近藤正己『総力戦と台湾──日本植民地崩壊の研究』
近藤正己『総力戦と台湾──日本植民地崩壊の研究』刀水書房、1996年
・第一部「戦時下における植民地統治の構造」は日本の南進政策との関わり、戦時動員、先住民政策などの政策展開を分析。
・小林躋造(海軍出身)台湾総督→「南進化、工業化、皇民化」の一体性を意図、台湾を南方の玄関と位置付け。
・南進:台湾総督府には日本の南洋・中国南部への進出を担おうとする意図があった(例えば、海南島の「台湾」化の思惑)。ただし、総督府(海軍出身の小林総督)と台湾軍(陸軍)との間には路線対立→南進が国策決定されてようやく妥協→台湾は南方進出の物的・人的資源供給基地として位置付け。
・植民地人民に兵役義務がないことは日本人側の優位性の根拠→当初は徴兵制施行に消極的→異民族支配構造の枠組みを維持しながら戦時動員するため「軍夫」→戦局が押し詰まり、本格的な動員のため皇民化政策。
・日中戦争時の軍夫動員→一定数が大陸に残留→①待遇が良い、②台湾に戻っても遠からず徴兵されるだろうという見通し。
・改姓名:漢族系には任意性を強調(後の特別志願兵制度と同様に、「志願」という能動性に特別な意味づけ)。対して原住民系には、個人単位の認可改姓名(初等教育機関に在学中の生徒たち)、許可改姓名(1941年6月17日の始政記念日を期して一家全員一律に強制)の二段構え。
・高砂義勇隊の指揮官は軍人ではなく「蕃語」に通じた理蕃警察官→「蕃社」における警察支配の構造がそのまま部隊編成にまで貫徹。
・小磯国昭内閣の朝鮮及台湾在住民オ政治処遇調査会(伊澤多喜男・元台湾総督や下村宏・元台湾総督府民政長官は制限つきながら参政権を提案)の検討→台湾・朝鮮合わせて10議席の衆議院枠の配分を通達、しかし敗戦間近。
・第二部「台湾光復運動の展開」では大陸に渡って抗日運動を行った台湾出身者の活動や光復後のビジョンをめぐっての論争について分析。
・李友邦→台湾独立革命党、台湾義勇隊(朝鮮義勇隊発足に触発された。黄埔軍官学校出身者が指導。中国側から武装化は許されず)。抗日運動のため中国大陸に渡っても、中国側から疑いの目で見られた。
・中国国民党の台湾党部設置問題→対日秘密工作が目的。翁俊明殺害事件→台湾出身者の排除。
・光復後のビジョンについて柯台山、謝南光、黄朝琴、郭彝民の意見書を分析。日本統治下における高度な産業化、効率的な行政・生産機構を前提として、これらを日本の体制から引き離していかに引き継ぐかという論点が目立つ。また、中国化の問題、自治の問題。
・福建省の陳儀主席(1934年~)政権とかつて台湾総督府は経済的に良好な関係を取ろうとしていた。1937年には陳儀が台湾視察、経済開発のモデルとみなした。
・辜顕栄は戦前からアモイに投資していた。
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