジズの息子として生まれた。1922年、トルコ革命によって従兄弟のメフメト6世が廃位されたのに伴ってオスマン帝国最後の皇帝となる。しかし、翌1923年、ムスタファ・ケマルの大統領就任によってスルタンは廃位、形式的な国家元首としてのカリフの地位は保ったが、さらに1924年にはこれも廃位されて(この時点でイスラム世界最高の権威としてのカリフは消滅)、国外追放された。1944年8月に亡命先パリで死去。

 彼はオスマン絵画の画家として高名だが政治には全く関心がなく、その点で北宋の徽宗皇帝と印象が重なる。滅び行く黄昏の大帝国、芸術家肌のラスト・エンペラー、こういうイメージは物語的に興味がひかれるのだが、それでもこれといった文献がないということは、それほど面白いエピソードはないということか?

 アブデュル・メジド2世に関心を抱いたきっかけは、Tom Reiss, The Orientalist: Solving the Mystery of a Strange and Dangerous Life(Random House, 2005→こちらで取り上げた)という本を読んだときで、主人公レフ・ヌッシムバウムがイスタンブール滞在中の記述にこの芸術家肌のラスト・エンペラーについて言及があった。それから、アルメニア人音楽家コミタスに関心を持ってRita Soulahian Kuyumjian, Archeology of Madness: Komitas, Portrait of an Armenian Icon(Gomidas Institute, 2001→こちらで取り上げた)を読んでいたところ、第一次世界大戦中のアルメニア人ジェノサイドに巻き込まれたコミタスを助け出すよう当時の青年トルコ党政権に働きかけた人物が二人いて、一人がアメリカのヘンリー・モーゲンソー駐トルコ大使、もう一人がメジド皇子と記されていた。このメジド皇子というのはアブデュル・メジド2世を指すように思われたが、確認できていない。

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