小林照幸『毒蛇』
小林照幸『毒蛇』(TBSブリタニカ、1992年)、『続 毒蛇』(同、1993年)
咬まれると激痛、壊死が発症し、死に至る確率も極めて高いハブの猛毒。その治療用の血清を開発した伝染病研究所の沢井芳男は1957年に初めて奄美大島への調査に同行。自信満々に現地へ初めて赴いた沢井だが、目の当たりにした現実は予想をはるかに裏切るものだった。離島・離村ではそもそも血清を保存する冷蔵庫そのものが足りないなど医療環境が整っておらず、新たに開発した乾燥血清も溶解せずに思った効果は出せなかった。他方で、ハブ対策に地道に取り組んでいる現地の人々と出会ってその謙虚さにも打たれ、沢井は改めて毒蛇咬症の研究に全力で取り組む気持ちを固めた。研究の道のりは奄美から、まだ米軍占領下にあった沖縄、さらには台湾へと続く。
ハブをはじめ毒蛇咬症をめぐる問題が一つずつ解決されていく過程を沢井という人物を中心に描き出した医学ノンフィクションである。医学的な背景を噛み砕いて説明されている平易な語り口もさることながら、そこに携わる人々のひたむきな熱意が大仰ではなく静かに説得力をもって浮かび上がってくる筆致がとても良い。本書は著者が開高健賞奨励賞を受賞したデビュー作で、その頃はまだ学生だったらしいがこれだけ書けたというのはたいしたものだ。遅まきながら小林照幸という人の筆力に関心を持った次第。
私の個人的な関心から言うと、1960年代のまだ近代化途上にあった台湾、とりわけ農村・山村部で伝統的な中国医学への過信(というよりも迷信)によって血清などの西洋医学の方法が広まらず、人々が毒蛇咬症に悩まされていた当時の社会状況がうかがえたところが興味深い。台湾にもコブラがいたのは初めて知った(ただし、コブラによる死者はインド方面に比べて格段に少ない)。毒蛇研究の先駆者として杜聡明も登場するが、欲を言えば彼のプロフィールももう少し書き込んで欲しかった。当時、台湾総督府は南洋の風土病対策の一環として毒蛇研究にも力を入れており、杜聡明もその分野では世界的に知られた医学者であった(なお、日本統治期の蛇毒咬症関連調査の資料が戦後なくなってしまったらしいが、「おそらく日本の遺産として内容も分からずに始末されてしまったのでしょう」と杜聡明が語るシーンがあった)。彼は台湾出身者として初めて博士号を取得したことでも有名で、日本統治期の台北帝国大学で唯一の台湾人出身教授でもあった。戦後も台湾大学総長を務めたり高雄医学院を創立するなど活躍。
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